第72章

だがしかし、

為政者は、人民に軽んじられてもいけない

もっかい言うけど、軽んじられても、重んじられてもダメ

他の人の、テリトリーを犯してはいけない

国民の自由を狭めてはいけない

国民の自由な経済を、無駄に規制してはいけない

無駄に規制するから、自由人権とか荒唐無稽な思想にかぶれるから、

無駄に制約して、実は自由人権から離れて

地下経済に移行する

絶対価値など無いと何度

禁酒法や移民法しかり

(念のため老子は移民規制でも賛成でもない、むしろ近年は緩和が優勢すぎる。後述)

無為のタオであれば、誰も嫌な気分にならないのだ

なるのは欲にまみれたクズだけ

聖人は、他人や世間のことをどうこう言わない

なにより自分のことだけを冷静に見つめている

すべての問題はおのれにしかない

ここからナベ

我々人間の個人に分かることは、

自分に自我的な何かが、

情緒や理性を統括する何かがあることだけしか、分からない

もしこの世界が、自分以外がすべて単なる書割(かきわり、背景、プロジェクター)だとしても、

それは個人には知覚できない

結局、個人に分かることは、

自分だけが自我に苦しんでいる、この事実しか、この世界に存在しない

なんとゆう悲劇、あぁハムレット!

これは、もちろん試論

聖人は、そんな自分という存在を理解しているので、

この書割の世界で、相対的に自分だけが優れている、などとは思わない

同様に、自分もみんなと同じ、などと相対では捉えない

どちらも同じこと

残念なニュースだが、傲慢と謙虚は、結局同じ極に至る

聖人は、相対を超えて、

自分を単なる3次元の存在として生存に必要欠くべからずことを為しつつ

自分をその、他人から見た書割以上に美化しない

なので、他人から見た相対の美醜を捨てて

残酷な己だけの残酷な自我の美醜だけを残酷に見つめる