解題

老子の言っていることは、ひどく明確だ。

僭越ながら、彼?と同じような心境から読まなければ、

単なる自然回帰や、脱テクノロジー、リタイア後のセカンドライフ指南にしか見えないだろう。

エアコンの効いた研究室で、何十年老子だけを読んでも無意味だ。

彼の言っていることは、ただひとつ、

知性で考えるな。

合理的に考えれば、何らかの化学的な物質(いわんや素粒子)の揺らぎによって宇宙は誕生し、

化合によりたまたま誕生したのが我々有機物たる人間ということになる。

これほど絶望的な世界観があるだろうか。

我々の本質が純粋な物質であると、現代の宗教(=科学)は言う。

では、我々の感情とは何か。

電気的信号?

そんな無駄なものを、わざわざ「合理的世界」とやらが作るはずもない。

もはや教理(ドグマ)で説明しようとした宗教観にすぎない。

そのカウンターパート(の伝統的最右翼)が老子である。

彼は、この世界の背後に「道」があると言っているのだ。

それは、我々物質には名状しがたいものであるが故。

我々は本来、「道」の産物である。

何も欠けたるところのないものである。

なのに、この知性に端を発する感情が邪魔をする。

老子が言っているのはここまでだ。

なぜ知性というものがあるのか。

なぜ感情というものがあるのか。

なぜこの世界があるのか。

現存するテキストには、そこまでは書かれていない。

その理由は別に難しくはない。

二千数百年前に、紙は無かった。

わざわざ竹簡として現代まで保存されるべきテキストは限られている。

当時は、いかに国を治めるか(=他国に侵略されないか)、

治世論、君主論の体裁を装うものだけが存続を許された。

資本主義の現代で、何事もお金や娯楽に絡めて述べられているのと同じことだ。

当時のあらゆる縛りの中で残されたテクスト。

だが、この意味不明な存在たる人間の、自らとこの世界の正体を求める、

至極単純な動機から発せられた世界観、それが老子である。

なお、深遠な感じのことを除外して言えば

老子に書いてあることを実践する必要は無い。実際不可能に近い。難しく考える必要は無い

ただ、人生の良いことも悪いことも、自分の心だけから発していて

心だけはあなたがコントロールできる数少ないものだということ

その理解があれば、少しはましな生き方ができるはず、そう老子はアドバイスしている

最後に蛇足

これはあくまで老子の直訳の一試訳であり、

ナベシ個人の考え方と必ずしも一致するものではありませんし

登場する個人的団体的名称のすべては架空のものです

そして、不明瞭な竹簡から老子全体の構成と、古漢字を現代人に読める状態に措定してくださった

これまでの研究者の方々に感謝と敬意を表します

アムステルダムにて(嘘)

かしこ