ドイツの肉屋で働き始めて5ヶ月目の感情
私がドイツの肉屋で働き始めて5か月経った
5カ月?自分で打ち込んでいて信じられない
前に1カ月目の感情を突発的に書き殴ったものをnoteに投稿したのが4カ月前だとは、あまり思いたくない
なぜなら私は働き始めて半年弱とは思えない程、依然として未熟なままだからだ
何が未熟なのか もう全てがである
5か月も経ったら仕事もドイツ語ももっと成長しマシになり、かっこよく働く自分がそこにいるものだとばかり思っていた
しかし現実はそうではない 未だに日々自分の悪い所に気づかされ、打ちのめされては落ち込む日々が続いている
成長して見返したいと息巻いていた1カ月目の自分が見たらあきれるほど、私は未だ未熟未満のよわよわ見習い訓練生なのである
どんな所がよわよわなのかというと、まず仕事が遅い 本当にトロい
当然この道10年以上の上司たちのような速さで動ける訳はないのだが、それにしたってトロい
具体的に言うと肉を捌(さば)くのがまあ遅い
今の私のメインの仕事でもある肉の解体は、想像以上に体力も技術も集中力も求められる
例えば鶏を捌く時、胸肉はドイツでは高級部位なので「傷つけないように」捌くことを求められる
血の濃い部分や腱のついた肉を丁寧にそぎ取り除く作業は繊細で、私のようなひよっこ訓練生がやるとどうしても時間がかかる
その上、私の完璧主義な性分が災いしどうしても細かいところまで追いたくなってしまう
そうすると必要以上に肉を削いでしまったり、時間だけかかったのに表面がボロボロで美しくなかったりと「遅い上に出来の悪い」鶏むね肉が完成してしまう
隣で、上司が別の肉を魔法の様にさらさらと解体していく様を見ると、どうあがいても私はこうはなれないと気がして絶望する
そして彼らの様にスピードアップしなくてはと思えば思う程焦ってしまい、手元は狂い刃先が滑り、胸肉をザクリと傷つけてしまう
上司がこれに関して私を追い詰めたり、口酸っぱく指摘するような事は無い
彼らはただただ見ている 何も言わずとも私の作業を、動きを、一挙手一投足をよく見ている
そして間違いそうなら「Stop!」と声を掛け、正してくれる そして助言する
私のドイツ語知識はまだまだだが、実際に捌き方を示されながら説明されると、言葉の意味も感じ取れる瞬間がある
子どもが生活の中で母語を学ぶように、私も働く中で聞こえるドイツ語に必死に耳を傾けている
豚肉・鶏肉・牛肉…この五カ月で私も数え切れないほどの肉を解体してきた
しかし未だに肉を捌くことに慣れたとは言えない
当然1カ月目のように、上司に逐一説明を受けずともできる仕事も増えてきた
それでも私にとって肉はまだまだあまりに複維で、情報過多で、目の前に現れる度に難解なパズルを解かされている気持ちにさせられる
だって、肉ってあまりにも『立体的』すぎる
肉の中に複雑に絡む分厚い腱を見つけて取り除く作業があるが、肉の中でどのように肉に絡んでいるのか外側から想像しながら切らなければいけない
私にとってこの作業はもはや透視の域に思え人間業ではないように思えるのだが、上司はまるで当然のように易々とそれを見つけてサッと取り除く
私が1時間以上かけてやるこの解体作業も、上司の手にかかれば30分もかからない
見習いの私は所作も切る回数もまだまだ無駄に多く、ナイフが脂ですぐに切りにくくなり何度も研ぎ直すせいで時間もかかる
最近ようやく鶏も1羽10分ちょいで捌けるようになったが、これも上司の手にかかれば2〜3分で終わる もはや魔法のような速さだ
それでもスピードばかりを求めて適当に解体していい訳でもない
捌く前も捌いた後も肉を手で触り、目で見て、小さな骨や腱が残っていないか、正しく捌けているかをチェックしている
ここ最近は入念なチェックが功を奏して1発OKをもらえる事も増えてきた
「sehr gut(すごくいいね)」と上司から親指をと立ててもらえる瞬間、その時ばかりは張り詰めた心がほんの一瞬緩み、救われる
こういった「親指を立てる」「肉を切るジェスチャー」「物のある方を指差す」というボディランゲージを交えたコミュニケーションと、決まったフレーズのみで仕事を回しているせいか、私のドイツ語力はここ最近完全に停滞気味だ
当然休憩中の同僚たちの雑談なんかは依然として聞き取れないし、その上私の上司はめちゃくちゃせっかちで早口なドイツ人の中でも更に早口なタイプ
突然口頭のみでまくしたてるように指示を与えられるともう地獄で、涙目でお耳ダンボにして「もう一回言ってください…」とお願いするしかない
毎朝3時に起きて30分間は机に向かってドイツ語を勉強してから職場に向かっているが、時々これに何の意味があるのかとふと我に帰り、全てを投げ出したくなる
一度、自分のドイツ語力を上げる為に母語話者たちと会話する機会を作らなきゃと思いドイツ人の集まる場所へ思い切って参加したこともあったが、結局そういう場では語学力うんぬんより自分から話しかける勇気やコミュカが物を言うのだと思い知らされ何も出来ず自分にしっかり絶望して帰った
日本ですら人と会うことを避けコミュニケーションに問題を抱えていた私が、ドイツ語で急にコミュ強になれる訳がない
もっとこの職場でよく働きたい、役に立ちたい、早く認められたいのに
なんで私ってこうなんだ 頭を抱えずにいられない
こうして落ち込むことは本当に容易だ なんなら毎朝だ
しかしとにかく今は、今の私ができる事をやるしかない
手の届く範囲で、出来ることを、小さくても積み重ねること
毎朝3時に起きて朝食をとりながらのドイツ語学習だけは、何があってもやめないこと
落ち込もうと不安に漬されそうだろうと、上にのしかかったそれを無視して黙々と向き合う
新しい単語を覚えては忘れていく事を恐れず何度でも覚える
こんなので良くなれるんだろうか、良くなりたい、良くなれるんだ
震える足を叱咤しながら、歩みだけは止めないように必死に目の前の単語にしがみつく
仕事、言葉、人間関係
こうして振り返るとどれをとっても、1カ月目に想像していたより歩みは遅い 情けなくてたまらない
それでもよくなったところもある それは私だけが知っている
肉を捌くことだって、初日に比べたらずっと早いし上手くなった
ナイフを握る右手の痛みも、対策や付き合い方がわかってきた
私の作業に上司がつきっきりになる事も今はほとんどない
何かわからない時に全く声がかけられなかった最初に比べたら、今は50%くらいの確率で質問できるようにもなった
言われずとも清掃を始めたり上司の行動を先回りしてフォローできる事も増えた
無ではないのだ、ちゃんと成長している 真っすぐじゃなくてもいい方向に向かおうと努力している事を、私だけは知っていなくては
当然誰もそんな小さな変化を褒めてくれないし、言葉にしてくれない
ただ仕事が終わった時に上司がかけてくれる一言「gute Arbeit!(よくやった!)」という言葉に何度と無く救われている
「君に言わなくちゃいけない事がある
君は毎日一生懸命、すごくすごく良く働いてくれてるってこと」
ある日の仕事終わりに、上司が不意に私にこう言った
私はその日の清掃を終え全身に水しぶきを浴びずぶ濡れ、顔は真っ赤で髪の毛はぐちゃぐちゃで全身汗まみれ
心身共に疲れきっていた真っ白な頭で急にこんな言葉を受け取ってしまい、そのまま更衣室で着替えながら涙が止まらなかった
言葉も不確かな国で、仕事もまだまだ未熟で常に不安が付きまとう
それなのに「私はここにいていいんだ」と思える そんなことってあるのか
帰りに腫れた目を伏せて帰ろうとしたら、上司がニコニコと扉を開けて待っててくれた
私の上司は目力があり声もデカくてめちゃくちゃ早口だが、優しく思いやりのある良い人だ
日本で9年弱勤めた地元の職場より、言葉の不確かなこの職場で5カ月を共にした上司の事を私は信頼している気さえする これはなんとも不思議な気持ちである
この人の下で働けるならドイツにいるのもやぶさかではないと思えるくらいには彼を頼っているし、信じている
きっとこれからも辛いことや壁にぶつかる事がたくさんある
それでも周りを頼りながら、少しでもいい方向にいい方向に進めるよう、おいしいソーセージを食べながら歩みを止めずにいたい
おいしいソーセージがあれば、私はなんだって出来るんだと自分で自分を信じていたいのだ
ここまで読んでくださりありがとうございました!
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