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自分、意地悪なのでは?と思った話。



こんばんは、今日もお疲れ様です、

今日はあれもしや自分意地悪なのでは?と思った話

うまく文字に起こせたらいい。



祖母から教えられたことは一つだけ「自分がされて嫌なことはするな」だった。



それだけ教えられて自由に育った私は忠実に教えを守った。自分がされて嫌なことは絶対にしないように気を付けてきた。


それプラス「この子はこんな性格だからこういのもいやかな、やめよう」と考えたりもしている。



そうして何年も気を使っていたら、「優しい」といわれる人になった。


そして最近気づいたこと。

私はこれが嫌だからこうしてたのに、あなたはこれが嫌じゃないの?



自分が普通だと思っていたことが相手には特別だった。

自分が嫌だと思っていたことは相手はなんとも思わないことだった。



衝撃的だった、私は優しくなんかないじゃん、むしろみんなよりもずっと心が狭かったと気づいた瞬間だった。



みんなはとっくに時間とともに心が広く変わっていることに気づかなかった。

相手が嫌な気持ちになることをしないために、自分はこれが嫌と何年も前にはっきり明確にしてしまっていたことで私の心だけは広く変わることができなかった。




自分がされて嫌なことはしない、相手の気持ちにたって嫌なこともしないことを意識していたら、


自分がされて嫌なことがめちゃくちゃ増えていた。

気づかないうちに。人よりも。



優しいといわれている私の本性は意地悪なんだと。




つまり自分がみんなにしている「優しいといわれる行動」は私にとっては普通なことで、されなくちゃ嫌なことで、されなくちゃショックなことで、されなくちゃイライラすることになる。



単なる押し付けだった。自分はもっと心を広くする必要があるし、もっと楽に生きて良かった。これじゃあ自分の人生を楽しくないものに自分からしているのでは…??




私がひとの気持ちと自分の気持ちの差別化が下手なゆえに、祖母の良心をこじらせてしまった。




優しいといわれるたび、自分の意地悪な面に気づき、みんなのほうがずっと優しいよと思う。




まだまだ自分は反省点だらけで

もう少し早く気づけばよかった、。


今からでも遅くないいよね…心を広くするためにはどうしたらいいんだろう。




読んでくれてありがとう、


うまく文章にできた…



んだけど伝わった?






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