パパ

だいすきなパパ(おじいちゃん)が夜中亡くなってしまった

悲しくて苦しくて
覚悟していたのに、泣きたくないのにずっと涙が出てくる

子ども大好きなパパは、接客業で土日はお仕事な父に変わりわたしをどこにでも連れて行ってくれたし、
幼少期の記憶はパパしかないと言っても過言ではない
木登りに釣りに山登り、ソフトクリームに丸亀にお寿司高速道路にみかん狩り、ぶどうの美味しさいちごの美味しさ、温泉、むさしの村にゆかっこ、華蔵寺、旅行はぜーんぶパパに教えてもらった
特に2人でなにを話すわけでもないがいつも2人でお出かけしていた

大きくなってからも同じ敷地内にパパんちがあったから 後悔なく仲良くしていたし、
パパとわたしの絆はかぞくのなかでもなんか違う絆みたいなものがあった笑笑

健康人間の、ぱぱが病気が発覚したのが2020年、
丁度コロナが始まった年、
発覚した癌は既にステージ4で余命3ヶ月と宣告される
そして抗がん剤治療を開始
その時コロナが脅威すぎて、パパにうつったらパパが死んじゃうと言われて、わたしは絶対遊びに行かないと決める
そんなこんなで時は過ぎ、なんと2024年まで生きる。笑

わたしが妊娠発覚して1番楽しみにしていたのは紛れもなくパパで、別にあからさまに喜ぶとかではないんだけど、お腹冷やさないようにとか小さな声でいつも言われていた

わたしも赤ちゃんをパパに1番見せたかったし、生きる理由になっているの知っていたから、なんとか間に合って欲しいとずっと思っていた

そして産まれて、入院中もずっとはやくぱぱに抱いて欲しいと本当にずっと考えていた
退院日、やっと赤ちゃんをパパに見せられると思った。
でもこの4年、生きてくれていたものの癌だけではなく肺炎とかたくさん併発してしまっていたパパは毎朝38度くらいお熱が出ていた。だけどこの日は40度で肺炎もあって咳も止まらず。パパは赤ちゃんに会いたくて「大丈夫、大丈夫」と言っていたものの、それを見ていたママ(おばあちゃん)がもうこれは限界だからと

朝8時半救急車を呼び、救急車で病院へ。
10時に退院だった赤ちゃんを会わせることが出来ず、そのまま入院することに。

検査入院くらいかなあと思っていたらもう帰れなそうとなり、数日後危篤と言われる。

面会は出来るけど、コロナも受け付けてる病院だからそんな生後間もなくの赤ちゃんは連れて来ないほうがいいとお医者さんに言われて、それもそうだとなり
赤ちゃんを最期まで抱かせることはできなかった。

それでもわたしは毎日面会に行き、たくさん動画を見せて、話せない動けないパパも必死に頷いてくれた

そして夜中2時ごろ亡くなり
今朝パパは帰ってきた。
赤ちゃんを初めてパパに会わせることができた
妊娠発覚からずっと楽しみにしていた瞬間だった

本当に本当に抱っこさせてあげたかった
予定日に産まれていたら間に合ったな、
やっぱり病院に連れて行って面会すればよかったかな?
とか、日々後悔ないように過ごしていても
やはり後悔はしてしまう

なんか、間に合わないんだなあと思った
こういう時、間に合うのがドラマで、わたしも勝手に間に合うもんだと思っていたけど、こんなに惜しくて間に合わないんだと
現実だなあと思った

パパは最後まで「帰ってきて赤ちゃん抱っこしてね」というと頷いてくれた

最後まで諦めなかったパパはとてもすごいし、
間に合わなかったけど、1番の生きる理由になってくれた赤ちゃんにはとても感謝している

赤ちゃんにどんな説明をいつしたら
パパがどんなに楽しみにしてくれて、産まれる前から愛してくれていたか、いちばん楽しみにしていたか、
伝わるだろうか

こんなわたしの気持ちも関係なく、うんぴして気持ちよさそうな顔で隣で眠っていますわ赤ちゃん
みんなを元気にしてくれて本当にありがとうねえ

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