今日の一曲 キリンジ「柳のように揺れるネクタイの」

先週の今ぐらいだったか、ツイッターのタイムラインで「キリンジの『DODECAGON』の感想DMで募集」を見かけた。
こういう企画だと腕を奮ってしまう。文章にしてもキリンジ知識やら洞察が全然浅いのに。
いやあ、このアルバムなら「自棄っぱちオプティミスト」が好きなんですよ。私の性格を一言で言うと、そういうことなんでしょう、と思うので。
てな事を考えながらDMを書くため、『DODECAGON』を聴いた。

「柳のように揺れるネクタイの」が流れてきた。
いろいろキツくて、スキップできるならスキップしてた。
スマホで音楽を聴きながらnoteを書くのに慣れてないから、その日はそのまま聴いてた。
「『使えねえ』って言うな」という歌詞、
『DODECAGON』リリース当時は、自尊感情とか反骨精神があるって素晴らしいですね、とぼんやり思ってた。

「使えねえ」と上司に言われたようなものの私。
言われた3月半ば、「使えないよね、ここでもこう言われたから、もう死んだほうがいいよね」って思ってた。
仕事で評価されない私は、無価値だと思ってた。
なんだろう、昭和の日に交通事故を起こしたあたりから、意識が変わったような。
「死にたい」と思ってたら死ぬような目に遭うんだ、
でも「生命根性が汚い」と母に言われた私だから、生きていられたんだ、それも怪我もなく。
なら、生命根性の汚いやつとして生きてやろうと思った。
同時に「『使えねえ』って言うな」と思っていいんだ、とも。
上司は職場の多くの人から「いい人」と評価されてる人で、その人に損切りされたんだ…というのも自己評価がさらに下がるきっかけだった。
でも「いい人」は損切りしないよね?と思った。
先輩から「ここまで自己肯定感が下がるって、モラハラ上司だよ」と言われて、気がついた。
モラハラ上司と思っていいんだ。訴えなければ。
相手が損切りするなら、私も心の中で見切りをつけていいんだ。
上司に対してネガティブな感情を抱くなんて、私の実力不足を棚に上げてるよね、それは自分が伸びないよね?
と思って、そこは思いとどまったけど、思っていいんだ。

「自己肯定感を持っていいんだよ」と堀込兄弟に言われてる感じの、久しぶりの『DODECAGON』でした。


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