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居場所

(この文章は去年の年末くらいから書き始めたものです。かなりの時間をかけてしまいました。)
(元はと言えばこの文章は迷惑かけて心配させてしまった地元の友達何人かに宛てて書きました)



お騒がせしてしまってすいません
というか1人勝手に騒いでてすいません

心が不安定すぎて何もかも、大切な人間関係すらも全部消してリセットしたいと思ってしまってました。今は冷静になって考えられるようにはなったので、なんでこんなこと思ってたのかここに今書けるだけ全部書きます




自分の居場所ってどこなんだろうと思ってしまう

地元から出たくて、一人でなにかしたくて関西まで来た。でもいざ1人になったらなってみたで、寂しくて寂しくて。我ながらすごいバカ。しかも考えすぎちゃう頭良くない人間なのでちょっとした刺激に過度に反応してストレスが溜まる。そういったことは、今までは人と話して発散できてたのだがそういう人もこの土地にはいない。いるにはいるがみんなそれぞれの生活圏で忙しそうだし俺なんかのこんな他愛もない話を聞いてくれるほど暇そうには見えない。

なんか過度に人を信じ過ぎてきたせいで勝手に裏切られた気になり、人を上手く信じられなくなってしまった
そんな自分にもまだ優しくしてくれる人がいるんだから、変われないだなんて言ってる場合じゃない頑張らないと
という気持ちはある。ちゃんと。ただ、そんな気持ちだけで自分が自分として冷静に

同窓会行ってから明らかにおかしくなった
自分の生活がまず楽しくない、大学辛いのがダメなんだよそれさえ充実せめて憂鬱じゃなければ大丈夫なんだよ

それと皆の話を聞いて楽しそう、そして俺はこういう人達と遊んでたんだと考えて寂しくもなり悲しくもあり辛くもあり嬉しくもありでもやっぱり辛かった。このみんなと毎日会えてたあの頃は俺にはサッカーがあった。下手くそだったけどサッカーだけは全力で頑張ってたから下手なりにも試合に出させてもらえてたし、自分の自信にもなってた。サッカーを頑張っていたから、ほかのことは何一つ自信はないはずなのになんか頑張れちゃってた。

自分がHSPだからなのか?と思ったけどそんなん言い訳にしてもどんどん暗くなる一方だった。

オードリー若林の本で、「どこか人を心の底でバカにしてしまってるから、自分には恥ずかしくてできないみたいな感情が生まれる」みたいなニュアンスのことが書いてあって共感しかなかった。高校の時に買った本なのに何度も読み返して自分の存在意義を確かめてるけど理解出来ても一向に解決には向かえてない。

こんな感じで大学生活は全然ダメ。1人だけ話せる人はいるけど学科の1授業だけしか被っておらず、そこでしか会わないし話さない。ほかの授業はグループワークばかり。1回でも休むと周りとの距離感が分からなくなり次行くのが怖くなる。
多分こんな感じで卒業できるやつはいくらでもいるんだろう。けど高校までずっとサッカーして生きてきた人間の周りには陽キャばかりいて、そいつらにはこういうことを理解出来るやつがそんなに多くは無い。
だからこそTENDOUJIは自分の目にはより一層輝いて見える。オーイさんから教えてもらったけど、ナオさんは大学に友達が本当にいないせいで休み時間はずっと喫煙所にいたらしい(後輩目撃情報)。
それくらいの共通点だけで自分と一緒の人間とは言えないけれども、それでも歌詞見たり直接話したりしたらどんどん好きになったし勝手に自分の理想像ということにしている。
大学で友だちができないことを言っても心配とかするっていうより、なんとかなるよ大丈夫って励ましてくれたのはナオさんだけだったし。だからといって他の人が悪い訳では無い。人それぞれ持った感性は違うのだから。ただ、ナオさんの説得力は半端なかった。


せめてもの救いは帰る、会える場所があるということ。横浜に帰れば慣れ親しんだ友だちがいる。「そこを当てにしすぎるのは良くないけど、いざとなったら頼れるものがあるし自分は大丈夫だよ」って辛くなった時に自分で気づけるようになりたい。

あとは目標、もしくは今の自分が頑張れるものを見つけたい。高校まではそれがサッカーだった。楽しくやってたものが、頑張り続けたことによりいつからか根拠の無い自信になっていた。そういうものをまた見つけたい。残りの大学生活の間に見つけるぞ。

こうやってせめて画面上では前向きに書いておく。