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マヤってなんだ②大阪・国立国際美術館「古代メキシコ展」編~ティオティワカン

国立国際美術館・古代メキシコ展

手拭いは概念。こういうところがオタクには大事なの。

旅は二日目、場所は大阪。来たぞ、古代メキシコ展!

国立国際美術館は地下に展示スペースがあります。
エスカレーターで降りて、チケット買って、さあ行くぞ!

……と、ここでお詫びを申し上げます。古代メキシコ展は写真撮影可で、私もたくさん写真を撮ったのですが、諸事情があってお尻の写真しか撮ってません。
理由は臣民の皆さんならわかりますよね!
きちんとした写真は図録があるからいいかと最初から撮らなかった。わっはっは。

それから記事がめちゃんこ長くなったので、分割して上げますね。
お付き合いいただければ嬉しく思います。

展示・ティオティワカン

「火の老神石像」ティオティワカン
あきらかにウエウエテオトルだけど明記されていない。古代メキシコ展では神様の名前を表記していない展示物が多かった。意図的に書かなかったのかな。
お尻を見ると前掛けタイプのような気がする。
「羽毛の蛇神石像」ティオティワカン
これもククルカンとは明記されず。結局古代メキシコ展ではククルカンの名前もケツァルコアトルの名前も出てこなかった。テスカトリポカやトラロックは出てたのに……デリケートな部分なのかな。


この「古代メキシコ展」は
「ティオティワカン」
「マヤ」
「アステカ」
の3つの文明に分けて展示と解説をしています。

なぜこの3つなのか初めは全く気にもならなかったのですが、展示を見ていくうちにBIZEN中南米美術館で見た古代メソアメリカ文明の地図と年表が頭の中に蘇ってきました。
ざっくりとした地図と年表の抜粋を書いてみます。

地図はレイヤー構造になっていると思ってください。
同時期に存在していない箇所があるため。

ティオティワカンは大きなピラミッドや神殿を建てた大宗教都市の側面と、各地からの移民を受け入れたモノとヒトが集まる魅力的な国際的都市の側面を持つ国家。

計算された位置に建てた神殿・王宮とは別に、2000ものアパートメント(!)が並び10万人ほどが生活していたとされています。

完全に空想の妄想です。ご容赦ください!

様々な民族が混ざり合って起こるのは、文化の交流。
図録の解説によるとティオティワカンにはマヤ人達だけが集まって暮らす居住区があり、またマヤの高貴な人が滞在するほど、二つの文明は影響しあっていた。
勢力を強めたティオティワカン人がマヤの王族に入れ替わった例もあるので、決して友好な関係だけではないそうですが……


ともかくマヤ文明がこの国際都市ティオティワカンに影響を受けていた事実は、私の中で大変な新事実でした。

なにせこれまでマヤ文明には絶対的なアイデンティティがあって、その他の文化の影響を受けているとは思いもしなかった石頭です。自分たちの家を出て、古代メソアメリカの広い大地を歩く人々の姿を初めてイメージできたのです。


次はマヤの展示です。



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