年上の英雄 岡崎郁

気づけば、皆年下だった。

ジャイアンツのエースと4番バッター、オリンピックの金メダリスト、サッカー日本代表イレブン、世界チャンピオンのプロボクサー、青春ドラマの主人公、人気ロックバンドのメンバー、M1王者のお笑い芸人、スマホ画面のセクシー女優、そして大相撲の横綱まで。子供の頃、憧れて夢中になったヒーロー達の年齢をいつしか超えていた時、気分は少しだけセンチメンタルだ。最近、ノスタルジーに浸ることが多い、それは英雄はいつでも年上だったからだ。

■キッカケは1989年6月1日(木)

人を好きになるキッカケは些細なことで、いつでもそのキッカケが正しいことだとは限らないのかもしれない。興奮するのは信号機が青になるまで待つよりも、赤い間にスキップしながら横断歩道を渡るドキドキ感。時として少しはみ出してしまった行為に人の気持ちがのめり込んでしまう事がある。

1989年6月1日(木)、読売ジャイアンツ×大洋ホエールズ7回戦、後楽園球場。2対1とジャイアンツ1点リードで迎えた8回裏ワンアウト1、2塁。大洋のマウンドはサウスポーの田辺学、当時24歳。キャッチャーの市川和正は当時30歳。打席に入るのはプロ入り10年目当時27歳の岡崎郁である。当時の報知新聞を読み返すとその後の事の経緯は次のような流れだ。

初球、カーブがすっぽ抜けて岡崎の背中を通る、のけ反ってボールをよけた岡崎。「スマン、すっぽ抜けだ」と語りかける市川。「でも今度来たらマウンドへ行きますよ」と答える岡崎。

3球目、またカーブがすっぽ抜けて岡崎の右ヒジの上に当たった。「どこに投げさせてんだ!」と岡崎。すかさず市川が「狙ったわけじゃない」と岡崎に近寄る。その後は岡崎と市川が面と向かって体当たりするような形になり両軍総動員で入り乱れる昔ながらのノスタルジー。両軍が出てきた後の流れについて岡崎と市川は「あとはわからん」と口を揃えるのに対し、俊足を生かして突っ込んでいったように見えた当時27歳の鴻野淳基は「僕?何もしてませんよ止めただけ」と答え、当時30歳の原辰徳は「元気あるよなあ、燃えに燃えたよ」と興奮し、当時35歳のウォーレン・クロマティは「ナイスファイト、ヒーローは岡崎だ」と称賛し、移籍組当時30歳の津末英明と当時37歳の有田修三は「パリーグのほうがもっとすごかったけどね」と余裕をかまし、当時57歳の藤田元司監督は「乱闘劇?まああれは胸のつきあいみたいなもの、たまにはいいんじゃないの、元気があって」と大人のコメントを残す。そんなカオス状態の中、結果的に騒動の引き金になったと岡崎ひとりだけ退場処分となり試合は続行された。

当時12歳小学校6年だった自分はその光景を目の当たりにして、「優等生」「おとなしい」というイメージが時として悪い意味合いで使われることの多かった当時のジャイアンツナインの中で、その枠から一瞬はみ出してくれた岡崎郁のドキドキ感に簡単に心を持っていかれたのである。

■告白の2024年6月10日(月)

2024年6月10日(月)、錦糸町で開かれた岡崎郁さんのトークイベントに足を運んだ。自分の胸の中にあったのはファンになったキッカケが1989年の乱闘劇であったこと。それを聞いてみたらご本人がどういう返答をするかということ。ただ、今となってはセンシティブな問題だけにその場の空気を壊すことなく聞くことが出来ればと考えていた。はみ出した過去の出来事を正しさの枠の中からはみ出さないような形で聞いてみたかった。最後の質問コーナー、ひと通り何人かの質問を終え、まだ時間が残されているのを確認し、挙手をして下記質問を行った。

・岡崎さんのファンになったキッカケが1989年大洋戦の乱闘であったこと。それは「優等生」「おとなしい」というイメージがあった当時のジャイアンツの中で闘争心を前面に出すシーンが珍しく嬉しかったこと。

・近年、乱闘が少なくなり、時代の流れだと思うがその事についてどう感じられているか。

一瞬、困ったような表情を浮かべたように見えた岡崎さんより下記回答をいただいた。

・まず、今の時代、乱闘はしてはいけないこと。そして乱闘が無くなったのは時代の流れだと思う。でも今の選手たちが闘争心が少ないわけじゃない。

・野球選手自体のスタイルが変わった、昔みたいに一生懸命にプレーすることがユニフォームを泥だらけにすることではなくなっている。

個人的な愚問にとても真摯に答えていただき、最後に6月7日で63歳になられた岡崎さんを祝福し、イベントの幕が下りた。

■年下の英雄達

ノスタルジーに浸ってしまうのは今の時代を見つめていないからかも知れない。岡崎さんがおっしゃったように時代も替わり、野球選手のスタイルも変わった。1989年6月1日付報知新聞芸能面の見出しは「森進一、ビッグな次男誕生」今では森進一の長男と三男が人気ロックバンドのメンバーである。昔と現在を同じ物差しで測るにも無理があるということだ。自分自身にはアップデートが必要だ。それが完了したら旅に出よう。その旅は「昭和」という故郷に戻る旅ではなく、新しい故郷を探す為の旅だ。

2024年、その故郷のダイヤモンドの中でプレーしている「年下の英雄達」に気づくために。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?