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わたしのキャリア①


こんばんは😃

Beauty Japan  ファイナリストの近藤ユミです😊


今回は私のキャリアについてのお話しをしてみます。

まず、簡単に私のストーリーです。


誕生

私は4姉妹の次女として生まれ、妹達とは年が離れています。
それはそれは、次女らしく末っ子が長かったので姉の後ろを着いて歩く甘えん坊だったりわがままを言いまくると言う、世で言う手の掛かる子だったのではないかと思います。


集団生活

保育園や学校も適度に馴染めず、何度も登校拒否しました。
特に水が嫌いだったのでプールの授業は全力で拒否。お母さん困らせたなぁ。

この経験のお陰で自分の子には登校拒否しないような声かけとかがんばりましたし、水を怖がらないようにしました。

高学年になると運命の友人に出会い人生変わる。
合唱部に入って、厳しめな先生の指導の元3年間頑張り、6年生では部長として約100名の部員をまとめました。
熱心なご指導により、有名な作曲家の方に指揮をしてもらったり、
ミュージカルに参加したり、ウィーン少年少女合唱団とのコラボに、第9を大人と一緒に大きなホールで歌ったり、NHKの大会では全国大会に連れていってもらったり。

かなり恵まれた小学校生活を送りました。

中学生は、なんとなーくイイことも悪いこともして、

高校生は、はちゃめちゃ、遊んでばかりでしたが、今仲良くしている友人はほとんどが高校の友人です。
高校生になりバイトを始めて、HIPHOPダンスを習い始める。
この辺から本当の自分を表現でき、いいところも悪いところも許して認めてくれる熱い友人に出会います。

そして専門学校。
私は美容学校に行きました。
そこで国家試験で美容師免許取得。
毎晩クラブに行き友達の家に泊まったりひたすら遊びました。

初就職

美容学校を卒業し、そのまま大型店の美容院に就職します。
定休日のない忙しいお店でしたので、
朝は朝練→営業→夜練(たまに終電逃す)
そしてまた朝6時起きで朝練。。。
というなんともハードな生活。
お昼が夕方なんてのはザラでした。

とにかく同期との戦いで、いかに自分が仕事を取るか。
ということをやっていました。
先輩の先を読み、流れを把握し先輩に付いて回り、お仕事をいただけるように一瞬の隙も譲れないような感じでした。

シャンプー指名や眉カットが入ると歩合。
シャンプーやワックスを売る店販で新人で初めて1位を頂き嬉しかった事を覚えております。

あの時の経験本当に今になって宝物だなぁと思います。
残念ながら、カラーやパーマを教わったところで妊娠が発覚し泣く泣く辞めることに。


続く😊



#bj中日本
#beautyjapan
#bj2023






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