生きていていいのかわからない
生きてていいのかわからなくなることが、よく、あります♩
みんなそうなんですか? それとも、やはり私が黒い染みというか、落としても消えない汚点だから?
いえいえ‥‥ほんとはわかってるんです。そんな簡単な自虐で逃げようと言ったってムダ!! なぜなら、私の考えてることだから。
右手にトンネルの壁、左手に山が見えます。山は、トンネルの柱の間から見えるのですが、右手の壁に光りは全く当たりません。
なんで生きてていいのかわからなくなるのか。それは、私が、好かれたり、おもしろがられたり、気が利いたり、仕事でありえないミスをしなかったり、仕事ができたり、雰囲気があったり、かわいかったり、歌がうまかったり、迷惑をかけなかったり、付き合いができたりしないと生きててはいけない!! と思っているからです。思ってはいるけど、主張ではありません。むしろ、こういうことを誰かに言われたら反論するつもりです。そんなことはないよ。どんなに役立たずだって生きてていいんだよと。でも見ないふりをしていても私の卑怯さはその形をしているんです。
急カーブだ。高速バスの事故の見出しになるところを想像してしまいました。みんな「いつでも死ぬ可能性はある」と、けっこう普段は理解していると思うんですけど、どの事故も、こんなふうに、あっいまちょうど死ぬかもってこと忘れてたなというときに起こってきたのかもしれません。だから予想する死と実際に起こる死はどうやっても全く別ものにしかならない。
それでも積み上げて、最近は、私も生きてていいのかもしれないと考えるようになっていました。しかしやっぱりダメでした。生きてていいのかもーと思うとやっぱりダメかーと思うことになるのでやめたほうがいいのでした。
ところで‥‥私は古い可愛いものが好きです。なんとなく雰囲気で好きなだけだと考えていたのですが、たぶん、人が少しでも豊かにおもしろく和むように生きようとした痕跡が好きなんですね。しかも、お金儲けのためではない(お金目的でももちろんいいのですが)豊かさを求める心の自然さに出会うとはっとします。私は元来、どちらかというとケチというか、必要なもの以外にお金を使うことを必要以上に恐れているので、大切なことを思い出させてもらったような気持ちになります。可愛いものだけではありません。おいしいもの。変なもの。使い道がなさそうなもの。そういうものに憧れがあります。
トンネルに入りました。今度のトンネルは新幹線のトンネルなのでさっき以上に真っ暗です。両隣で人が寝ています。私はお腹がいっぱいで、明日、げんなりと起きることを思っています。
無駄なものへの憧れと有益でない自分への諦めは、どうやって私のなかで両立しているのでしょうか。自分が役立たずだと知っているから、役に立てるようになりたくて、でも本当は役に立たないままの生にも価値を感じたい。から、無駄なものに強く惹かれるのでしょうか? そうだとして言い訳でしかない憧れって許されますか。
晴れています。さっき、一瞬雨が降っていたけど晴れていて、いまここ以外の場所の天気がわからない(調べればわかるんだろうけど)ことが寂しい。一緒に雨に打たれたいわけではないです。ただ雨が降ってるなら教えてほしいです。高崎に着いた。私には余分なものが多すぎます。
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