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パパにとって世界で一番大事な君へ(3)

はじめに
※本記事、自分の振り返り日記みたいになることお許しください。

■ママとパパが付き合っていたときの話 その2■

付き合って半年経たないくらいだったかな?
奈良の燈花会に2人で行ったとき、
「わたし今の仕事辞める」ってママが言い出した。
理由は二人の時間をもっと作りたいから。(だったかな?(笑))
Rも聞いてると思うけどママはウェディングプランナーさんでした。
いろんな新郎新婦から愛されるプランナーさん。
天職だった仕事を辞めてまでパパとのことを優先してくれました。

それから土日のどちらかは毎週会っていたと思うよ。
大阪に買い物いったり、一日中ダラダラしたり
旅行いったり、幸せな時間が過ぎていきました。
ただね、ママは「結婚」という言葉を口にしなかった。
もうすぐ当時30歳を迎えるママに取っては凄い気になることだったと
思うけど、パパのタイミングを尊重してくれていました。

そこからママは大手企業の契約社員(事務)として働いていたけど、
仕事の内容とか人間関係でしんどそうでした。
そのストレスで背中に帯状疱疹ができたんだよ。
そしてパパが結婚のことどう考えてるのか?みたいな不安もあったのかも。

そんな中ある日の夜でした。
「わたし、仕事(ウェディングの)辞めるの早すぎたかな」
とママが号泣しました。
パパが不安にさせていたせいだね。
このタイミングで「辞めるの早くない。結婚を考えている」と
言った記憶はある。(早くない。とは言った・・・)

この前後かどうか時系列は覚えてないけど、
初めて二人で迎える大晦日を迎えました。
パパの実家で過ごした後、夜中に初詣へ行く予定だったんだよ。
奈良の春日大社ってとこ。
春日大社へ行く時に。ママはノロウィルスによって嘔吐を繰り返しました。
急いで病院に連れていったのことも思い出のひとつかな(笑)
ママをRのじいじ、ばあばの前の家に送っていきました。
その時にパパは初めて予期せぬ形で挨拶させてもらいました。
パパの2013年⇒2014年の年越しは、ママを送ったあとの車のなかでした(笑

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Rへ
これを書いている今日は土曜日。
土曜日と日曜日のパパの楽しみはRと一日一緒に生活することでした。
朝起きて、7時頃かな?車でいっしょにパンを買いにいくことに幸せを
感じてました。この動画もあるからまた見たかったら言ってね。
いまはそれが出来ないから悲しいかな。恥ずかしいけど涙がでる。

またパン買いにいこな。てか一緒に行ってな(笑)
愛してます。

2022年8月20日

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