祖母の鏡

私が中学3年の秋に、大好きだった祖母が乳がんで亡くなってしまったことを母から知らされた。私はもう会えないことを思うと、とても悲しくなって涙が止まらなかった。お通夜で見た祖母は痩せ細ってはいたが、死化粧が施されていたので生前元気だった私が知っている祖母の顔のままで安心した。お通夜が終わるまでは泣かないようにしようと思っていたが、やはり祖母の顔を見てしまうと涙をこらえることが出来なかった。そんな私の姿をみて家族は慰めてくれた。翌日になり葬儀を終えた後、告別式があった。お棺の中には祖母が大好物だった六花亭のバターサンドがたくさん添えられていた。私はもう生身の祖母を見られるのは最後なのだと改めて実感し、再び涙が溢れた。お棺にお花を添えたあと、祖父が泣いてるのを生まれて初めて見た。祖父は無口な性格なこともあり私も祖母の方ばかりに行っていた。今考えるとあまり祖母と祖父が話してる姿を見たことがない気がした。
私の母も祖父の泣いてる姿を生まれて初めて見たらしく少し驚いていた。それ程、祖母は愛されていたのだと実感し、祖父と祖母の急な別れを考えると心が痛くなった。
無事に火葬が終わり祖父にお別れを使える時、祖父が私に渡したい物があると言われた。私は何かを尋ねてみると祖父は喪服のポケットから少し古びた折りたたみの化粧鏡を私に渡した。祖母が毎日持ち歩き、大切にしていた鏡だということを教えてくれた。私は、そんな大切な物は祖父が持っていた方がいいのでは無いかと言ったが、祖父は私に持っていて欲しいと言ってくれたのでありがたく貰うことにした。私はそれから毎日祖母の化粧鏡を持ちあるくことにした。なぜか祖母から貰った鏡を持ち歩いていると、500円玉を拾ったり些細なことだったがいい事ばかりが起きた。私はきっと祖母の魂がこの鏡に宿っているのだと思うようになっていた。そんなある日、寝坊し、いつも肩身離さず持っていた鏡を部屋に置いたまま家を出てしまった。それに気づいたのは私が家を出てから1キロほど走ってからだった。あと300メートル程進めば、ぎりぎりバス停に辿りつき、バスに乗れそうな感じだった。でも、毎日ずっと一緒に過ごしてきた大切な祖母の形見ということもありそばにいないのは私にとって不安で無くてはならない存在になっていた。私は遅刻してもいいという思いで家に引き返すことにした。家に着いて急いで鏡を制服のポケットに入れ、家を出た。やはり、いつも私が乗っているバスには間に合わなかった。でも祖母が私の近くにいてくれている気がしたので、不安よりも安心感の方が大きかった。バス停で待っている途中、母から電話がかかってきた。人が並んでいたこともあり、私は電話に出ることは出来なかったけれど1回で電話は鳴り終えることなく2回、3回と電話音が鳴った。私はバスが時間になっても来なかっこともあり段々と腹が立ってきて1度列をぬけて電話に出ることを決めた。『何?』怒った口調で私が母にそう言うと、母は泣きながら『今大丈夫?』と聞いてきた。私はなんの事か全く分からず『何のこと?』と母に言った。母は、バスが別の車と衝突して横転してしまい、死人も出たと言う話をしてくれた。てっきり私がいつものバスに乗っていると思っていた母は心配になって私に鬼電をしていたらしい。私はあの時、祖母からの鏡を家にとりに戻っていなかったら今はここにいなかったかもしれない。きっと祖母が危険を察知し私を守ってくれたのだろう。


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