「人にどう見られたいか」ではなく、「自分がどうありたいか」ということ

今まで、何度も何度も聞いてきた言葉なのに、ある時「すとん」と自分の中にその言葉が落ちることがある。
それは、誰かの一瞬のしぐさに恋をして、光よりも早くその恋の沼に落ちていく感覚と似ているかもしれない。

10年以上前のことだが、「五体不満足」の著者である乙武洋匡さんの講演会を、夫と聞きに行った。
どこかの高校の体育館で、舞台に上がるときは、スロープ代わりの板が用意され、屈強そうな高校生がわきを固める中車いすで上がっていく乙武さんの姿が印象的だった。
講演自体は、大変失礼ながらあまり覚えていないのだが、終了後「質問がある方はいらっしゃいませんか?」という時に、夫はとなりで手を挙げていた。
体育館の2階の端の方に座っていたため、気づいてもらえそうにないと思っていたら、さらに夫は「おねがいします!」と声まで出していた。

夫は「自分は低身長でいろいろ不便なことがたくさんあったが、ずっと通常学級で過ごし、大学を卒業した後、エンジニアとして働いている。これでいいのかと思うこともあるし、どのように生きていけば良いかヒントが欲しい」といった内容なことを質問したと思う。

乙武さんからの回答は、「自分がどうありたいかを考え、行動していくべきだ」といったものだった。

隣で聞いていた私に「すとん」とその言葉が落ちた。

「自分がどうありたいか」
自分のことを自分で考え、自分で決めることができるのか!

私は他人にどうみられているかという事を常に気にして生きてきたと思う。
寂しい子、かわいそうな子、友達がいない子、に見られない様にずっと生きてきた。
自分でグループを見つけて行動するという事が大の苦手で、拒絶されるのが怖くて、遠足や修学旅行の班決めのときは、ずっと前からどのように立ち回りどのように手を打つかを考えていた。
たいてい、なんとなく1軍2軍グループには入らなそうな子に早めに声をかけ、その子と一緒になろうねと約束を取り付けていた。

自己肯定感というものを地面にたたきつけて生きてきた私にとって「自分がどうありたいか」を真剣に考えたことはなかった
親に言われるがまま中学受験をし、そのままエスカレーターで附属の大学を卒業、地元企業に就職した。
大学に入る際、将来何になりたいかなんて決めていなかったし、とりあえず体裁が良い、ニートではない職に就いた。

就職活動の際、自己分析をするワークショップのようなものもあったが、最初の、「自分史」作成の段階で、つまづいて、そのまま自己分析シートは白紙のまま提出されずに終わった。

「自分がどうありたいか」
乙武さんの言葉が「すとん」と落ちたのに、なかなかそれを具体化することができなかった。
仕事に物理的時間を取られ、満身創痍で毎日終わるので、自分がどうありたいかではなく、自分はどうやったら今の状況から脱することができるのかを考えながら過ごすので精一杯だった。

結局「自分」について深く考えるようになったのは、乙武さんのお話を聞いてから数年経った後の、妊活を始めようと思ったときだったのではないかと思う。

人生は様々な選択があって、その選ぶor選べる先によってまったく違った風景を見ることになる。
「自分はどうありたいか」
子どもが欲しいと思った。子育てしたいと思った。
子どもがいる家族の中の自分でありたいと思った。

「自分はどうありたいか」を見つけた瞬間だった。
「すとん」と落ちてから、ずいぶんかかったが、今の自分はまちがいなく、「自分がどうありたいか」を考えた先の場所に立っていると思う。

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