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SHINIKAKE 「UMI」

皆様こんばんは、そしてお久しぶりです。

現在蒸し暑い午後11時00分。

スキマ時間で少しずつ書き溜めながら、というわけで更新に時間がかかりました。

今回は斎藤夏輝さん(2度目もすみません)が言うところの「生物的死」にかけのお話。

少し長いですが、暑い日が続くので少しだけ涼しくなればと思いますので、お酒でも呑みながらゆるく楽しんでいただければ幸いです。

さて、毎年父の命日月である暑い夏の7月に私は家族とお墓参りを兼ねて田舎に帰省します。

子どもたちが生まれる前は少なくとも年に2回は田舎に帰省していましたが、子どもが生まれてからは、子どもたちや妻の体力面を考慮して、今では年に1回の帰省が恒例となっている。

私の田舎は和歌山県は那智勝浦町で、帰省するにしても車で約4時間弱、渋滞などに巻き込まれると5時間以上かかるときもある。

小さい頃は『那智の浜』という砂浜のある海に父と姉とよく泳ぎに行った記憶があり、当時は防波堤などはなかったので波は大きく、しょっちゅう大きな波に巻き込まれていた記憶がある。

私が高校生ぐらいになると、沖に防波堤ができて、小さい頃のような大きい波は来なくなり、田舎に帰るときはいつも那智の浜のそばを通り過ぎて実家に帰るけど、穏やかな那智の浜を見ながら父と姉と3人で波に巻き込まれた日を思い出す。

その那智の浜の向かいに見えるのが、お蛇浦と弁天島。中学ぐらいからこのお蛇浦で「ながれこ(地方によってはとこぶしらしいです)」や鮑、サザエを腰網とマイナスドライバーを持ってよく獲っていた。

当時は禁漁区がエリアで決められていて禁漁区以外は自由に獲れましたが、現在は全て禁漁区になっているようですね。

だいたい一日約5時間ぐらいの素潜りでながれこが50、鮑が3~6、サザエは3ぐらい獲れましたが、小さいものは『来年会いましょう』と海に戻してました。

高校生になると、素潜りしたり、飛び込みしたり、へしで魚ついたりとバリエーションが増えていきました。

そんな高校3年生の8月のある日のこと。

海とは無縁の本宮町という山育ちの友人を2人連れて、総勢6人ほどでお蛇浦に行くことに。

しかし、その日は残念ながら台風上陸の前日ということもあり、なかなか海は荒れているが、雨は降ってないということ、海をあまり知らない友人たちにいいとこ見せたい(飛び込みとか)などの理由から強硬開催した。

お蛇浦の最先端に行くと「三角島」と地元では呼ばれていた、二等辺三角形のような島があり、そこは干潮時では頂点から海までおよそ20mほどの高さになる。その場所から飛び込むのが今回の最大の目的だった。

三角島は離島ですが、泳いで約30秒程度、距離にして約10mぐらいでしょうか。穏やかな時は水中メガネで優雅に泳ぐ魚たちが見える。

しかしこの日は台風上陸前日。それはもう海に入ることすら勇気がいる。やめたほうがいいのでは、という空気のなか、漁師の息子で泳ぎも素潜りも師匠と崇めていたFくんと『いけるやろ』なんて強がった私たちは大時化の海に二人でダイブした。

シュノーケルは持っていたが、海になれていない山育ちの二人に渡したほうがいいということで、Fくんと私は水中メガネだけで泳ぎ始めた。

海のなかを覗いてみると、いつもは優雅な魚たちが、波のうねりに身を任せて海中を泳ぐ姿が今でも目に焼き付いている。

この魚たちに少し不安を感じつつも、三角島に向かって泳ぎ始めた。

海のことをよく知っている方はご存知かと思いますが、時化のときの海は、私の地元では『三角波』と呼んでいましたが、三角の形をした波が無数に海に出現しているのです。

まぁ三角波が発生しているときに泳ぐ人なんていないと思いますし、私も初めての経験でしたが、あれが発生しているときは本当に泳いではいけないと今でも思います。シュノーケルがあれば、まだいいかもしれませんが、水中メガネだけではあの波は乗り越えれません。

というのも、息継ぎする→横から三角波→海水飲む→潜る→息継ぎする→横から三角波→海水飲む…この地獄のルーティンに巻き込まれてしまうからです。

このとき人生で初めて『溺れる』と思いました。

ただ、Fくんはそんな三角波をものともせず、スイスイ進んでいって、私が三角波と格闘しながら半分ぐらいようやく進んだところで三角島に辿り着いていた。さすがやな、と思いながらも負けてはいられない、と気合いを入れた瞬間。

一気に波が引いて、三角島に辿り着いたFくんの全身があらわになったその後。

左側からきた大波がFくんを襲った。あの岩肌にしがみついたFくんの姿もまた、目に焼き付いている。

Fくんの姿を探していたら右手約10mの方向にいるのを発見。Fくんが腕を大きく『✕』にしていた瞬間、初めて恐怖という概念が私を襲った。

半分ぐらいまで進んでいた私は三角波と格闘しながら、皆が待つ岩場まで引き返すことにした。

そこからの記憶は曖昧ですが、まずFくんが皆が待つ岩場に向かって岩肌をよじ登っているのは覚えてる。水中メガネは外して手に持って水掻きのように進む力を強くしようと思ったのも覚えてる。

それからようやく岩場に辿り着き、必死に皆の待つ場所に向かって岩肌を登っているのも覚えている。

さらにFくんのごとく、一気に引き潮から波に襲われたところで、記憶はない。

その後、意識が戻るとあお向けで寝ていた私の耳に、私の名前を呼ぶ友人たちと、『なんであのとき手を掴まんかったんや!』という怒声が聞こえてきた(古い記憶なのでそのようなことを叫んでいたような)。

どうやら私は死んだと思われていたようで、後から聞いたところによると、波にさらわれてからもう一度よじ登ってきた後、意識がなくなったそうで。

二回目よじ登ったときは手を掴んで引っ張ってくれたようですが、一回目のときに一人の友人が私の手を掴めたはずが、大波が来たから手を掴まずに逃げたそうで。

そのまま意識がない状態になったから、そんな怒声が飛んでいたようです。

いや、むしろ逃げた友人が正解かといまだに思いますが。時化のなか海に入ったの私ですし。

まあでも皆必死に助けようとしてくれていたかと思うと、恥ずかしいやら情けないやら。

それ以来台風接近中に泳ぐのはやめました(当たり前です)。

最近では海は行かずに地元から約30分ほどの穴場の川に子どもたちを連れていくのが夏の恒例となっている。浅瀬も広く人もほとんどいないので、田舎に帰ると必ず連れていきます。

そういえば最近の台風は1号とかでも日本に影響があるのはやはり驚く。昔は1号なんて太平洋のずっと沖でできて、熱帯低気圧に変わっていたような。せいぜい10号以降から影響が出ていて15号ぐらいから上陸していたのではないでしょうか。

温暖化の影響なのか。

余談ですが私の父は若い頃、かなり破天荒だったようで、灯台から飛び込んだり、白良浜に生き埋めにされそうになったり(あくまで父の酔ったときの戯れ言と思ってますが)。

信憑性が高いのが地元の新聞に載ったことがあることで、タイトルは『無謀!台風前日に岩場に釣り人!』だったそうで、父親が突風のなか岩場で釣りをしている写真とともに記事になっていたことを、母も笑いながら話していました。

血は争えないということでしょうかね。

ここは那智の浜とお蛇浦の間の海岸

さて、ここまで読んでいただき有難うございます。

今年は妻が珍しく「(海が)めちゃくちゃきれい!入りたい!」というので川に行くのは翌日にして、約25年ぶりにお蛇浦の海に入りました。

子どもたちも初めての海と波におおはしゃぎで、息子はしょっぱいのが初体験だったのでずっとペッペッペッ、を繰り返していました(笑)

更新期間が長くなることが多いですが、またゆるいお話なども出来るだけ紹介していきますので、引き続きよろしくお願いします!

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