覚えた英語はすぐに遣いたい。
覚えた英語はすぐにつかいたい。
even の使い方も、even though だとか、even too late. は知っている。というか何度も繰り返して文法を読んで、次に「映画」をみて復習をした。
間違えたところで、あまり痛くはない。
つまり、多少は痛い。恥ずかしくなる。
even の使用例、might の使い方についてショート動画のリンクを貼った際に、自分でも3回は観た。そこで might はよく遣うけれども、may は〜と青年が語るシーンをみて、ちょっと暗記をしたつもりだった。
正解にかすってくれさえすれば良い。
even を文頭に置くだとか、否定形として真ん中あたりに置くだとかは、おいおい精査をすれば良い。兎に角、つかって慣れたい。
なんならば、昨日、the, a, の冠詞の違いについて自分なりに説明をするためにググッた際に、日本語には「数詞」というのがある事が解った。
「数詞」というのは、魚を一尾、兎を一羽、靴を二足、一輪の花、一頭の馬、一匹の蛙、一軒家、マンションを一棟、紙を一枚、一束の書類、一冊の本、一個の林檎、一反の土地、一本の柱などだ。
僕は「数詞」という日本語は知らなかったが、食卓に出た魚を一匹とは言わないし、コンビニで割り箸の有無を聞かれた際にも「一膳」ください。とお願いをする。
つまり、日本語をどの程度まで理解をしていて、なおかつ自然に使い分ける事が出来るかは、ある種の「教養」であり、教養というものは「作法」が求められたり、約束事、しきたりに倣わなければならない場面において初めて身につけるものかもしれない。
また、教養があれば自分が経験をした事がない故に想像力を働かせられない場面に於いても「借りてきた知識」を持ってして対応をする事ができる。
よって不要な人間関係の摩擦を躱すことができたり、状況をコントロールをする事にも役立つので困る事はない。
ただ、母国語の日本語にせよ外国語の英語にせよ、ある程度の域に達するまでは貪欲に覚えなければならない。
肥沃な土地にしない限りは種を撒いても何も育たないのと一緒で、今の僕は「こんな間違いをしたら大恥をかくかな?」だとか「おっちょこちょい野郎」と思われやしないかというのは無駄な心配。
それどころか、仮に誰かにそう思われたところで守るべき立場なんか何ひとつないのだ。
だから、覚えたての英語はどんどん遣い、間違える度に修正をすればよいのだ。
ちなみに、It's my fault. は「自分のせい」「自分が悪い」という意味で、I'm sorry. ゴメンナサイ。とはちょっと意味合いが違う(らしい)w ←一応、保険をかけてみた。
だから、外国人は決して I'm sorry. とは言わない!なぜならばっっっ!認めた途端に訴訟決定からの「何されても文句はねぇよなぁ?」と違い、It was my fault. スマンな、ワイちゃんのせいや。は言っても平気です。多分!!
it's my fault. は映画「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」に出てくるし、名作映画のなんとかハンティング(ちゃんと名前を覚えておけよw)でも、it's not your fault. お前のせいじゃない。というセリフが出てきます。
グッドウィルハンティングね、今おもいだした!
ちゃんと聞いていれば、必ず解るって。先に答えをだしているんだから、あとは探すだけじゃないか。
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