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自己責任論の矛盾

 自己責任論を始めとして、日本人は神風が吹くだとか、根性論が大好きなきらいがあります。

 でも、ワ○ミで自殺者が出た時に思いませんでしたか?と思いました。人間は機械じゃないし、皆がみんな同じだけの体力や精神力があるはずがないと。


 そんな仕事にしかつけないのは自己責任、○○が出来ないのは甘え。他の人はやっているよ、他の人は出来るのになぜ出来ないの?と言われても、イエス・キリストが寝込む病人に向かって「立ち上がりなさい」というと、病人はシャンと立ち上がり、たちまち病は治った。みたいな奇跡は起きません。


 そんな言葉だけで、悔しい…、確かに自分は甘えていた。見かえしたい、早く皆と同じレベルになりたい。そして圧倒的な成長をしたい。とは考えちゃくれない訳です。


 なんならば、コンビニの店員なんかやりたくないぜ!と不満を抱える日本人ばかりだから、じゃあ…という事でスタッフを全員、外国人にしている店が近所にはあります。


 精神論を唱えてみたり、お前はコンビニの店員になるより他に道なんかないの!自己責任やねん!と脅かしてみたところで、では自己責任を果たせる範囲内でしか自分達は動きたくはないので、とてもじゃないけれども、自分達には敷居が高すぎるからコンビニの店員はやりたくありません。


 自己責任論をやたらと強調するのは構わないですが、結果的に「俺たちは責任を果たしているはずなのに、なぜ賃上げをしてくれないんだ!」と、フランスみたいに従業員がストライキを起こしたらばどうしますか?

 ドイツでもストライキが起きましたよね。

 経営者や資本家側が求める「うんと低賃金でこき遣って、うんと責任だけは押し付けたい」という目論見が外れている訳です。

 
 日本だって、いつそうなるか解りませんよね?


 移民を擁護するつもりは特別にありませんが、産廃業を営む彼等が、あり得ない積み方をしてトラックを走らせる。けしからん!移民なんか追い出せ!となったとして、では移民が居なくなれば代わりに誰か、清い心と奉仕の精神をもった素晴らしい日本人が「やっと出番ですね!」と現れるとでも思っているのか?


 自己責任論って、誰かに尻拭いをさせたい奴等が常套句として遣うだけじゃないの?


 そんな、裁量権もなければ賃金が変わる訳でもないのに「君は偉いね」という褒め言葉だけで人が動くと思っているのか?


 だったらば、まずは自分が手本を見せてくれとしか思いません。

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