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思いつくまま、犬と猫のはなし

この数ヶ月は、にゃーさんに机の椅子を乗っ取られて、机が使えずに過ぎた。つまり、パソコン作業が封印されちゃった。
ノーパなんだから、どこへでも持っていけばいいじゃん、と思うのだが、
この場所で書きたいという好みあるいは、癖のようなものがあり
まあいっかと、猫の気が変わるのを待っていた。
しかし、
昼間も夜も、嬉しそうに椅子の上で寝ている。
座布団は、猫毛と目やにで再起不能。
にゃーさんも20歳を超え、
ちょっと認知症気味だし、目玉が白くなってきて、
もとから目が弱く、涙目になることは多かったのだが、
最近は、年中涙流し、それが時々黒かったりする。

ブルブルっと体を振ると、
目やにと涙が、あちこちに飛ぶ。

この頃、朝晩、涼しくなってきて、
なんとなく寒いなあと感じ始めたのがわかった。

チャンスだ。

100均で500円だった、猫のフエルトハウスなるものを組み立て
流石にそれだけでは、薄いので、
アクリルのひざ掛けで椅子用座布団をくるみ床にする。
屋根からも隙間風が来ないように、使わなくなったひざ掛けで保護する。

さあ、入れとドキドキしながら、そのまま様子を見たが、なかなか入らない。
何回か、抱っこで押し込んでみたが、すぐ出てくる。

それをくりかえしつつ、慣らして行くしかないなあという数日後。
ちょっと寒い夜に、パニャさんは自分からハウスに入った。
それ以後、椅子は私のもとへ戻った。

過去には、一緒に暮らした犬を2頭看取った。
それぞれ死に方は、違った。
猫を看取ることになるだろうことは、自明だが
やはり、今までとは違うのだろうなと思う。

人もペットも死に方はいろいろだが、
そこには、性格が出るね。

とてもスタイリッシュで、自分のかっこよさを意識していた、柴犬の雑種のクマ(ネーミングセンスなくてごめん)は、おむつをするようになってから、一回だけ、大をおむつからこぼしてしまった。
それを、若い私が、イライラしながら掃除するのを見て、
その日から水も食事もとらなくなった。
彼は、その時、自分はもう最後を迎えるべきだと悟ったのだと思う。
その時の彼の目を忘れることができない。
何事かに気づいた、決心した目だった。

3日めにクマは亡くなった。
最後まで、自分のカッコ悪さを許さないスタイリッシュな犬だった。

もう一頭は、海というやはり柴犬の雑種。
子供の頃、捨てられて、近所の子供達にいじられていた過去を持つ
ちょっと人間不信な犬だった。
が、うちに迷い込んできたのは、まさに、犬生最大の当たりくじだった。
晩年、後ろ足が不自由になり、よたよたしていたのだが、
認知症の老人よろしく、徘徊してくれた。
その頃のにゃーさんは、若く元気だった。
家の中で暮らしていたが、時々、玄関の扉を自分で開けて、
散歩に行っていた。
もちろん、開けるけど、閉めない。
どこの猫も、開けるけど閉めない。

その頃、足腰立たない海は、玄関の内側で暮らしていた。
その開きっぱなしのドアから、ヨロヨロと這い出して、
行方不明になるのである。
最初は、1週間以上見つからなかったので、
もう、どこかで野垂れ死んでいるのだろうと皆、思った。
ある日クリーンセンターから電話があり、
泥だらけの犬が保護されていると、
餌を上げたら、すごい勢いで食べていると連絡があった。

家に連れて帰り、風呂に入れ、
もう、自分で立ち上げれないほどよれよれ。
相方は、もう、死期は近いぞといった。

しかし、復活した海は、それから2度徘徊した。
そして、自分の足で立てない介護状態は、1年に及んだ。

なくなるその日、私は、用事があって朝出かけた。
海は、寝たままだが、行ってくるねと声をかけた。
死にそうになってから、1年も立つので、
今日か、明日かなんてドキドキするのにも疲れてしまっていた。

夕方、家に帰ると、海は、目を開けたまま固くなっていた。
硬直状態から察するに、
私がでかけたあとすぐに逝ったのではないかと思った。
見開いた目は、まだまだ死なないぞという意志のように上を向いていた。
最後の最後まで頑張ったんだねえ。

捨てられて、子どもたちにいじめられながらも、
生きることを諦めなかったから、うちにたどり着いた。
ネズミやモグラを取ることも上手だったし、
散歩の途中で、水木の実をカリカリ食べたり、
野生で生きることもできたかもしれなかったけれどね。

生きることにしがみついた、一生だった。
クマと正反対の最期だった。

思い出したら、
涙がでるけど、
いなくなっても
私の記憶の中には彼らが居る。
いつまでも忘れない。

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