研究書評

6月27日
検証安倍政権、保守とリアリズムの政治

概要:安倍政権が長期政権になった所以

詳細:1つは、総理官邸を中心に政府・与党を含む求心力が強いチームを構築し、重層に味方の結束を固めることに成功したことである。第2次安倍政権の場合、2012年の総裁選での逆転勝利、第1次政権の再チャレンジ組の存在、安倍氏の人柄と巧みな人事、安倍がメンバーである最大派閥の支持と麻生副総理との盟友関係、高い内閣支持率の維持と国政選挙での6連勝がある。連立のパートナーである公明党には譲るべきは譲った。社民党との連立離脱によって弱体化し、小沢・反小沢の党内対立によって瓦解した民主党政権との違いは明確だ。2つは、安倍氏の政治的リアリズムであり、現実を直視してその可能性を見据え、自らの理念を一歩ずつ実現していく姿勢だ。安倍氏は自他共に認める右派の政治家であり、それゆえ心情を同じくする政治家や言論人、団体、有権者の強固な支持を受けた。7年8ヶ月に及ぶ政権運営の中で何度か苦境に陥ったが、この岩盤が安倍氏を支え続けた。同時に、第1次政権の反省を踏まえ、理念に拘泥することなく、プラグマティックな政権運営に務めたことである。アベノミクスを前面に押し出し、日米同盟を重視しつつ戦後70年談話を発表し、日韓「慰安婦」合意を実現したこと、野党の主張を上書きするかのような女性政策を実施したことに現れており、マニフェストに拘束され身動きが取れなくなった民主党政権との違いは明確だ。

結論:麻生氏と組んだのは大きい。新たな政治勢力を生みたければ既存の勢力、とりわけ「保守」=自民党の人たちにも賛同して頂ける政策を並べることが野党に求められているのではないか。民主党政権の失敗の本質として、「政治家の出たがり」が招き、野党として霞ヶ関に反故にされた「コンプレックス」なのかもしれない。次に政権を担うときは霞ヶ関から落ちている課題や「答え」を探してみては。

6月20日
古賀茂明「官邸の暴走」

概要:「官邸官僚」の凄さ

詳細:2000年代の国家公務員制度改革を経た内閣人事局設置の経緯。従来は、幹部職員などに民間からの公募制を導入し、その目標数を決めることや、問題行為がなくても他より優秀な者がいる場合に、局長をワンランク降任させて交代させることなどだ。しかしこの法案は民主党の反対で廃案となり、第2次安倍政権時代の14年にようやく成立した。ところが、高級官僚の公募制や、降任制度などの改革案は抜け落ち、総理の人事権強化などの概念だけが残った。当初は内閣人事局構想に官僚たちは反対。次官・官房長のご機嫌を取りながら出世を狙うというのが普通の役人のパターンとなった。よその役所の人間に評価され、人事権を握られる。当初は政治家ではなく官僚がなるはずだったが、菅官房長官が拒否。官邸の意向を強く受けた人事当局に握られる結果となった。

結論:上手く言語化できなかった。しかし第2次政権は経産官僚中心に行おうとし、経済政策をアピールに使おうとしたが、思いのほか上手くいかず、第3次政権以降は明らかに警察官僚の狡猾さ使い、本人のイデオロギーも相まって有事法制を整備し、「外交の安倍」を推し進めたのだろう。

6月13日
概要:労働党の党改革

詳細:政権への道のり。1992年の党大会おいて、労働組合の投票の割合が90%から70%に減らされることが決まり、また93年には議会立候補者の選出手続きに関して「一人一票制」が正式に導入される。しかし、労働組合の影響力を更に削減する必要があると考えたブレアら「モダナイザー」と呼ばれるグループは、1993年の党大会において、①一般党員が増加した際には、党大会における労働組合票の比率を50%に低下させること、②労働組合のブロック投票をやめ、一代理人一票のシステムを導入することを提案し、承認された。ブレアが党首となったのちの95年に、一般党員の増加に伴い、労働組合票の比率は50%に減らされる提案が承認されるにいたる。その結果、それまで周辺的であった一般党員の影響力が、党大会の中心を占めるようになった。

結論:逆に日本の左派野党は、公式な活動家よりも、非公式の周縁に巣食う厄介な連中を排除する必要があるので、その実態を解明するのがよいのではないかと思った。


6月6日
現代イギリス政治第2版

概要:行政の実施主体。官邸権力というより、日英の大臣のリーダーシップの比較。

詳細:まず、閣外大臣の概念について、首相や閣内大臣の下に置かれ、閣内大臣の業務の一部を分掌する大臣で、一部の例外を除き閣議には出席できない。閣外大臣は、所管大臣との協議を経て首相によって任免され、担当大臣と政務次官に二分される。担当大臣は、省庁の所掌事務の一部を管理し、省庁を代表して議会の答弁を行うことができる。政務次官は、担当大臣を補佐する一方で、議会での答弁を行うこともある。各省庁では、閣内大臣を筆頭に、担当大臣、政務次官が「大臣チーム」を形成して省庁を運営する。政策過程を決定と実施とおに分離したとき、決定を行うのは大臣と行政官である。政権を担う政党から100名を超える政治家が閣内大臣あるいは閣外大臣として行政組織に乗り込み、行政組織を直接指揮して公約の実現および実施を目指す。また、行政官は、大臣たちへの性悪提言者としての役割に特化していく傾向がみられるが、省庁横断的に人事が行われることが大きな特徴となっている。以前、政治任用の官僚を増やせば政権がリーダーシップを発揮できると自身で結論付けたが、まとめると、

イギリス:経産省、外務省といった「5つ星官庁」=主要省庁・政府の肝いり政策の大臣=政治家を補佐する(学者・ジャーナリスト・研究員)→官僚を政治任用すれば、行政機構全体=政権を支援しろというメッセージになるため、官僚からの政治任用はされず。

日本:一部の総理補佐官、官房副長官補、内閣情報官といったほんのごく一部にのみ認められている。個々の大臣がリーダーシップを発揮するというより、感覚的には従うというより助けてあげるというおんぶにだっこが近い。

結論:政策の実施主体を理解した。例えば経済産業大臣なら、英国の場合、経産大臣の下に賃上げ担当大臣や、経済産業政務官が設置され、大臣省大臣のみが閣議に出席する。これを受け、従来は通産大臣と通産政務次官しかいなかったため、副大臣と政務官という役職を設置した訳だ。「閣外大臣」という名の担当大臣は、日本では副大臣に当たるのだろう。

5月30日
現代イギリス政治第2版P.5

概要:イギリスの議事運営

詳細:議会が始まると、それ以降の政府のリードで運営される。イギリスには議院運営委員会が存在しない。そうなので、ここでは政府代表が実質的にマネージャー役を務める。この役目は、自分も閣僚のメンバーである院内総務が担う。院内総務は、次の週のスケジュールを下院の全議員に告げ、さらに政府提出法案を含む「政府案件」(全議案の約60%を占め、議事規則により優先的に審議される)の進行を指揮する。そしてこれらの仕事がスムーズにゆくよう、院内幹事長とその支配下の院内幹事たちが与党議員を督励して、政府支援の行動をとらせるのである。従って、政府は議会に対して終始優位にたてる。議事運営にはいつもその姿が見え隠れする。

結論:日本政治において、最近の与党内で賛否があった法律といえば、入管法改正案(?)だろうが、やはりそれも「与党」で党議拘束をかける点にポイントがあり、議会内で明文化しない点に、自民党政権を中心とした制度なのだろうと感じた。

5月23日
川人貞史「シリーズ日本の政治―議院内閣制」

概要:英独仏白などの政官関係にかかる政治家の補佐。

詳細:人事権は、本人が代理人を選抜する制度であり、できるだけ能力が高く本人と政策選好が一致する代理人を選抜することによって、本人と代理人の間で利益が対立しないようにする。多くの国においては、大臣は、省庁の幹部の任命権を持っている。フランスやベルギーでは、大臣が省内に政治任用する大臣キャビネがある。フランスの場合、各大臣キャビネは5~40人程度、全体で720人程度(大統領、首相キャビネを含む)であり、その7~8割が国家公務員の身分を保有する高級官僚から任命される。大臣キャビネは、閣僚の政策立案の補佐、閣僚の施政方針の具体的方策の検討、省庁内の政策の実現に向けて国会工作などを担当し、政治と行政、政治家と行政職員、政治機構と官僚機構の間の橋渡し役を演じている。イギリスでは、各大臣が各省の職員として特別顧問を、通常の公務員試験によらず、外部から政治任用することができる。こうした特別顧問は、各大臣が2名まで任用することができ、政治家に対する政策の助言者としてスタッフの機能を果たす。ブレア政権期の1997年には、官僚を指揮する権限を付与できるようになってライン職の政策を持ち合わせることもあったが、政治的に中立な一般職公務員が担当できない党派的な立場に立った政策立案への関与や、党の議員や外部利益団体との連絡調整などを行っている。

結論:内閣に参画する政治家や政治任用による官僚といった数を増やせば政権をコントロールできるのかという疑問が生まれ、小泉・民主党政権以降の担当大臣や補佐官、副大臣や政務官の増員といった動向が注目される。

5月16日
川人貞史「シリーズ日本の政治―議院内閣制」

概要:日英の官邸比較

詳細:ブレア下のイギリスは、コア・エグゼクティブモデルと言われ、中央政府の諸政策を調整し、政府機構の異なる部門間対立の最終的調停者として行動する全ての組織および手続きを指す。大臣と高級官僚をつなぐ非公式のネットワーク中心の首相の存在が強まり、強化された官邸と内閣府が事実上の首相府となった。政府の政策決定は、政策分野ごとに首相と関係大臣および高級官僚との間での調整を通じて行われ、内閣は合議体としての特性が弱くなり、閣僚が自分の所管行政以外の問題の決定に参画することはいっそう少なくなっている。日本でも橋本政権以降、内閣・官邸主導の体制ができた。総理が日常的に執務するオフィスは総理官邸だが、官邸はそれとともに総理および側近からなる集団(副総理・正副官房長官・内閣官房幹部)を指す。総理動静に記載された役職ごとの面会人数を内閣の一定期間で集計し、総延べ人数に対する役職ごとの面会人数の比率を比較している。官邸主導が特定の役職者との面会比率の相対的増加を反映していると仮定して分析を行い、官邸主導が内閣機能強化の制度変化によるものか、それとも政策転換を行おうとする総理の行動パターンの変化によるものか、総理を補佐するスタッフの増加によるか検証した。その結果、①2001年以降の総理はそれ以前の総理に比べて、各省官僚や与野党一般議員よりも、内閣官房・内閣府の正副官房長官・特命担当大臣・官僚、各省の政務三役、与党幹部との面会の比率が高い、②民主党政権の総理は、各省官僚や与野党一般議員よりも、内閣官房・内閣府の正副官房長官・特命担当大臣・官僚、各省の政務三役、与党幹部との面会の傾向が一層強く、、内閣官房・内閣府の官僚とは面会が減少していた。このことから、2001年以降の官邸主導は、制度変化によるものであると結論付けた。

結論:「政治主導」とは官僚を排するものではなく、官僚を使いつぶすものでもなく、伴奏者であるべきではないか。

批判:

5月2日
川人貞史「シリーズ日本の政治―議院内閣制」

概要:レイプハルトのマジョリティアンモデルとコンセンサスモデル。英国は前者の多数派モデルなので、マジョリティアンモデルを中心とした議会運営について記す。

詳細:マジョリティアンモデルでは、政府が議会の多数派の支持を確保しており、政府提出法案を与党議員の賛成によって無修正で可決・成立させることができる。政府は与党議員の造反には注意しなければならないが、野党の支持を期待する必要はなく、どのように野党が反対しようとも、与党が多数を押さえているので、可決・成立させることができる。野党は立法における役割と影響力を限られており、政府政策を批判し、有権者にアピールして次の選挙で多数派になることを目指す。①政府が議会の議事をコントロールすることが多く、コンセンサスモデルの議会では、議事は政党・会派間の合意あるいは政党・会派との協議を経た上で議長によって決定される。②コンセンサスモデルの議会においては、最も重要な活動は委員会で行われるが、マジョリティアンモデルの議会においては、本会議が主要なアリーナである。③コンセンサスモデルの議会では、法案は本会議で審議される前に委員会に付託される。これによって法案が与野党協調モードの全会一致によって修正される場合が多くなっている。他方、マジョリティアンシステムでは、法案は通常、本会議で承認された後ではじめて委員会に付託されるが、そのときには、すでに問題が政治化して与野党間の交渉による修正は難しいことが多い。

結論:議会が多数決の場となり、世界でもまれにみる立法への関与が少ない英国野党だが、政府の政策に関与し続ける分、「議員政党」的な「小粒な」視点はなくなるのではないか。議員個人の資格で動く猶予をなくせば、余計な主張をする議員はいなくなると思った。

批判:日本がGHQの指導を受け、帝国議会より委員会中心主義に変容した経緯が分かった。いつまでも「戦後民主主義」をありがたがる必要はないのではないか。

4月24日
川人貞史「シリーズ日本の政治―議院内閣制」

概要:日本における議院内閣制の類型

詳細:議院内閣制においては、内閣が積極的に立法提案を行って主導的な立場をに立つのが通常であり、国会の多数党によって支持された内閣が提出した法案は、少数党である野党が反対しても、内閣を支持する多数党の賛成によって可決されることになる。権力分立制と組み合わせた国会中心主義によって、内閣は立法権に制度的に介入できないのである。しかしながら同時に、議院内閣制も権力分立制と組み合わせているので、内閣は単に国会に対して責任を負うだけの存在でなくなる。権力分立制は、議院内閣制における政官関係の委任・責任関係を弱くし、大臣と行政官僚制による行政権行使を保障するように働いたのである。こうして戦後の政治システムは、権力分立制と組み合わされた国会中心主義および権力分立制と組み合わされた議院内閣制としてスタートした。しかし公式制度化された議院内閣制は、多数党が少数党の反対を押し切って内閣提出法案(閣法)を可決成立させることを求めたのである。国会中心主義(議会優位)と議院内閣制は、イギリスのように権力の融合の下では対立しないが、わが国のように権力分立制と組み合わされたときには、矛盾・対立する可能性を持ち、戦後政治過程に特定の政策的帰結をもたらしている。国会は固有の立法権を活用して閣法修正や議員立法を行い、国政調査権を行使して、政府諸機関に対して本人の立場に立つ。

結論:①議院内閣制においては、内閣および首相は、国会中心主義的議事運営によってもたらされる手続的帰結を基本的には好まない
②議院内閣制においては、内閣および首相は、議員提出法案が可決成立することによってもたらされる政策的帰結より、基本的に好まない。

批判:戦後の行政国家化の進行により、内閣中心主義は帰結すると分析していた。国会の形式化を防ぎ、国会を通じた政策形成にしなければ権力が偏重するのではないかと考える。

4月10日
近藤康史(ちくま新書、2017)、「分解するイギリス -民主主義モデルの漂流」 P.212-237

概要:イギリスはもはやモデル足り得ないのか

第一に、多数決型・コンセンサス型という分類は、現在すでに存在している民主主義制度が、どちらのタイプに近いかを判定するために用いるものであって、それを理想像として目指すべきモデルとして作り出されたものではない。第二に、多数決型にしてもコンセンサス型にしても、純粋にぴったり当てはまる国はない。つまり、多数決型・コンセンサス型という分類は、そのどちらかでなければならない「理想型」を示したものでなければ、意図して制度が形成されてきたような「到達モデル」でもない。多数決型とコンセンサス型という類型のどちらかにどれだけ「近付けるか」という発想で将来像を考えるよりも、現在のような「分解」の状況を受け入れつつ、さまざまな民主主義的回路の付加や、制度的パーツの部分的修正を施していくことが、より現実的にありうる展望であろう。

批判:制度上の欠陥ではなく、筆者なりの英国制度がモデルとなりえない理由について、限界や問題点を指摘していた。

4月11日
選択理由:英国制度の限界点に迫る

概要:分解するイギリス

詳細:
①二大政党制=主に得票率における多党化が進んでいる
②小選挙区制=維持されているが、部分的には効果の弱まりも見られる
③政党の一体性=政党横断的な争点により政党内対立が目立ち、一体性は弱まっている
④執政・議会関係=有権者の直接的支持を基盤とした執政への集権化が進められている
⑤単一国家=分権化が進んでいる
⑥議会主権=国民投票や大統領制化、分権化との関係で、その価値が問い直されている

批判:日本で国民投票が土壌に乗るのは憲法改正に係るのみのため、日本で多党化が進む背景を分析することに限界はあるし、英国で解決手段を住民投票に求めるのは自爆に等しいと思った。

1月18日
近藤康史(ちくま新書、2017)、「分解するイギリス -民主主義モデルの漂流」 P.40-82

選択理由:政権・与党内や国民間における政策実施に係る「合意」と、政策過程の途中で露になる「対立」を考察するため。                                                                                                         

 概要:イギリス政治を「合意」と「対立」の点から分析したもの。

 批判:イギリスで二大政党制が起こる原因として集権化を挙げていたが、日本も郡県制による集権国家だが、それが起こらない要因が納得いかなかった。

 詳細:まず議院内閣制は、大統領制と違い、代議制を徹底した色合いが濃く、政治エリートによる支配を「良しとする」前提にあるとしている。そしてまた、イギリスの二大政党制は、国民の階級意識によるもので、政党交代による政策変更は、毎度のごとく「対立」を招いている。では、その合意について見ていくと、戦後のイギリス政治は政策的一貫性がもたらされており、第一に「完全雇用」、第二に「労働組合容認」、第三に「基幹産業の国営化」、第四に「国家による社会保障や福祉の提供」、第五に「積極的な市場介入」にあった。これらは国家の役割を一定程度大きくするという方針で、国民の間における階級対立の「和解」であり、市場の役割を尊重しつつ国家が経済成長を推進していくことを通じて豊かな層の支持を受けることを可能とし、他方で市場が生み出す不平等やリスクに対しても国家の政策でそれを緩和することによって労働者層の支持も獲得できるのである。1990年代以降、冷戦構造が崩壊してからは、「ネオ・リベラル合意」とも取られる政治過程が形成される。労働党のブレアは、「第三の道」で新自由主義的な市場競争を否定しながらも、労働党は「小さな政府」を前提としていたのである。ブレア労働党は、経済における国家の介入を制限するとともに、福祉の削減を市場競争で補おうとしたことにある。国民の政治意識の帰属で「右」や「左」といった意識が「極」にいけばいくほど、政党はそれらの層に向けた政策を展開し、国民の間で分断が広がるモデルも立証されており、そのタイミングで「第三局」とされる中道政党が票を集め、キャスティングボートを握り、連立入りして左右どちらかの二大政党に寄れば、瓦解をするため、まさしく第三局は健全な二大政党制こそ「使い捨て」だといえる。昨今の投票率の低下は世界中で共通しており、まさしく左右の二大政党が似たり寄ったりな主張で包括政党と化したため、政策対立ではなく、スキャンダルや不祥事によるもので、政党も国民も「総中道化」したことは歴史的な必然なのかもしれない。

 

結論:野党第二党は自らを「第二自民党」と称したが、第三局が不在で混迷するアメリカを見れば、第三局の意義は特に政策対立が「極」に至った点で真価を発揮するために必要なことが裏付けられた。だから、他党制を前提としたドイツでは第三局がある程度好き放題にしても問題はないだろうが、日本は選挙制度上、二大政党制を前提としているところか、二大政党制の国家で第三局が「連立入り」が何よりの毒まんじゅうであり、野心を示せば最後のことは緑の彼らには分からないのだろう。

1月11日
近藤康史(ちくま新書、2017)、「分解するイギリス -民主主義モデルの漂流」 P.40-82

選択理由:イギリス民主主義を理想とするが、その限界性を考察するため                                                                                                              概要:二大政党制・議会主権・政党の一体性・「執政優位」といった言葉で表されるイギリス政治の強みを「安定」という観点で分析したもの。

 批判:学説によると、イギリスは「中間層」や「労働者層」といった階層自認に基づく投票により、その民意が保守党と労働党の二大政党に集約されてきたというが、日本ではその階級意識がない限り二大政党制は実現されないのかと思った。それを限りなく実行したのが日本の自民党であり、憲法改正という「イデオロギー的な」集約と女性活躍や子育て支援といった社会政策の積極性により包括政党たらしめた要因も考察する必要がある。

 詳細:日本で「イギリス型」や「強い首相」と理想視されてきたことは、「強い官邸」でもなく政党と議会の凝集性に基づいた「強い議会」であったことが分かった。実際、法案提出の中身を見ると、政府が90%、議員が10%となっており、政権の政策を実現するための議会であるから、首相の権力も比例して強くなるのである。このような強力な執政・議会関係は「選挙独裁」という懸念もあるが、その中で議会の役割は執政を支えると同時に監視し、大臣に政策や統治の成功・失敗の責任やそれについて説明する「アカウンタビリティー」を有している。実際、近年ではサッチャーやブレアらによる「官邸強化」が焦点に当てられがちだが、首相個人に左右される一過性に過ぎず、イギリス政治は伝統的に「強い議会」が「強い首相」を支えていたことが分かる。実際、トップダウン型やボトムアップ型の首相はたくさんいた訳だが、官邸を究極に強化した「トップダウン型」のサッチャーはあっさりと与党議員たちによって退陣させられたのだった。

 

結論:「脱官僚」だとか「政治主導」だとかも必要だろうが、矢印の向きを官僚から議会に向けてみれば日本における政治改革に寄与しうるのではないかと考えた。私には、民主党は霞ヶ関との対決を選び、安倍政権は官僚機構の「私物化」を選んだように映るので、真に「政治主導」を実現したいなら、強い国会の下で議員たちが思う存分政策を考えて頂きたいと思う。

12月7日
嶋田博子「政官関係をめぐる英国下院特別委員会報告書-『書かれた理想』と現実との落差-」 P.83-85

選択理由:下院特別委員会が指摘するイギリスの政官関係を考察する

概要:2009年ブラウン・2013年キャメロン両政権の報告書

 批判:次は与党議員が政権に参画する仕組みについて精査したい。閣外大臣は副大臣、政務次官は政務官に該当するだろうが、日本の場合、政調会に配分されるが、イギリスの場合はバックベンチャー(議会で賛成するだけの要員)に成り下がってしまう懸念があるのではないか。

 詳細:2009年のブラウン政権期の報告書は「良き政府」(Good Government)がある。日本では民主党政権下の2010年4月9日の衆議院内閣委員会で自民党の甘利明氏が菅直人副総理への質問でこの報告書に言及し、「副総理がイギリスを視察し、その制度が最高だと言った2 週間後にイギリスの下院行政特別委員会が我々のやってきたやり方はうまく機能していないという報告を発表している」と追求したことは皮肉なことだ。これは、閣外大臣や政務次官が自身の存在を示すことに汲々となって、周りの事務方が振り回されて長期視点の政策づくりや通常の業務に大いに支障を来しているという内容であった。同報告書では、冒頭、「英国は政府機能に関しては世界のトップグループであるが、決してリーダーではない」とした上で、問題の一つとして行政府に入る政治家が多すぎることが取り上げられている。また、「行政を政治的文脈から切り離すことは不可能でも、行政機能に与える政治の悪影響を減らすことは可能」「新基軸を打ち出そうとする政治の要求を制限するには政治風土の変革が要る」として、短期の成果やメディア記事にとらわれすぎないこと、大臣等の要求が引き起こす妨害を自覚することがまず必要であるとも指摘され、この時期に日本で盛んであった選挙万能主義や行政官への政権との一体化要求とは異なる方向が打ち出されている。また、行政官は伝統的な大臣への政策助言だけでなく、大規模プロジェクト等の執行能力を重視すべきこと、政策立案では他国に学んだり、政治的得点稼ぎのためでなく数を減らして丁寧に検討したりする必要があること等も指摘されていた。2013年のキャメロン政権の報告書は、「政府の変化:リーダーシップのアジェンダ」(Change in Government: the agenda for leadership)では、こうした批判も踏まえて政府が公表した2012 年の公務改革計画では、大臣が政府の政策に意欲的に取り組まない幹部公務員を排除できるよう、公務員の人事評価結果に対して意見を述べる権利や、従来の人事非介入原則を転換し、事務次官の任用において候補者リストの中から特定の人物を選定する権利を大臣に与える見直し等が提言されている。また、「権力への真実:公務改革が成功するために」(Truth to power:how Civil Service reform can succeed)と題する二部構成の大部の報告書を公表し政権による「つまみ食い」の改革案に対し、同委員会は、異例ながら唯一の提言として、公務に関する両院合同委員会の設置を求める。提言の根拠として、持続可能な改革には包括的な勧告の基になる外部の調査分析を要するが、日々の困難な問題に追われる大臣や行政官には無理であることが挙げられ、政府が示した改革計画が本質から目を逸らした小手先のものであることを示唆する。報告書はまた、「公務員は現在の政府に仕えるだけでなく、将来の政府にも仕える」として、公務の役割の本質的な改革は(時の政権ではなく)国会が審査すべきものとしている。ここでは人事非介入原則を変えて大臣の任命権を発動しようとする政府側と、行政官の「権力への直言」を担保するとしてこの原則を擁護する下院側との対立がみられる。最終的に、事務次官選任への大臣の関与は断念され、選考委員会が複数の候補者を選考した上で首相による選択とする仕組みが導入された。

 

結論:官僚の「政治化」はどこの国でも必然化している、しかしイギリスの場合は政党横断で検証している。日本も国勢調査権を行使し、徹底的に洗うことが真の行革ではないか。「身を切る改革」は改革にあらず、徹底した検証こそ必要だと考える。

11月30日
嶋田博子「政官関係をめぐる英国下院特別委員会報告書-『書かれた理想』と現実との落差-」 P.79-85

選択理由:イギリス流の政治主導を模索するため。

概要:ブレア政権時代の政官関係に関する下院特別委員会の報告書の分析。

 批判:ブレアがリーダーシップを手にした道筋が不明だった。

詳細:まず、イギリスの行政府の状況については、下院の特別委員会が担当分野ごとに定期的に報告書を公表している。特別委員会とは、法案を検討する一般委員会(日本の常任委員会)とは別に、各省庁の業務や経済問題など行政機関の監視と調査報告を目的に設置された省庁別・機能別委員会であり、所属政党にかかわらず超党派の立場で議論が行われ、報告書には原則として60 日以内の政府回答を求める。そのうち行政官の在り方が扱われるのは、数少ない省庁横断的委員会である行政特別委員会、現在は行政憲法問題委員会で、毎年10 本前後出される報告書のうち、政官関係を主題とするものは数年に1 回だったが、近年はこのテーマが取り上げられる頻度が上がっている。こうした報告書では、現役や退任直後の大臣・幹部行政官などの陳述や文書回答でのコメントが多々引用され、政官当事者の認識をみる上で参考となる。以下は歴代の報告書をまとめたものだ。まず2007年のブレア政権時代、の報告書では、冒頭に、環境食物地域省の農地への支払制度の失敗、内務省の国外退去すべき外国人収監者の捕捉失敗、国民健康保険の収支バランス失敗の例を挙げ、大臣と行政官の双方が相手の能力欠如を公の場で批判し合っている現状に対し、行政官は大臣にのみ説明責任を負うという妥当性への疑問が示していた。①腐敗・情実の防止、②とりわけ政権交代後の継続性、③政策背景に関する深い専門知識と『組織的記憶』の保持、④求める結果を得るために必要な政府機能に関する実務的知識、⑤忠実で献身的だが節度をもった政治的に中立な立場から政治的熱狂に対峙する分析的な批判・民主的過程に必要なヘルスチェック、⑥住民サービスに対する「揺るがぬ倫理的基盤」を挙げた上で、「実際にはこれら利点が得られていない場合がある」としていた。

結論:イギリスは圧倒的に行政権を抑制・検証する制度が整っている。日本は総理大臣が「やる」といったことは無造作に実行されるが、それが適切に運用されているのかや、意思決定に問題がなかったかを検証する仕組みが全くといっていいほどない。前政権の制度の名前を変えて継続し、そして「攻撃を加える」という姿勢で国は前進しない。


11月23日
上條諒貴「政党内政治と内閣の終了ー党首選出制度の視点からー」
選択理由:強い執政府を構築するためのモデルを模索するため。 

概要:同一政党内での首相の交代という現象を、党首選出制度の違いから説明しようとするものである。

批判: 党首選出制度の開放性と首相交代の関係は、国や地域によって異なるのだろうか。これらの点について、今後の研究で明らかにすることで、党首選出制度の改革や首相交代の予測など、政治の理解や分析に役立つ知見が得られると期待される。

詳細:党首選出制度の開放性と首相交代の関係について、候補者選出制度の研究から示唆を得て論じたものである。まず、本稿は、党首選出制度の開放性とは、一般党員が党首選挙に参加できるかどうかを示す尺度であることを説明する。閉鎖的党首選出制度では、議員のみが党首選挙に参加できる一方、開放的党首選出制度では、一般党員も党首選挙に参加できる。次に、本稿は、党首選出制度の開放性が首相交代に与える影響について、以下のような仮説を立てている。党首選出制度が開放的であれば、首相交代が起こりやすい。一般党員は、議員よりも国民の意見を反映しやすい。一般党員が関与する選挙では、政策や能力などの要素だけでなく、人気やカリスマ性なども重視されるため、より多様な候補者が選出されやすくなり、党内の対立が激化しやすくなり、首相の交代を促す要因となる。この仮説を検証するために、オーストラリア、カナダ、日本、イギリスの首相データを用いた実証分析を行った。その結果、一般党員が関与する開放的党首選出制度の下では、議員のみが関与する閉鎖的党首選出制度の下よりも首相交代が起こりやすいことが示された。予備選挙では、一般党員が関与する選挙において、候補者の政策位置とは区別された、いわゆる「ヴァレンス」と呼ばれる個人的要素が重視される。ヴァレンスには、カリスマ性、誠実さ、専門知識などの能力、リーダーシップ、選挙運動の技術などが含まれる。セッラらの研究を引用して、閉鎖的候補者選出制度では、議員から近い政策選好を持つ候補者を選び出すことができるという利点がある一方、ヴァレンスの高い候補者を選び出すことは難しいと指摘している。一方、開放的候補者選出制度では、ヴァレンスの高い候補者を選び出すことは可能であるが、議員から近い政策選好を持つ候補者を選び出すことは難しいと指摘している。つまり、党首選出制度の開放性と首相交代の関係は、ヴァレンスの重要性という観点から理解することができる。党首選出制度が開放的であれば、ヴァレンスの高い候補者が選出されやすくなり、首相交代が起こりやすくなると考えられる。しかし、本稿は、この仮説に反対する意見があることにも触れている。その意見によると、一般党員は、政策や能力などの要素について、議員よりも十分な知識や判断力を持っていない。そのため、一般党員が関与する選挙では、政策や能力などの要素よりも、人気やカリスマ性などのヴァレンスが高い候補者が選出されやすくなる。しかし、こうした候補者は、必ずしも政策や能力において優れているとは限らず、結果として、首相交代が起こりやすくなるという。

 結論:予備選挙は諸刃の剣だと分かった。政治家の根本にある大衆の軽蔑があり、かといって大衆を無視するような政策は民主主義として欠陥だといえるのではないだろうか。


高安健将「英国における執政機能の強化―首相の権威・内閣の合議制・各省の自律性―」 P.45-52

選択理由:イギリスの政官関係の推移の集大成。他党から政権を奪取した際の正統性の得方を考察する。

 概要:1997年に下野、2010年に政権へ復帰し、イギリスの憲政史上初となる本格的な連立政権における政策決定過程を分析したもの。

批判:どういった法律に抵触するのかという懸念に対する記述がなかった。日本だと国家公務員倫理規定に反するのだろうが、法理上の規定が気になった。

 詳細:イギリスの政官関係は、近年、政治指導者による官僚制に対する不信感から、官僚制の政治化が進んでいる。サッチャー政権以降、イギリスの政府は分権化を進め、現場の自主性を高めて効率性を向上させてきた。しかし、キャメロン政権以降、政治指導者たちは、現場の自主性によって政治意志が十分に貫徹されていないという不満を強めた。そこで、キャメロン政権は、公共団体、特に特別法人に対して、大臣と本省によるコントロールを強化する改革を行った。また、政治スタッフを増員し、官僚制に対する監視・監督を強化した。このような改革は、官僚制の政治化を進めることになった。官僚は、政治指導者の不信感を意識して、忠誠心を示すように求められるようになった。また、政治スタッフの増員によって、官僚と政治家との距離が縮まり、官僚の独立性が損なわれるようになった。こうした政治化は、官僚制の中立性とパフォーマンスを低下させ、腐敗をもたらすという批判もある。一つ目は、「政治指導者の意向を忖度して、政治的に都合のよい報告や提案を行うようになる」ことで、二つ目は「特定の党派的利益に有利・不利になるように行動するようになる」ことで、三つ目は「官僚と政治家との癒着が進み、腐敗が生じる可能性がある」ことで、四つ目は「イギリスの政官関係は、今後も政治化の傾向が続くと考えられる」ことだ。その結果、官僚制の中立性とパフォーマンスが低下し、政府の信頼性が損なわれる可能性がある。

 

結論:どこの国も官僚の「政治化」が深刻だと分かった。真の「強い政府」は現場に権限を持たせ、自主性を与えることであり、キャメロンも保守党内で社会政策に強い関心を示す「思いやりのある保守」と称しているが、社会政策推進のために官僚を集権化すれば政治化という懸念がつきまとうことが分かった。「言うことを聞かせる」ことが政治主導ではないと強く感じた。

高安健将「英国における執政機能の強化―首相の権威・内閣の合議制・各省の自律性―」 P.33-45

11月9日
選択理由:今日に入り、ますます「無責任の大系」が瀰漫する中、日本の民主制について考察する。

概要:官邸権力の意思決定の推移を分析したもの。

批判:イギリスの政治家が集権化に成功した背景が気になった。法整備の過程はものすごく分かった。政治とは歴史の積み重ねであり、時の政権で発覚した、生み出した弊害に目を背け続ければ国家は破綻してしまうと危機を感じた。

詳細:イギリスの政府は、内閣を頂点とする集団指導体制である。内閣の下には、内閣委員会が存在し、政府全体の調整と方針決定を担っている。内閣委員長や委員の任命、付託事項を決定する権限は首相にあり、首相が政府を率いる上で重要な権力資源となっている。内閣府は、首相の補佐機構として、内閣委員会の運営や、政策立案、情報収集、広報などを担っている。内閣府の出現は、予算のみならず人事の面でも政府内調整の中心であった財務省との緊張関係を生み出した。しかし、内閣府は財務省の直接的な支配を避けつつ、独立の機関として発展してきた。首相の補佐機構が突出することに対する警戒感は、イギリス政治に長くあった。だが、実態として、首相の補佐機構は、年月を経て政府中枢で確実に発展してきた。内閣府は、労働党政権時代には、内閣や大臣たちによる集合的決定を補佐する組織から首相個人も補佐する組織となり、現在は首相と内閣の双方を補佐する組織と位置づけられている。このように、イギリスの政府は、集団指導体制を維持しながらも、首相の権限を強化する方向で変化を続けている。この変化は、首相の指導力を強化し、政府の迅速な意思決定を可能にする一方で、合議制の原則を弱める可能性もある。

 結論:集権化と高度な合議制を維持する部分に、政治家の良心を感じた。技術が日々進歩する中、政治においてイノベーションが一行に進まず、口を開けば「大阪では~」をはじめる人たちや「○○を守れ」という人たちは不要だ。責任ある政治を求める。

11月2日
英国における執政機能の強化―首相の権威・内閣の合議制・各省の自律性―高安健将 P.26-34

選択理由:どの首相、どの政権政党になっても一貫して「強い首相」であり続けたイギリスの内閣制を分析する。前回はイギリス政治における政官対立を見たので、今回は、政官関係の整備、意思決定プロセスに焦点を当てたものだ。なお、論文が長いため、3つに分けて読む予定である。

 

概要:イギリス政治の特長と官僚の質的変容をまとめたもの。

 

批判:保守の政権は官僚と対立しやすく、左派の政権は官僚が協力的な態度を取っていることが分かった。日本でも霞ヶ関による倒閣運動はあるのだろうか。各国で政治家が官僚の「政治化」を求めているのが課題であり、イギリスの場合は主張が通らないのなら自分からやめて政権を倒す心意気だろうが、日本の場合は人事が掌握されているから黙っていう事を聞く姿勢は文化の違いなのだろう。

 

詳細: イギリス政府は、合議制(集合的決定)、各省の自律性、首相の権威、という3つの異なる原理に依拠して作動してきた。各省の自律性とは、日本的に言えば、お馴染みの分担管理原則に基づくものであり、セクショナリズムとも結びつく原理である。イギリスではさらに担当閣僚のリーダーシップを含意することもある。各省の自律性のうえにどのように政府全体の調整と統合を行うのかという課題は、各省の自律性を考える時に必然的に登場するテーマである。従来、イギリス政府における調整と統合は、内閣を頂点とする委員会システムならびにその事務局を担う内閣府、そして大臣秘書官などの官僚制内ネットワークによって確保されてきた。イギリス官僚の特徴について、政治的中立性、専門技術者よりもジェネラリスト中心、終身雇用に基づく恒久性、官僚による政策的助言のほぼ独占、という要素がある。それでは、大臣と官僚の一体性とは何を意味するのか。それは、対外的には大臣と官僚が一体不可分で共生関係にあること、大臣が省を代表して議会に対し説明を行って責任を果たし、官僚は責任を問われない代わりに政府の政策を全力で支え匿名性を維持すること、対内的には大臣の設定した目標に対して官僚が批判や制裁を恐れずに意見を表明して政策運営を大臣との共同事業として行うことを意味した。官僚は時の政府そして関係大臣から独立しては存在しない一方で、単に大臣の決定を忠実に実施するだけの存在ではなかった。第1に政府運営に関する知識の集積、第2に大臣の決定の効果的な伝達、第3に政策プログラムを実施するにあたっての賢明かつ誠実な助言、そして第4に国家権力の乱用に対する守護の4つである。しかし、近年、英国の政官関係は、過去に例をみないほどに緊張しており、相互不信の中にある。特にそれは政治家の側から始まった不信感である。政治の意思が官僚の抵抗で貫徹しない、そして官僚が政治の意思を効果的に実施できないという不信感である。官僚の側からすれば、政治家は官僚制を敵視して、忠誠心を要求し、民主的代表に対する応答性と称して「政治化」を求めているようにみえた。

 

結論:前回に続いて、高安先生の論文を読ませて頂いた。先生の著書『議院内閣制』も読んでいるので、内容が入ってきた。イギリス政治が評価できる点は政府=政権の「高度な」凝集性であろう。大きい政府、小さい政府の議論から「強い政府」の転換へ。

10月26日
高安健将「政党政治と執政政治、首相の日英比較」

選択理由:イギリスを参考にする、日本の政官関係を研究していく上で同国の官僚制に関する論文を選んだため。

 

概要:英国の政官関係を捉える伝統的な視座である「ホワイトホール・モデル」とその含意を整理したのち、政官の相互信頼に代わって広がる、政治家たちの側の官僚制不信を確認する。こうした背景の中で、執政機能の強化がどのように進展してきたのかを、集合的決定を担う内閣システムと首相の補佐機構の整備拡大の傾向、そしてキャメロン政権の執政機能強化策という観点から検討したものだ。

 

批判:官僚が政治家に不信を抱き、退任する流れが押し寄せる様相を描いているが、その理由が分からなかった。まず日本では逃げることすらできないのでは?特に保守党政権で官僚の「反乱」が起こるらしい。よくも悪くも「自主性」のあるイギリスと、黙っていてもついて来る日本では違うのでは?イギリスは放っておけば政権を倒すほどの脅威があるらしいが、日本で霞ヶ関からの倒閣運動の例はあるか?

 

詳細:イギリスの官僚の役割として、対外的には大臣と官僚が一体不可分で共生関係にあること、大臣が省を代表して議会に対し説明を行って責任を果たし、官僚は責任を問われない代わりに政府の政策を全力で支え匿名性を維持すること、対内的には大臣の設定した目標に対して官僚が批判や制裁を恐れずに意見を表明して政策運営を大臣との共同事業として行うことが目標とされた。「首相官邸は首相のために働き、首相の望むことを実現するためにある。内閣府は大臣たちを集合的に補佐し、見解の不一致がある場合には大臣間の仲介役として動く」。内閣府は、内閣委員会を支援して、他の省庁を通じた政府目標の伝達を調整する様々な部門から構成される。現在職員数は2000人を超え、その多くがホワイトホールで勤務している。首相官邸で働く職員は内閣府の一部である。従来、上級官僚の役割は、大臣の(唯一の)政策顧問という位置付けであった。サッチャー政権は、上級官僚たちの役割を、政策の提言者よりも、政策の執行役として捉え直そうとしたのである。官僚たちに期待されたのは、大臣の方針に対して、‘Yes, but’と述べて政策の問題を指摘することよりも、政策実現の請負(‘can do’)となり、首相補佐機能としての意味合いが強かった。現状では、英国政府は政官関係を根本的に変えて、官僚制に対する政治的コントロールを強化し、執政機能を向上させようとしているわけではない。政治的に 中立で恒常的な官僚制は維持されている。しかし、党派を問わず、政治指導者は 官僚制の現状に満足していない。いかにすればより良い政策的助言の提供・入手と効率的効果的な政府運営が可能になるのか、英国の政治指導者たちも官僚たちも、強い緊張関係の中で手探りを続けている。

 

結論:日英ともに政治家の官僚不信は共通している。日本では通産官僚と政治家が手を握り悪いことをしていた「悪友」としての色彩が強いが、イギリスでは国益よりも省益を優先する「厄介な」存在としてみなしている。サッチャー政権期から、官僚をコントロールする路線になり、高級官僚を「政策顧問」の位置付けとした。ブレア政権からも違うやり方でコントロールをした、キャメロンもしかり、メイとジョンソン、トラス、スナクは不明。橋本政権の「内閣府」構想や、安倍政権の「内閣人事局」設置はかなり影響を与えていると分かった。恐らく彼らの政策ブレーンがイギリス政治をウォッチして着想を得ているものと思われる。一方的に「尻に敷かれている」政治主導の歴史は見ることができたが、政官関係をつかむにはまだまだ。「政治主導」とは官僚を尻に敷くことではないのだ。

10月12日
大木直子(2023)「地方において女性の政治参画はどのように進んだか──道府県議選の新人候補に着目して──椙山女学園大学研究論集」、第54号(社会科学篇)

選択理由:統一地方選が少し過ぎた今日、各地で女性の当選者が目立ち、居住する地元の市議会は定数26名の内、14名が女性議員となった。そして地方議会については、憲法93条で、「住民全体を代表する機関であり、住民の直接選挙で選出される議員により構成され、地方公共団体の意思を決定する機能及び執行機関を監視する機能を担うものとして、同じく住民から直接選挙された長(執行機関)と相互に牽制し合うことにより、地方自治の適切な運営を実現することと」とされており、国政と異なり、首長の監視機能としての意味合いが強い。そのため、地域の福祉やまちづくりといった市民生活に関わる政策に対し影響を及ぼし得るため、自治体の方針に関わっており、議員の構成が大きな意味合いを持つのではないかと考えた。

 

概要:男女を問わずどのような人々がどのような動機や意志をもち、どのような手続きを経て政治家になり、どのような過程を経て大臣や総理などの政治的地位にまで出世・昇進したのかという「政治的リクルートメント」の観点から、どのような経歴の女性が新人候補として道府県議選に立候補し当選し、どのような選挙区で新人の女性候補者擁立が進み、女性議員が誕生したのか、定数や党派ごとにどのような傾向があるのかについて2015年と2019年の道府県議選の選挙結果を男女別、党派別、定数別党に整理・分析している。これらの結果を踏まえて、道府県議選における新人の女性候補者の立候補過程にどのような変化があったのかを考察し、道府県議会における女性の政治参画がどのように進んでいるのかを明らかにすることを記している。

 

批判:女性の初当選者は無所属出馬が多いと傾向が分析されているが、推薦すらない完全無所属は考えにくい。何かしら政党の動きがあると想定されるため、なぜその政党が推薦を出したのか、支援したのかといったことの分析がなされていない。また政党公認の場合の動きも気になるところだ。都道府県議という市区町村議と国会議員の中間的立ち位置のため、市町村議経験者が増えるのは必然ではないだろうか。しかし都道府県ともまちづくり政策に関与しているため、女性議員とまちづくりという観点ではいい分析ではないだろうか。

 

詳細:当選者に関する男女の割合は、1人区の女性当選率は31.9%で、2015年の数値と比べると約2倍となり、女性当選者数が9人、も増加した。さらに1人区で当選した新人の女性候補者は3人(2015年)から8人(2019年)と約3倍となり、それらの立候補時の党派は無所属や諸派であった。道府県議選で新人の女性当選者が増加をした背景については、国政政党が積極的に新人の女性候補者を増やしたからではなく、無所属の新人の女性候補者・当選者の数と当選率が増加したことが要因であることが明らかである。依然として道府県議選は、男性の候補者数、当選者数、当選率が圧倒的に高い状況であり、女性新人当選者数の増加や女性候補者の1人区での当選率の増加は数的にはわずかな変化でしかない。しかし,2019年統一地方選挙でも1人区の割合が41道府県の選挙区947のうち約4割を占めていることや、自民党が都道府県議会で過半数を占めていることなどの点から、制度面において依然として女性候補者の擁立が促進されにくい道府県議選において、1人区で主要政党以外の新人女性議員が急増したことは顕著な変化である。以上をまとめると,経歴の表記が選挙ごとに異なる可能性はあるものの、従来、女性候補者・当選者の職歴,活動歴に多かった「教員」や「主婦」、「無職」の割合が減少傾向にあり、特に「主婦」については大幅に減少していることが明らかになった。一方、「医師」や「弁護士」などの専門職や、政治家の秘書経験者はわずかだが増加傾向にある。また、新人の女性候補者・当選者に着目すると、市区町村議員や首長の出身者の割合が女性候補者・当選者全体の数値よりも高い。つまり1999年と比べて、2019年の道府県議選では、専門性の高い職業の人もしくは市町村での政治経験のある女性がより多く立候補に至ったのではないかと考えられる。

 

結論:広域行政を担う都道府県議は、時に国会議員や、首長、選挙区内の市区町村議らと協議を行うこともある。都道府県議が初の政治経験となる人間は男女ともに興味深く思う。女性を政治における「色物」のごとく扱い、容姿や人間性で見られ、政策ではなく健全ではない材料で判断されることはあってはならない。非排他性を希求すべき行政から、あらゆる背景や価値観を持つ人間が政策決定の場に関われることを心から願う。

9月28日
和嶋克洋(2017)「自民党政権の政策過程の変容――農地政策を事例として」

選択理由:自民党の伝統的な支持基盤であるが、都市部への議席配分が定数の重きを占めている中、都市部における保守=自民党優位が続いていることは野党勢力にとって課題である。その折、唯一の議席獲得のチャンスとして地方選挙区における自民党との接戦を制するために、農政が鍵ではないかと考えたためだ。

 

概要:族議員の隆盛期である1980年代から、小泉政権以後の2009年までに4回の改正があった農地法およびその関連法の政策過程を取り上げたものだ。これにより、それぞれの時期において、参加アクターや、政策過程の主導権がどこにあったかなどの特徴を明らかにするとともに、特に農水族議員、あるいは総理周辺といった自民党政治家であるアクターの過程における役割や行動の特徴とその変化を明らかにしたものだ。

 

批判:一政策分野における変化をとらえたものであり、これをただちに自民党政権全体に当てはめることはできないであろう。それをなすためには、少なくともさらなる政策分野における検証が必要であり、ら政治家がどのような影響力や役割を果たしたかについては、なお、詳細な証拠の検討や別方向からの議論の余地が必要ではないだろうか。

 

詳細:以下は農地政策の前史と狙いをまとめたものだ。1969年には、大規模経営可能な優良農地を都市開発による農外転用から保全するために「農業振興地域の整備に関する法律(農振法)」が制定された。これは主に産業構造の変化に伴う農家不足を補うためだ。1980年には「農用地利用増進事業」、「農用地利用増進法」、「農業委員会等に関する法律」の合わせて農地三法が制定・施行された。このときのアクターとして、1979年の秋までに、1980年代に向けた新しい農政についての議論が自民党、農水省、そして農協、農業会議所という利益団体が挙げられる。主に80年代の農水相は経済通商政策に明るい商工族に属する議員であり、産業政策としての農政が継続されていたのだ。1989年の「農用地利用増進法」の改正と、「特定農地貸付に関する農地法特例法」の農地二法は、に農水省は、自民党農林部会・総合農政調査会も法案を説明、閣議決定を経て、全国農業会議所、農協、全国農地保有合理化協会などと協議をした。1993年の政権転落後の農政決定プロセスを見てみると、政策決定システムに関連しては、族議員の母体となる政調会部会の所属人数等の制限が廃止され、諮問機関の拡充などによる総裁以下党中央の政策能力の強化が志向された。1999年の「食糧 ・ 農業 ・ 農村基本法」の成立過程を見ると、橋本政権として自民党から総理を輩出した、1996年より規制緩和や行財政改革などの分野に委員会を設け、入閣経験を持つベテラン議員をそれぞれの委員長に据え、また経済界から民間顧問を迎え、調査会を設置した同調査会は、農水事務次官に行財政改革との関連の中で、検討するように指示し、党政調会の部会長、特別委員長合同会議を開き、「聖域なき改革」について各部会長らの支持を取り付けている。このようにして、業界団体による決定から、総理周辺の議員へと政策決定の場が移って来たことが伺える。

 

結論:いわゆる農協は「官僚」の部類には入らないが、昭和中期から一貫して自民党による長期政権であるため自民党の政調会にJAや商工会議所の幹部級職員が出入りして強いパイプが結ばれることが鑑みられた。典型例として、「会頭」や「会長」職が参院選に出馬し、当選1回で自民党政調会の小委員長に就任する例がある。利益団体との関係維持の行動として、選挙前に数々の調整を行い、政権を保持してきた歴史を学ぶことができた。所管省庁→与党の小委員長=組織の息の音がかかった人物に説明し、ほとんどを党で具現化させた訳だ。


7月6日
西村翼「政党の公認戦略と地元候補―規定要因としての選挙結果—」
2020 年 71 巻 2 号 p. 2_280-2_302

https://www.jstage.jst.go.jp/article/nenpouseijigaku/71/2/71_2_280/_pdf/-char/ja

選択理由:政党を構成する議員が、支持層や党勢拡大に大きく影響を及ぼしており、自民党はどのようにして選挙で勝利しているかを考察するため。
 
概要:政党は誰を公認し、それを規定する要因は何かの視点で、自民党における衆院選の行動原理を分析。主に彼らは「前回敗北し苦戦が予想される選挙区では地元候補を擁立して議席確保」を優先し、余裕のある選挙区では「非地元候補を擁立して一体性保持を図る」ことで、党勢拡大と執行部への凝集性を担保にしている。
 
批判:都市と地方における自民党議員の後援会の強さが気になった。後援会に注目する研究もあるので、大物議員から後援会を引き継ぐ場合、非地元でも問題はないのではないか。
 
詳細:日本でも選挙制度の効果は検討されている。参議院全国区を対象に候補者属性を検討した結果、非拘束名簿式比例代表、大選挙区、拘束名簿式比例代表の順で地方政治経験率が高かった。また、浅野(2006)は衆議院の選挙制度改革による当選に必要な得票率の変化に注目した。そして、中選挙区制下では低い得票率で当選可能なため、既に地盤を持つ地方議員出身者や世襲候補が有利である一方、小選挙区制の下ではより広い選挙民にアピールする必要があるため、若さや学歴がより重要になるという。比例代表制の下で選挙区内の各地域にアピールして偏りなく得票するために、リストに各地域の地元候補を揃えることが合理的であるという。その上で、政党が合理的な選定を行えるか否かは、候補者選定過程がどの程度集権的かによって決まるという。選定が地方支部で行われ、少数の選定者が選定を行う政党では、より選挙区内の各地域向けの候補をバランスよく揃える傾向がある。また、選定者の地理的構成がより多様な場合、よりバランスよく各地域向けの地元候補者が揃うという。これまで多くの研究が注目してきたのは事後の統制である。ここでいう事後の統制とは、一体性を乱した・乱しかねない議員に対して役職配分等の手段を用いて補償やサンクションを行うことを指す。一方で、政党は候補者選定の段階で既にその目的に照らして合理的な候補者を選抜し、事前の統制を行うと考えられる。議席確保に注目すると、地元候補はより多くの個人投票を得ることでこれに貢献する。地元候補は有権者からの評価が高く、個人投票の獲得を通し議席確保に貢献する一方で、一体性保持というもう1つの目標については、一体性を支える凝集性と規律の両面から、選挙区との地縁はこれを損ねると考えられる。具体的には、政党単位のプログラム的政策より選挙区利益を重視するため、地元候補は政党の凝集性を損ねる。また、地元候補は選挙上の政党への依存度が低いため、規律の影響も受けにくく、候補者公認に際して政党は議席確保と一体性保持とのトレードオフに直面する。先述のように、地元性を持つ候補は、議席確保に貢献する一方で一体性を損ねる可能性がある。したがって、地元候補の公認に際して、政党は議席を重視するか一体性を重視するかでジレンマに陥る。この選択は政党の存在意義とも言える目標間で起こるため、どちらか一方のみを優先するのではなく、政党は可能な限り目標の両立を図ると考えられる、一体性保持の重要性は、与党の方が野党よりも高いと考えられる。なぜなら、与党では政府法案の成立のために議員が一体的に行動する必要が大きいためである。このことから、地元候補の公認に際するジレンマに対してより戦略的に対応するのは与党であると想定される。
 
結論:個人的には「勝てる候補」の擁立過程が知りたかったが、日本政治における都市部と地方に要される縮図が端的に言い表され、そういえば野党もそうではないかという気がした。特に東京の選挙区は地方出身者も与野党ともに散見されるが、地方の選挙区に「外様」がいないのはその証左ではないだろうか。


6月29日
奥健太郎「事前審査制の導入と自民党政調会の拡大 ―『衆議院公報』の分析を通じて―」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jaes/34/2/34_33/_pdf/-char/ja

選択理由:野党の立法調査力(政策立案力)が2017年のモリカケ騒動以降、極めて低下していると感じたため、自民党はどのように国会で議論するテーブルに乗せるまで、どういった人たちが関与しているのかが気になったから。
 
内容総括:自民党が結党して以降、政策実行力に強みを持たせてきたというか、常に選挙で勝ち続けていたため、やろうとしていることに対していかに政策を調整するのか、が前提にあり(やると決めたことはやる、この政策に所得制限を導入するべきかするべきでないか、など)、もはや社会党などの野党は蚊帳の外だ。
 
批判:政調会の成り立ちや議員たちの構成は分かったが、官僚との関係や、近年の自民党政調会では自衛隊(制服組)の出席も目立つので、そこら辺が気になった。佐藤正久氏や中谷元氏らはそこで人脈ができて出馬へと至るなど、官僚出身議員も政調会でレクチャーすることで既成事実と化す。
 
詳細な内容:法律は、閣議に提出する前に政調会(1950年代は政審会)、総務会の諒承をとりつけておくことが条件とされており、そこで、うっかりしていると係争中の案件が政府段階で結着をつける前に、党の段階で先取りされて、党の全てが済んだのでというわけで一方的な結論だけ押しつけられることになる。この推移を見定めるのは、官房長の仕事であり、 総務課長・政府委員室の仕事であった。自民党の事前審査は部会、政調、総務会を「事前審査ライン」と指し、国会の常任委員会にほぼ沿う形で、15の部会を設置することを党則で規定した。政策先議には、予算関連法案の確実な成立という狙いも含まれていたことに加えて、「予算編成過程の制度化」は,閣法の事前審査もスピードアップさせた一方部会のメンバーは、対応する国会の常任委員会の委員を兼任させる。増員された部会員が概算要求段階から予算編成過程に関与し、「事前審査の事前調整」に加わったことは、閣法の事前審査の円滑化に一役買った。政調会は、これらの下位会議体を通じてきめ細かく議員の利害、意向を吸収し、政策を調整していった。自民党の選挙基盤と整合的で分かりやすく、自民党議員の利益、政策への関心の度合いを反映している。特別調査委員会は、総合的な視点から基本政策を扱う「調査会」、特定の問題の処理のために設置された「特別委員会」、臨時的に設置に設置される「懇談会等」に分けられる以上3つの会議体を周辺会議体と呼ばれている。政調会は、これらの下位会議体を通じてきめ細かく議員の利害、意向を吸収し、政策を調整していった1960年代の政調会は政策審議会・各部会・問題別による多数の特別委員会・調査会・懇談会によって構成されていた。多くの議員が予算編成過程に参加した上で政府予算案が決定されるならば、予算案決定後に行われる予算関連法案の事前審査がスムーズに進行し、ある意味セレモニー化することは、自然のことのように思われる。
 
結論:どのような人が出席するかは分かったが、どの階級の官僚が来るのかが気になった。自民党政調会の第一部は公開で、第二部は非公開でそこそこ官僚をいじめていると聞いたので。その実態も知りたい。野党もヒアリングを最初から最後まで公開するのではなく、見習う点はあるべきではないか。


6月22日
石間英雄「政党内政策組織と強い上院、日豪の事前審査に関する比較研究」、2018 年 34 巻 2 号 p. 47-57
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jaes/34/2/34_47/_pdf/-char/ja

選択理由:象徴的な上院ではなく、台頭な上院を持つ二大政党制のオーストラリアにおける政党内決定について分析をしたいと思ったため。日本では自民党の分析しかない、当論文も自民党の分析だが、各国は保守党の政策決定、労働党の政策決定と、ウェストミンスター型二大政党の各政党の政策過程分析がなされており、感心を払っている。
 
内容総括:日本とオーストラリアの主要政党を題材に、議会政党による法案の事前審査を、対称的な二院制のもとでの調整メカニズムとして捉え、その説明を試みている。
 
批判:上院と下院は利害が対立しやすいと書いているが、日本でそのような例が気になった。上下両院に関係なく、どのような団体から支援を受けるかが意見対立につながるのではないだろうか。
 
詳細な内容:「事前審査制」とは、閣議決定前の内閣提出法案を、自民党が審査し、国会提出にはその承認を必要としたという慣行である。オーストラリアの主要政党も内閣提出法案の事前審査を行っており、両国に共通する権限関係の対等な二院制である。事前審査制とは、個人投票追求要因の強い選挙制度のもと議員間の長期的な交換関係を政党内に制度化するものであったと考えられる。対等な二院制の下では、意思の相違を無視することは不可能である。このような場合、議会内の活動では一体性を維持することが難しく、両院議員のそれぞれの機会主義的行動を防止するため、上下院の相違を政党組織に内部化することが目指される。オーストラリアの政党内政策組織、労働党はコーカス、保守連合は合同党会議があるが、オーストラリアでは本会議開会日数が少ない、上院議員が大臣となる時期には、コーカス委員会で委員長とならず、大臣職につかない時期には、コーカス委員長になる傾向にある。野党議員が委員長である場合、委員会よりも部会での活動が盛んになる。日本は自民党議員の集票にとって重要と思われる委員会でも野党議員が委員長となっていた。議員の集票にとって役に立つとされる部会とそうでない部会の間には、そもそもの活動量に差がある。立法需要が小さく法案数 が全体的に少ない時期では活動量は少なくなる。日本では野党議員が委員長となるといった参議院の政治状況が部会の活動に影響していることが示唆される。日本における政調会や労働党におけるコーカスは、一方の議院にのみ存在する「会派」レベルの組織ではなく、両院を横断する「政党」としての組織である。上院議員が政策委員会の委員に就任していることからも、上院議員に発言権や拒否権を与えていると解釈でき、議会ではなく政党内部で上下院議員の調整を行っていると考えられる、参議院の常任委員長が野党議員であった場合、対応する部会の活動量が増加することが明らかとなった。
 
結論:下院は小選挙区制、上院は比例代表制を採用しているが、どちらも二大政党が大きく議席を占めている。そして与野党ともに政策決定過程がしっかりしており、選挙前に「政調会長」が急ごしらえで備えたような政策はないように思われ、自民党はまだマシかもしれないが、特に野党の政策決定はまことにそう見えてしまうので、議論する過程をマスコミに見せたり、党が発信したりすればいいのではないか。

6月15日
中道實、戦後上級官僚の行動様式と「政官関係」の変容、奈良大学紀要35号, (2007. 3) ,p.177- 194
http://repo.nara-u.ac.jp/modules/xoonips/download.php?file_id=1538

選択理由:官僚はもはや選挙で選ばれない政治家である。政治主導の必要性を考えたときに、彼らの行動原理や目的を分析する必要があると考えたため。
 
概要:戦後上級官僚の役割意識・行動とその変容を、彼らのキャリアパス・それが発達させる管理エリート意識と関連づけて研究したもの。上級官僚は、政治家に権力が移行していく状況の中で「政治的官僚」化を志向している。
 
批判:技術官僚(テクノクラート)の特権階級化が気になったところ。専門知識はないが「使いやすい」総合職の官僚と、専門知識はあるがときに銃口を向ける奇妙な駆け引きもあるだろう。
 
詳細:
昭和22年の国家公務員法改正により「天皇の官吏」主権在君から「国民の公僕」主権在民となった。「管理エリート的組織的人格」を獲得し、制度の枠組みの中で役割期待に従って行動する上級官僚集団の役割意識と行動を考察する。上級官僚に法律学の知識が重視される理由について上位の「ジェネラリスト」の法的知識は下位の「スペシャリスト」に対する優位を保証するために必要なこと、日本の法律は『役人本意』の統治者または支配者の側からの解釈や適用の技術であり、官僚法学的法律学は解釈や運用の技術を越えて法律の作成や立案の技術をも含むものであった。難関の採用試験は有能な人材を吸収し、特定大学・学部出身者の補充は集団の同質性を高め、新卒者優先の原則は被採用者の組織への忠誠心の要請を容易にし、自己の結束力を絶えず強化してきた。割り当てられた職務をこなし組織へと社会化されていき、組織に対する能動的な貢献意欲を発達させ、キャリアの経験が深くなるにつれ、自己の能力・動機・価値に関する確信により特定のキャリア・パス志向を発達させる。公式のルールによる方法「組織志向」の官僚制は「多元的な利益政治の単なるアクターの一つであるにとどまらず、そうした利益過程の展開される枠組みそのものを設定する能力を獲得しやすい」。ダウンズ(米)は①権力、②金銭の収入、③威信、④便宜、⑤安全、⑥個人的忠誠、⑦自負心、⑧奉仕欲、⑨特定施策に対する信奉に基づき、公務員を立身出世型・保守(現状維持)型・情熱型・提唱型・政治家型に分類した。サイモンは、組織目標を彼の意思決定の価値前提として受け入れ、組織の他の構成員からの影響に感受性が強く敏感に反応し組織目標に対して高いモラルを持っている「行政人」、公共の利益へのコミットメントにより己を律する倫理観を保持する「公共人」、一切の行動基準が私的動機にある「官僚人」にある。石原、戦後復興・高度成長期をリードした上級官僚と低成長移行後の「政策転換」を迫られ受け身の政策運営を強いられた「利益調整型」官僚へと変貌した。官製政策について山口は、安定志向性・適応志向性の尺度に基づき、「具体性」、「包括性」の軸が存在しており、具体性では(1)概念提示的政策、(2)基本設計的政策、(3)個別機能的政策、包括性では(1)構造的政策、(2)統合機能的政策、(3)個別機能的政策にある。政策類型と政策ステージとアクター、政策の具体性とは政策課題の認知やアジェンダの設定から始まって、政策の基本的な枠組みを構成する計画立案作業を経て、具体的な細目を定めた法令、予算をつくり、実施していく流れを捉えたものであり、概念提示、基本設計、実施設計の3段階に分けられる。「政策課題の形成」と「政策作成・立案」では、行政官僚が主導的である一方、政府首脳・閣議、与党政策形成機関、与党幹部の比重が高く、政党・政治家の概念提示的政策に 占める役割の重要性を示し「政策決定」での政府首脳・閣議の主導性は突出している。基本設計的政策では、行政官僚が圧倒的主導性を保持する。構造的政策では、他の政策類型に比べて、政府首脳・閣議、与党幹部の位置が最も高い。総合機能的政策は、専門分化した個別の政策を統合・調整したり、拘束したりする政策である。
 
結論:
官僚の行動様式の分類が分かりやすかった。文章中にあったが、主に通産官僚たちが高度成長期は政治家と一緒になって国を儲けさせようとして、低成長期には保守政権であれとにかく各地へのバラマキを行った本質を理解した気がする。

6月8日
今井貴子(2011)「野党の組織改革と政権交代―イギリス労働党の党内資料の分析(1994~1997)」

選択理由:ゼレンスキー、G7、解散風が吹き荒れて久しく、政権支持率の回復を背に解散に踏み切ると見せかけ、身内の不祥事や公明党との選挙協力をめぐって自民党も揺らぐ。今、解散をされて喜ぶ政党は?議院内閣制において「総理の専権事項」とされている議会の解散権、その度に連戦連敗する日本と違い、イギリスは「専権事項」にも関わらず、政権交代に備える。1997年に18年ぶりに政権交代に成功した労働党の政策決定に学ぶためである。
 
概要:日本における自民党の政調会や総務会・官邸という「双頭の鷲」型システムに比類する、労働党も議会党(PLP)・全国執行委員会(NEC)という両翼になっているのだ。政策決定に急進派を排除し中道化を成功させ、党首トップダウン型を実現させたブレアの党改革に迫ったものである。
 
批判:政党交付金の額が気になったところ。イギリスは選挙区で立候補する際の供託金は数ポンドで、確か政党助成金の交付要件は「国王・女王陛下への忠誠」だとも聞いた。日本でシンクタンクや院外組織を活性化させるためにはどのぐらいの資金が必要となってくるのだろう。
 
詳細
「国王閣下の反対党」という表現が用いられて以来 、デンヴァーによれば、イギリスの野党第一党の機能および任務とは、政府の行動と政策を批判しこれに対抗すること、及び、「政府にとってかわりうる、信頼できる代替勢力」たることであるとしている。レイプハルトによれば不文憲法をもつゆえに、憲法は一般の法律と同様に議会の過半数で変更することがでる軟性憲法、かつ違憲審査権は存在しない背景もある。労働党の党憲章は、党の最高意思決定機関を党大会と定め、党大会まで政策形成を担う中心的機関は、全国執行委員会(NEC)としている。議会労働党(PLP)は、党大会、つまり院外組織にたいして責任を負う。したがって、党の実権は「責任を負う最高機関」PLPではなく、院外組織が掌握していることになる。党首ブレアが誕生するまで、1983年総選挙での惨敗後、党首に就任したキノックは、労働党の立て直しには、急速に左傾化した党を中道へと軌道修正することが不可避であると考え、党の公式の意志決定過程からPLPを切り離していた組織構造を変え、PLPと院外組織が 「一つの声」で党の方針を表出できる体制を作りだすことであった。それは、政策アジェンダの設定過程において、NECの影響力を周辺化すること、党大会における労働組合の発言力を低減すること、 活動家が影響力を発揮していたCLP(選挙区党)をコントロールすることであった。←1979~97年の政権転落時代、業界団体の息の根がかかった院外労働党(NEC)が政策決定において強い実権を持っていた
キノックの党改革は第一に政策決定変更、第二に組織のスリム化、第三に学者や影の内閣から構成する政策見直し委員会の設置だ。終始、党の集権化を目指したものだ。イギリスの議会制度として、1975年に新設され、野党の議会党にたいして、議員歳費とは別に、獲得議席数と得票数に応じて支払われる「ショート資金」と呼ばれる野党への補助金がある。党大会で政策が提案された際にマニフェストを修正する組織や、党大会の議決率の見直しに着手。
ブレアはサッチャー改革を支持し、労働組合の力を完全にそぎ落とすことを求め、党員を30万人に増やした。党員を増やしたことは真の「大衆政党化」を目指したものだ。党大会で政策や議案を通す際に大幅な労力や時間が要された一方、党は機関誌「ニュース・レター」で継続的な党員への周知、教育、党員の勧誘、献金の募集を目的とした媒体として枢要な役割を果たした。ブレア労働党が現代化改革を促進した党内要因として「『強力な指導部組織』を持つ政党、つまり党中枢エリートが進行方向を示すことができる政党に移行した」とみることも出来る。ブレアの党改革の一連は①党首脳部の資源の増大、②協議の欠如、③影の内閣のメンバーに対する統制である。この党首室への権限の集中と閉鎖的な政策形成システムが、ブレア労働党が短期間に急速な改革を遂げた重要な要因となったといえよう。党改革の原動力として、議会首脳部の権力資源、一つには、 財政面での独立性の増大、二つには、情報の増大、特に政策の実現可能性を検証するうえでの高級官僚からの情報の供給、 三つには、ブレアに対する世論の支持 である。1964年以降のダグラス=ヒューム・ルールと呼ばれる慣例では、総選挙前に野党党首が首相対して官僚との事前協議を申し入 れ、首相はこれを承認しなければならないとされて いる。ブレア労働党の場合、遅くとも1996年4月後半からブラウンが財務省の高級官僚と接触し、党の政策の実現可能性を協議していた。財務省側も、労働党政権発足に向けて、ブラウンの経済政策を考慮に入れた行動指針を作りはじめていたという。労働党系シンクタンクIPPRの存在、PLP内や院外組織との調整を経ることなしに首脳部の限られたメンバーの中で行われた結果、労働党は極めて短期間の内に党の政策的立場を中道へと変化させた。リーダーがおかれた条件によってその性質は大きく作用されるがゆえに、組織構造上の条件に目を向ける必要があるだろう。

結論
私がTwitter上で立憲民主党に対して物申した際、自民党議員の秘書らしき方々から共感を得たり異論が巻き起こったり様々だが、少なくとも言えることは、今でこそ自民党議員の秘書でくいっぷちを凌いでいるが、民主党から何かしらの選挙に出馬した、模索しようとした方々が一定数いることだ。つまり彼らがよく言うのは今の立憲民主党からかつての民主党時代のエネルギーや感心させられることがなくなってしまい、一番言われるのが「活動家との関係を見直した方がいい」ということだ。私の友人はちらっと「左派言論人への挨拶回りをすればいい」と言っていたが、その際の左派言論人とはどういった人々のことを指すのがいささか気になるが、私は残念ながら「アクティビスト」なる連中との付き合いは見直した方がいいと考える人間でもある。エネルギーや感心させられることがなくなったのは、見えやすいパフォーマーたちを重用した外部講師として国会に呼ぶカネがあるのならやることはないのかと考えてしまう。

6月1日
渡辺容一郎先生(2018)、イギリス保守党に関する派閥研究

選択理由:イギリス保守党の派閥を詳細に考察するため。労働党は以前に読了済みなので、保守党が「利益」に基づくのか、それとも理念先行の「イデオロギー」に基づく派閥構成なのか知りたかったため。

内容総括:サッチャー・メージャーを経て1997年に下野、2010年に政権復帰して以降、キャメロン・メイ両政権が誕生した背景を派閥単位で分析したもの。

批判:イデオロギーに基づく派閥の分析に終始していた。利益に基づく派閥はないのか?大蔵族や内務族といった存在が気になった。

詳細な内容:
市場経済のグローバル化に伴う社会の分断化・格差の固定化は、既成政党への不信・不満を増大させ、2015年総選挙や2016年国民投票以降、イギリス政治の基調はイデオロギーから(地域、年齢層などの)アイデンティティに移行し、2017 年の総選挙では、7 年ぶり・戦後 3 回目のハングパーラメントとなった。そこで民意の受け皿の1つであり、またイギリス二大政党の一翼を担う保守党および保守主義に注目し、キャメロンの保守主義を、保守党「中道派」の保守主義として位置づけ、中道派保守主義者という点で、キャメロンとメイ首相との間には連続性があるとも考え、イギリス保守党・保守主義における中道派の定義と党内におけるその現状と位置づけは、どのようになっているのかを考察する。キャメロン保守主義の位置づけと、党首を辞任せざるを得なかった真の原因・メイが党首に就任できた要因と、その保守主義の基本と今日のイギリス保守党・保守主義における「中道派」の存在理由と役割について分析。キャメロン保守主義は党大会や党首選での発言より「現代的で思いやりのある保守」や「リベラル保守主義」や「プラグマティック(実用的・実利的)な保守主義」とされる。主にNHSの維持や、同性婚への寛容といった社会リベラル政策を重視すると同時に、減税への支持をはじめ、それ以上にサッチャー以後の保守党党首としては初の言及となる経済的安定を強調した内容であった。自民党との連立となった第1次キャメロン政権は「自由市場を重視する経済的自由主義・社会リベラル・ソフトな欧州懐疑主義」であり、自民党党首・副首相クレッグの 「経済的自由主義・社会リベラル・親EU」とほぼ合致し、キャメロンのリベラル保守主義は、保守党内右派からの批判・造反を招きやすい欠点を持つ一方、穏健な他党とのコンセンサスを実現しやすい保守主義でもあった。サッチャー流のいわば対決型原理的保守主義とは一線を画すものであると同時に、特に野党期においては現実的な政権奪回を主眼に置くプラグマティックな保守主義とも言える。具体例として野党党首時代の言動を翻し、政権奪回後の与党期には、政府債務削減・緊縮財政実施を軸とするサッチャリズム路線へUターンしたこと、党内右派の支持を取りつけるため、欧州議会における中道右派系会派「欧州人民党グループ」から保守党を離脱させたことや「家族の重視」といった伝統的価値観の必要性にも言及したりしたことなどである。キャメロン保守主義は保守党の政権奪回戦略の一環として、党のモダニゼーション(現代化)の試みとして理解すべきではないかと考えられる。主眼として13年ぶりの政権獲得とその維持・手段として保守党のモダニゼーションと党内融和・正当化する言説として大きな政府を容認する「現代的で、思いやりのある保守主義」が挙げられる。イギリス保守党・院内保守党分析をしたヘッペル、2010年議会の院内保守党で、当初「モダナイザー」としての特徴を備えていたのは「社会的リベラリズム」としている。2010年議会の院内保守党について、採決リストや院内討論の内容等に基づき分析をしたコーリーらによると、保守党下院議員団307人は8つのグループに分類できるという。①党内モダナイザー派(14%)、②伝統的右派(12%)、③サッチャー派(22%)、④急進派(19%)、⑤リバタリアン派(5%)、⑥ポピュリスト(3%)、⑦親欧州派(11%)、⑧党忠誠派(13%)となっている。キャメロンの支持基盤は「党内モダナイザー派」、「急進派」を加えても33%にとどまり、残り3分の2は、争点にもよるが党首キャメロンの敵に回る可能性すら否定できない存在があった。そのため、院内党の13%を占めていた「党忠誠派」の支援を獲得することが、キャメロンの党内リーダーシップとその保守主義においては決定的に重要な意味を持っていたのである。

結論:キャメロン・メイは保守党最後の良心だったかもしれない。「主権を取り戻す」ジョンソンに次いで「空前絶後の減税」を掲げたトラスを受け継いだスナクという選挙を経ないで就任した両者も、政包括政党であるはずの保守党が「主権イデオロギー」、「減税イデオロギー」に固執した限界ではないか。



5月25日
大井先生、ポスト冷戦期における分析
https://www.jstage.jst.go.jp/article/nenpouseijigaku/71/1/71_1_106/_pdf/-char/ja

選択理由:「改革」の正体について探るため。冷戦下の「革新」が改革、「保守」が守旧であった一方で、現在はほぼ全ての政党が資本主義や日米安保堅持を容認し一億総保守ではないかとの疑問から。
 
内容総括:保革イデオロギーの定義と機能、保守へのカウンターとしての「革新」と「改革」の差異と類似性。
 
批判:戦後保守の正体について定義付けがなかった。戦後民主主義派の保守もいれば、明治憲法復古を唱えるような戦前保守も存在している。大井先生の言っておられるのは「まっとうな」保守の話であり、「悪質な」ポピュリズムを結びつけるという「醜い」保守の存在も知りたい。
 
詳細な内容:従来型(55年体制下)の保守は、「資本主義体制と日米安保条約」の堅持。1994年、社会党の方針転換を機に「保守」が全面化し、守旧保守と改革保守に分化される。イデオロギーの定義についてヘイウッド(英)は「組織化された政治的行動への基盤を提供する首尾一貫した体系」。第一に「(特定の「世界観」に基づいて)既存秩序に対する分析や説明」、第二に「良き社会をめぐる規範的構想」、第三に「いかにして政治変化がもたらされるべきか」に類型される。
大井先生、日本の55年体制において「自社両党の対立は資本と労働という二大階級に依拠した20世紀の先進工業国に普遍的な左右対立と、憲法9条や日米安保条約をめぐる賛否を軸とした特殊な二重の対抗関係」。
55年体制の成り立ち。自民党、①社党の統一に対抗し、財界が保守合同を強く要請して以来、政治の安定を求める大企業からの不動の支持を得た、②補助金を通じた手厚い農村保護政策=利益と票の交換、③競合材の輸入制限や商店街の保護規制、が万年与党体制を支える最後の一本となった。社会党、①官公労労組を中心とする総評、②都市部のホワイトカラー、③学者や知識人。
革新の衰退、自由民主主義の「勝利」が体系的理念に基づく社会変革を推進する「大きな物語」が終焉した。終身雇用や自民党による利益配分政治が「日本型福祉国家」を構築しており、普遍主義的な福祉国家路線を不要にした。1990年代以降、日本では社会主義的路線の復活は求められなかった。石川真澄、社党や民社、社民連といった「社会」と名の付く政党の議席減、「社会主義の終焉は単純に『日本社会党』の終焉をもたらした」
改革が生まれるまで。利益配分政治についてカルダーは、市場原理を度外視した公共事業や、特定の地域や産業に偏った補助金の支給が、1980年前後に経済成長が鈍化し税収が減少傾向に転じても「補助金歯止めの力学」により分配志向型の予算を転換することはなかった。社会党の衰退により財界は社会主義への脅威がなくなり、自民党の政策へ明確に反対の意志を示されるようになった。
改革の登場。クラウチ(英)「改革(reform)は、より一層、市場規律の下に置き規制を撤廃し、税金をなくし総じて政府の役割を減少させることを意味し、『改革』は新自由主義の婉曲話法となった」。(守旧)保守を否定する概念として「革新」から「改革」になった。正村(1997)、保守=その場しのぎによって困難を切り抜ける官僚政治、革新=革命幻想を負い続けた勢力で、『改革』が社会構造変革に乗り出す結集軸。1990年代以降の「改革」とは、保革対立が消滅したポスト冷戦期の条件において、保守政治がその内部から守旧保守を否定解体し、新たな経済成長のために「改革保守」レジームを構築しようとする保守政治の自己再編成のための運動であった。内山は、改革=善、守旧-悪というテレビメディアと改革派による共犯関係が成立した。
中曽根のウェーバー、マキャベリ的「自民党政治の現状批判」が説得力を持ち始めた。当初の左派は、タカ派軍国主義という中曽根政権への批判は現実的でなかった。調整型政治が旧体制の象徴で、克服されるものとして学者や政治家で盛り上がりを見せた。調整=根回し、利益配分=ばらまき、既得権=しがらみと訳される始末。ボトムアップでコンセンサス重視の政治が否定(現在の野党の政治主導観)、トップダウンでリーダーシップ偏重の意志決定方針を必要とした。
細川(連合政治ながら改革政権)、村山(改革の小休止)、橋本(リーダーシップや内閣機能の強化)、小渕・森(新自由主義改革の引き伸ばし)、小泉(改革保守とナショナリズムの融合)、安倍・福田・麻生(改革逆走)。
民主党政権、強いリーダーシップを憧憬した「改革保守」の延長である一方、「国民の生活が第一」に端を発した疑似社民主義化した利益配分政治・新右派連合が勝利を収めた自民党に対抗するオルタナティブ。橋下維新、独裁の肯定、政治主導の極限。革新は自民党政治を左から攻撃し、改革は右から解体を試みた。←ポスト55年体制において「保守」が中道と化した。広義の保守政治の連続性という安心感。
第2次安倍政権、井出「ケインズ型の公共投資による土建国家への回帰」、中北「利益配分政治と新自由主義の止揚」→守旧保守と改革保守との対立を一時的に弥縫する時間稼ぎ
結論:自民党がオールマイティたる由縁を探ることができた。1958年~93年の第1次55年体制が「守旧保守」、細川政権が誕生して以降の自民党は「改革保守」を標榜せざるを得なくなったため、この連立政権が確実に起爆剤であったといえる。論文でも触れられていた通り、そこには小沢・羽田という改革の寵児たちの良心が働いたためだ。改革をするには保守の力が必要だと改めて確信した。改革(を正当化する)のための改革ではなく、何のための改革か、今の民主系野党に考えさせられる。


5月18日
飛鳥田市政の分析

https://rikkyo.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=14897&item_no=1&attribute_id=18&file_no=1

選択理由:統一地方選で立憲民主党は西日本を中心に現職の落選さえ目立った。一方で横浜や東京都区部といった東日本を中心に議席の上積みが観測された。大阪や関西では維新の会が圧勝、京都市長選で独自候補を立てれば当選さえするだろうと言われて久しい。なぜ立憲民主党が地方議会ですら希望がないのか、それは「与野党相乗り」に安住してきたからだと考える。与野党相乗りを全否定するつもりはないが、特に近畿圏では大政党にツケが回ってきた形となった。そこに風穴を開けたのが維新の会だ。

内容総括:1960~70年代にかけ4期に渡り横浜を率いた飛鳥田市政の分析。本論文はストーンの都市レジーム論を基に飛鳥田市政を支えたアクターの存在に注目。CPS論争について、都市の意思決定に関わっているのは一部のリーダーか、争点ごとにリーダーがいるのか、という議論だ。革新自治体は特に政府や企業といった外部に存在するアクターがいかにして当該都市におけるレジームに影響を与えているかを明らかにしていく必要がある。「何を実行しようとしていたか、結果的に何を実行したか」ということに基づき、実行しようとしていたことや、実行したことに関与していたアクターを浮き彫りにするものだ。

結論:2014年の沖縄県知事選で当選した翁長雄志も、公共政策は自公推薦の仲井真よりも「右寄り」で注目されていた。彼は選挙公報の1枚目に大型事業を打ち出し、自民党を除名になった県議や共産党などと連携し、財界からの支援にも成功し「オール沖縄」を設立した。またオスプレイ配備に反対する県民行動大会も開催し、国政選挙でも国政野党系の候補を応援していたことは翁長の持つバランス性、カリスマ性ゆえに成功したことだ。現在のオール沖縄は見るに絶えない。国政野党系の自治体展開は翁長県政から学ぶことは大きい。横浜の飛鳥田も旭川の五十嵐も、1時代に1人の名君はどこにでもいるものだなあと感じた。


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