シアターホームステイ #1
那覇に行くまで
小劇場ネットワークのシアターホームステイという企画で
僕は、2024年10月11日〜15日の5日間、那覇に滞在しました。
那覇での滞在が決まったのは6月の下旬。
「マッチングミーティング」という「滞在先の人・滞在する人・滞在する人を推薦した人」の
3人で行われる打ち合わせがありました。
1人目、僕の滞在を受け入れていくれた
「アトリエ銘苅ベース」の当山さん。
2人目、僕の滞在を推薦してくれた「うりんこ劇場」の平松さん。
3人目、滞在する新宮
(※1998年生まれの26歳・愛知県在住の劇作家 演出家、
名古屋・東京で活動する演劇ユニット喜劇のヒロイン共同主宰)
ミーティングでは、想定される滞在スケジュールについてのすりあわせや、
滞在にむけた意思確認が行われるなか、当山さんが僕に問いかけました。
「新宮さんは屈辱の日がいつかわかりますか?」
僕は、高校数学の授業中に答えを求められたときの自分の体をおもいだしながら、
それがサンフランシスコ平和条約のことだと思いました。
けれど条約の発効日1952年4月28日という日付を確信をもって答えることができませんでした。そんな自分に対してとてもかなしい気持ちになりました。
人には自分事と他人事の間に橋とかトンネルとか
連絡線みたいなものがあると僕はほどほどに信じています。
少しでも知らない人として滞在することを避けるために
個人的にリサーチを行い、5日間の滞在を行うことにしました。
ただ、知ったかぶりは気持ちが悪いと思っていましたし、
きっと、いくら調べても知った気になることはないと思いました。
それから滞在中の訪問先を博物館や記念館を主として、
史跡を訪れることで得られる現地での体感を大切にすることにしました。
滞在に向けて、当山さんにも滞在期間中に行われる催し(大綱挽き)や、現地の交通状況を鑑みたスケジュールや訪問先の提案をしていただきました。
1日目 セントレア から飛ぶ
滞在初日の10月11日(木)
あんこのお餅・えび味のせんべい・しるこ味のビスケットを脇に抱え、
僕はセントレアの動く歩道に乗った。
喋る動く歩道 「動く歩道です。足元にご注意ください」
優しい動く歩道
「手すりにつかまり、必ずお子様の手を引いてください」
さよならは言わない動く歩道
「まもなく終点です。足元にご注意ください。」
中部国際空港から那覇空港までは2時間30分。
機内では、航空会社が乗客のために座席前のネットに差し込んだ旅のしおりを読んだ。福岡便としても利用される機体だったのか、しおりには、とんこつラーメンと天ぷらに群がる人の間違い探しのページがあって、10個間違いを見つけようと熱くなってしまった。左と右の絵の違いを探しながら、どちらかが正しくどちらかが間違いではないという観点から生まれた「間違い探し」という言い回しもきっとどこかでちがい探しになるのではないかと思いつつ、
右の絵では箸なのに、左の絵では天ぷらをフォークで食べようとするおじいちゃんを見つけるなどして、小さく喜びながら過ごした。
那覇空港 に着いてから
手荷物受取所で、お気に入りの白いキャリーバックと無事再会し、彼の老朽化した車輪をキュルキュル引きながら名古屋から来た僕はいよいよ到着口を出る。すると「めんそーれ」の文字が飛び込んできた。
これまでどんな人も歓待してきたであろう、あの「めんそーれ」の看板だった。
多くの観光客によって自動ドアが開くたび、僕を出迎えるように外気が中入ってくる。前もって聞いていたようにやはり那覇は暖かく、いつもは暑いくせに、きまぐれに肌寒かった名古屋に合わせ、家から着用していた
パーカージャケットを脱いだ。ジメジメしていなかったのは10月だったからかもしれないが、外に出てからもまったく嫌な気持ちにならない温かさだった。
ゆいレール に乗る
初日であるこの日のスケジュールは、
「ゆいレール」に乗り那覇空港を出発後、
「首里城」を訪れ、夕方にアトリエ銘苅ベースで当山さんと待ち合わせるというものだった。この時点で、時計は午後2時を指していたので、少しでも急いで首里城に長くいたいと思った。
観光案内所に置かれている無料のパンフレットを手にとって読むと、
首里城の最寄り駅は首里駅、儀保駅の2つ、どちらも徒歩15分。
失敗を恐れた僕は、念のため観光案内所の人にこう聞いてみた。
「首里城に行きたいんですが、首里駅と儀」
案内所の方「どっちも同じですよ」
「首里城と儀保駅だと」
案内所の方「どっちも同じですよ」
「…ありがとうございます。」
案内所の方「楽しんでくださいね」
コンビニでアルバイトをしていたころ、客の顔を見ただけでタバコをノールックで手に取っていた自分とメビウスワンロングのお客さんの顔を思い出す。それだけ首里城を訪れる人が多いということなのだろう。
ありふれた質問をした訪問者は反省しながら、空港に直結しているゆいレールに乗って首里駅に向かった。
「ゆいレール」は、
東山動植物園にある「スカイビュートレイン」と同じ跨線型のモノレールで、駅舎や乗車環境は「リニモ」に近く、滞在期間中は何度も利用した。国際通りへの移動にも、栄町市場への移動にも使える交通手段だった。那覇市内の移動にゆいレールはとてもとても便利でスポーツ刈りの運動部の学生やなぜかオリオンビールのTシャツを着ている観光客がだいたい乗っていた。
乗車率は昼の東山線(今池〜本山)と同じくらいに感じられた。
首里城 で写真を撮る
首里城は、琉球を統一した尚巴志が居城にした琉球王国の首府。山のような地形に作られていて、防御のため何重にも石垣が築かれている。
遠くからこれぞ。といったスポットだなと心弾ませながら歩いていると守礼門が目の前に現れた。守礼門はイメージ通りの朱色の門だった。空の青とのコントラストがとても綺麗だった。
周辺は平日の夕方にも関わらず、多くの観光客が利用していて、守礼門で記念写真を撮った僕が奥へ進んでいくと、多くの外国人とすれ違うことになった。
世界遺産にも登録された「園比屋武御嶽石門」の前では中国語を話す二世帯家族がいて、
おばあちゃんらしい人が残りの家族の集合写真を撮っていた。せっかく首里城に来て、おばあちゃんだけが家族写真に映らないのはあんまりだと思ったので、温かい気候にほだされてお節介になった訪問者(僕)は手を挙げてシャッターを押すジェスチャーをして見せた。
自分なりに解説すると、「俺、写真撮りましょうか?」の代わりのジェスチャーだった。無視されたら、たまたまそこで写真を撮る練習をエアーでしている人のフリでもしようかなと考えながら反応を待つ。すると、お父さんらしい人と、おじいちゃんらしい人が、僕に向かって「シェイシェイ」と言ってくれた。日本語話者のお節介を中国語圏の方が喜んでくれた瞬間だった。
おばあちゃんらしい人からスマホを受け取り、横と縦、1度ずつ念の為、連写で撮った。
僕のせいで日本人は写真撮影が下手だとか言われたらたまったものではない。
「1.2.3茄子!」という掛け声を僕は知らなかったので、掛け声は「3! 2! 1! (スリーツーワン)」。最後に孫らしい子が「シェイシェイ」と言ってくれて、手を振って別れた。
海を挟み大陸から距離の近い琉球王国では、学校の教科書でも学んだ朝貢、冊封が行われていて、首里城には大陸からの使者(冊封使)を歓迎する門などがあった。
首里城の動線はほとんど坂道なので気がつくと高いところに自分がいて、
風を感じながら街を見渡せる気持ちのいい場所が多くある。海がずっと遠くまで広がっているような景色はとても象徴的で、こんなにいい思いをしていいのだろうかと自省した。
かつて正殿があった場所は、現在大きな建屋に囲まれていて、透明な板越しに各分野の職人の作業を見ることができた。2015年の焼失から首里城正殿では復元が進められており、火災後に保存された土台部分の礎石や残った屋根の装飾が展示されていたり、復元中の正殿も見ることができた。再建にむけた案内板を読んで非常に多くの人が首里城の復元を望んでいることを感じる一方で、失われる速さに対して失われたものを元に戻すことの大変さを感じてしまった。
どこから見ても、とにかく景色がいい首里城公園をあとにし、
再びゆいレールに乗ってアトリエ銘苅ベースの最寄駅古島駅に向かった。
古島駅に到着すると、なんと当山さんが駅まで車で出迎えに来てくださっていた。
初日からもう頭が上がりません。
車内では僕がさっき観てきた首里城の感想を。当山さんが滞在期間に行われる大綱挽祭りの話をした。大綱挽祭りは1971年から毎年10月に那覇で行われている祭りで、全長200メートルの綱を大勢の人がひきあう祭りらしい。当山さんによると、その祭りには祭りの終わりに綱の端を持ち帰ると幸せになれるという謂れがあるそうで、基地からアメリカ人がやってきてナイフで綱を切っていくというお話だった。持ち込まれるナイフに恐怖を感じながらとても魅力的な謂れだなと思っていると車はすぐに、滞在先であるアトリエ銘苅ベースに到着した。
アトリエ銘苅ベース に到着
アトリエ銘苅ベースは、
当山さん・当山さんとともに劇団を立ち上げた安和朝彦さん、安和学治さんらが中心となって作られた劇場だ。当山さんから伺った、お三方が劇団と劇場を作るに至った経緯は、まるで奇跡みたいな話だと思った。お三方が力を尽くして生まれた空間では、これまでもこれからも多くの演劇が上演されていくのだと思う。
到着後、宿泊する部屋の説明とともに当山さんに劇場の中を案内していただいた。
高さと奥行きのある自由度が高い空間で、いつかここで劇を上演してみたいと思うと同時に、次に自分が那覇に来るのはいつなのかと具体的に考えてしまった。照明卓や灯体、キューライトにいたるまで知り合いや馴染みの劇団から譲り受けたものが多くあるという話を伺ったり、アトリエ銘苅ベースが実際に作られていく過程を写真で見せてもらうなど、ビフォーアフターに驚きながら、アトリエ銘苅ベースは、お三方が起こしたきっかけと機運に、多くの方の想いがいっぱいに乗っかって出来ているのだということを感じた。大満足の滞在1日目だった。