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やるやん自分

えー
駄文再び。
身内紹介は書きたい人がたまっていないので書きません。500文字とかになっちゃう。
なので今回は最近あった人生のなかでトップレベルに嬉しかったお話をさせていただこうかなと。

追記 自慢ととられても仕方がないことをいくつか書いていますので、自分のことが嫌いな人は読むことを絶対におすすめしません。あと、読んでも嫌いにならないで。


そもそも

おそらく身内様の範囲でのnoteということもあり、皆さんがいいねやリツイートなど、拡散をしていただいたこともありましてご存じの方も多いかとは思いますが、

ありがたいことに看護師を目指すための学校に合格をいただくことができました。

ほんとによく頑張った自分。

まだなってもないのに喜ぶのはよろしくないかもしれませんが、やっぱり合格というのは嬉しいものです。

今回はそもそも看護師になることを目指した理由と入るまでの大激闘をかきかきできたらなと思います。

なぜ目指そうと思ったか

まずは原点からですね。
大きく分けて二つあります。
自分自身、父は眼科医、母は介護職、姉は看護師となんかもうすごい医療医療医療医療みたいな家庭に爆誕しました。
ビッグモーターもびっくり。
当然こんな家庭に生まれたものですから、日常会話とか小学校とかによくある「家族紹介」みたいなものでもその職業に触れる、学び調べることがおそらく普通の人よりは多かったと思います。
自分が一度歯の手術をするとなったとき、父の病院ですることになったことがありました。
専門医ではないものの、総合病院だったので、オペ室の前で待っていると、衛生服(オペ服?)を着た父が颯爽と登場。

18年間の人生のなかで一番えぐいぐらいの、

「カッケェェェェェェェェ!!!!」

を感じたわけです。いやさすがに。
さらに、一度姉が働いている小児科の開業医さんの病院にコロナの検査に行ったときに、子供と楽しそうにふれあっている姉をみて、

「カッケェェェェェェェェ!!!!」

があったわけです。姉のことは嫌いですがかっこいいことに変わりがあるわけがない。なんなら嫌いなのにかっこいいという感情を抱くのがいかに憧れていたかがよく分かります。
人生のなかでトップレベルの感情というのはやはり生きる上においても非常に影響を及ぼしてくるので看護師になろう、目指そうと思いました。

もうひとつの理由をあげるのであれば、上記に書いたことに少々関連していますが、人を助ける、役に立つことに生き甲斐を感じている自分がありました。
人から感謝とか褒めをされるというのはめっちゃうれしい。一生覚えてる。
それに関連して(?)最初は看護師ではなく教師になりたいなと考えていた時期もありましたが、ブラックさを知ったことと、行っていた学校の教師たちのゴミ具合をみて、やめざるを得なかった。さらに上記の出来事。

サブサブサブ理由としては、将来もし結婚するとなったときに養える確証を持てる職業というのもありました。国家資格ですから。

念押しに言っておきたいことがありますが、お父さんが~…みたいな自分の功績でもないことをたらたらと自慢するようなクソゴミ小学生みたいなことをするために書いたものではありません。目指したのにはそれ相応の理由というものがあるので。

受けるまでの激闘

続きますはそこに至るまでの激闘を書かせていただきます。
自分がいっていた学校は、中高一貫の私立の男子校で、いわゆる「自称進学校」の権化も権化みたいな学校でした。たまにでる京○大学や東○大学合格者のせいで意識だけが超大型巨人級の高さ。ばぐ。
当然、自分の代でも無駄にプライドだけが高い教師が担任になったこともあり執拗に、

「国公立大学に入れ!」

「私立は雑魚!」

みたいなことをいわれ続けながら生きてきました。



しね。


さらに中学入試のときに首席合格していたこともあり、過去の栄光を掘り出してきてお前ならいける!やれる!みたいな、進学実績しか眼中にない鎮火すがいっぱい。そのなかでの専門学校となると、先生側としては困るところがあるらしいっすわ。なめんな。

自分も最初は教師志望であったこともあり、国公立大学を進路希望で出していたので、先生としては

「おまえさん何言ってんの?」

みたいな反応でした。
看護学校に行きたい話し始めた最初の頃はもうずっと、

「4年制大学にいきなよ!!」
の繰り返し。

死ね!!!!

あまりのしつこさに別れを切り出されたメンヘラかと思う部分もありましたが、そんなこと言ったらお縄なので言えるわけもなく。

結局はお金を払うも何もかも全てこちらでやることなので受けることは確定。次に起こる問題が受験方法です。
といっても特異な選択肢はなく、一般と推薦のほぼ二択でした。
しかし、前述の無駄にプライドだけ高い自称進ということもあり、推薦を受けさせない、推薦書を絶対に書かないと言い初めて一点張り。
当たり前のように納得できる理由もなく何度も交渉し続けてはいましたが無理でした。
推薦書を書かないと言われていたのは担任からだったので、校長先生に親からの手紙を書き直談判。

残念ながらその願いは実ることなく推薦は断念することに。
しかし、校長先生は自分が看護学校に行くことにすごく共感・賛成をしてくれたため、校長先生からも担任に説得の話が行きました。
ここで、この進路指導に関して担任が校長にもこちら側にも嘘を一つついていたことが判明。言葉があっているかは分かりませんが立場が逆転し、なんとか一般での受験は許されました。いやー長かった。

いざ受験

受験を許されたのならば受けないわけがない。
ここに書くことはさほどありませんが適当に。

勉強面の受験科目としては、国語数学英語生物と学校で履修している範囲がほとんどで困ることはなかったです。困らないぐらいの学校にいれてくれた親に超絶感謝。
問題は面接と小論文。
この二つに関してはバイトはしたことないし、高校もそのままだったので面接は受けたこと無し。小論文に関しても作文とは違い書いたことがありませんでした。
小論文に関しては持ち前の限界日本語を駆使してなんとか突破しましたが面接というのはやはり非常に緊張しますね。
人手不足が唄われる看護業界、医療の業界と言いましてもやはり女性が非常に多い。グループ面接でしたが4人グループで自分だけ男。緊張でしたね。
自分には推しと心を落ち着ける最強の曲、そしていつも通りの環境を作ってくださる皆様がおりましたのでここも強引に突破しました。

きんにくきんにく。


お陰さまで合格できました。

最後に

中身のないスッカスカな文章を書いてきましたが、最後に自分として本当にお願いしたいのは、

・なりたい
・やりたい
・頑張りたい

のような夢と希望というのは絶対に折れずに諦めてほしくないです。自分自身過去にも、

「あ、やっときゃよかった。」

みたいな後悔が死ぬほどたくさん。大体一週間に一回はあります。

今回は人生がかかってる、将来もかかってるということで校長まで直談判しにいく少々強引なところがありましたが、後悔しては意味がない。実際こうして結果を手に入れつつ、周りの皆様に祝っていただくことができているわけです。

前回のノートをご覧になられた方はまたいうのかという感じですが、やはりここでも周りの環境に影響されたり助けられてばっかりです。言葉で言い表すことのできないぐらいの最大の感謝をしたいですね。

うっすい文章かいて最後に18歳という浅い人生経験ながらなにを大口叩いているのでしょうか。

皆様への感謝をしますと共にこのノートの終焉とさせていただきます。





看護師なるよ。


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