引用して書きました
内田春菊Wikipediaより
人工肛門を造設することがこれからの人生に無きにしもあらずな訳だが、それを公表するかどうかはまた別の問題である。大腸癌を患い、人工肛門を造設したことを公表し、皆んなにわたしの肛門姿を想像されてみたい。肛門姿とは。
皆んなの検索履歴に「人工肛門 画像」をできるだけ沢山残したいし、人工肛門のこと、ほとんど忘れてしまった頃に「じんこう」と打ったとき、変換のかなり序盤に「人工肛門」が現れることにぎょっとしてほしい。
その、衝撃的な刹那のうちに人工衛星のことを忘れさせて、その間だけは人工肛門だけを見詰めていてほしい。
昨日の放課後より
今日の放課後、通話のビデオをオンにしろ、と迫られ、「ちょっとお色気直し」をしている子が居てかわいかった。すごくかわいかった。
最終的にお色は直らず、もちろんお色気も直らず。お色気を直すとは。彼の顔を見ることはできなかった。
昨日の晩ごはんより
今日の晩ごはんはれんこんと豚肉と枝豆と長ネギを炒めたやつで、それはアルミホイルのカップに載って提供された。長ネギがなにをもって長、なのかには議論の余地があった。忘れていた。議論の余地があるな、というのは毎出会い頭思っていたのだけれど、実際に議論するまでが、なかなか時間が取れなくて、とか言ってしまう自分がいやだ。何はともあれ、どちらかというと太ネギである。長ネギ。
昨日、じゃなくて今日、の未明の自分
及び寝起きの自分より
エムワンの3回戦をめっちゃ観ていた。なんの努力もなしにピンマイクの前に立ち、いや、後ろに立てよと。うん。ピンマイクを前に立ち、なんらかを展開させたい欲に駆られる。駆られる自分がいやだ。
人間横丁、からの内田春菊Wikipediaである。
さすがに、なんの脈略もなく春菊には辿り着けない。
夜5:38、布団までの道中、膝栗毛ってやはり帰り道に思いついた単語なのではないか、と思う。
どっぷり疲労感に浸かっていて、3歩ごとにため息をつかないと立ってさえいられない、の帰り道。
膝こぞうから栗色の毛であろう。栗色の毛の相場はやわらかくて癖があることで決まっている。栗毛の丈感だけ、検証できていないのが心残りだが。栗毛の丈に思い馳せながら眠りにつ、けなかったのが夜は6:40のこと。
十返舎一九の、一と九を足して十にすればいいものを、返舎、の部分に執着しようと試みている、ような夢。
の
昨日の夕飯が小腸で入り組んで、長いこと足止めを食らったことを物語るような便。迷路仕掛けな便。こういうの、なんて言ったらいいのだろう。
長い昼寝から起きた自分より
枚挙にいとまが、ないはずが、枚挙に、イトマガナイのである。稚内の横の「糸禍内」である。あるいは、あの日本海に浮かぶのがそう、戦艦イトマガナイである。
そんなことは無いのだ。
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