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みかさに患いながら
珈琲ゼリーを食べる。
チープに「コーヒーゼリー」と表記するのをぼくは
好むけれど、商品名がちゃんと珈琲してるので、
わざわざ手を入れるほうがきしょい。気をつける。筒の容器はけっこう深さがあって、食後の腹の満たされ具合、きっとばつぐんなのではと心が走る。
フタをぺりりと剥くと、ほのかにコーヒーに染まったクリームがフタの裏にぽってりついている。やはり。
ためらう。やはりぼくは
みかさなら。迷わずなめるだろう。珈琲ゼリーを注意深く観察すれば、クリームの量はちょうどよいに留める傾向の強い某社のロゴマーク。コーヒーゼリーにおける、いちばんのすてきな時間。ゼリーを滅した後に訪れるクリームだけの時間は、今回はないと考えてよいだろう。となれば
なめた。あの、ぼくの好きな顔を思い浮かべつつ、
できるだけその、なめるという行為が強い渇望に
よるものだとまわりの観衆に感じさせぬよう、な
めた。
おいしい。
「まこと」
「すごいすき」
脳に響く、というか そんな人並みな言葉では言い尽くせなくって、そんなのよりもずっと、大腸を走られるような、昨日かおとといか、みかさからもらった言葉は、走られた足跡が焼きついたような、そんな感じだった。
何回もいたい。焼けるように、じゅっと思い出す。
車谷みかさに会いたい。
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