メモ:人間性を感じたくないときがある
人間味に疲れた先で、人間味を感じたくないんだよ。
という感情を何処にぶつけたらいいかわからなくて、人間味をそぎ落とす創作をしてきたはずなのにしてきたはずなのにやればやるほど、人間味を感じる、汗の匂いとか呼吸が視えてしまう。この気持ち悪さが…異形を摂取することでしか満たされない。
そんにゃサイコメトリーの皆さんにお悩み相談したい苦痛がままならない。殴り合う以外の方法が出てこない。
・元々小説にしたのは、「絵が動く、何か言って来る」のが怖いという感情が強かった、視覚イメージを持ちたくなかったから。
ボイスドラマくらいなら良いかな、くらいでやってた。
なんか疲れると悪口が見たくない、という感覚で疲れると感想が辛い現象
好き嫌いとかじゃなく 「自衛」の話。
自衛、すると『何故だ、いい事を言っているのに』とか『簡単にブロックするなんて心が狭い』とたまに聞く。
いい事を言っているんだろうな、と思っているし、
優しいんだろうな、と思っている。上で、それでも自分が耐えられないから自衛する。
アニメとか
「動くのが怖い。気持ち悪い。」
そもそも当初そればかりだったという感覚を自分の中で認める、表明するタイミングをミスったなと。
アニメの出来とか漫画の出来とか、アニオタの感性の中での評価の中に居場所なんて無いのに会話してもなぁというか。こう全部どうでもいいというか、よくないけど、「あーーすごいんですねーーーーーーーーーーー」
しんどい。疲れているときに見ると、余計しんどさだけがあるのかもしれない。こんなにすごいのにーーーー「へぇーーーーーーそうですねーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。
普通に感想を語っていても手が自然とブロックを押しているときがある。感想がどうとか、出来とか、分からん、知らん。
しんどいだけがあると言う場合がある。というだけ。いつもではないけど、
オタク君が気持ち悪いというより、絵が動くんだよ?不気味だよ?というのを分かってもらえないだろうという、その当然のように肯定されるんだろうという意識、固定観念そのものが苦手な感覚がある。
人付き合い向いてないなと思うけど、対面ではまともに会話するかもしれないが、せめてネットの中くらいは自由に自衛しようと思っている。
なお、知人は真逆(ネットではいい人で居たいらしい)なので悉く合わない……
総括
今の社会は、オタクに気持ち悪さを感じる風潮が悪みたいになっているので、アニメとかに気持ち悪さを感じる風潮も悪みたいになっているけど、面と向かって否定しない分には「そういう人」も居ると思う方が気が楽だから居て欲しい。うちの祖母は「写真を撮ると魂が吸われる」と言う人だった。前回の、絵の頭部を描くのが苦手という話に通じるものがある。
ごろっと死体が転がっているような感覚がしてきて、自分で描いていても混乱することがある。
錯覚とわかっていても、目の前の錯覚に怯えてしまうのだ。
でも、アニメやゲームも観ているし、楽しむこともできる。
恐ろしさと、興味で心が二つある。しんどいのかしんどくないのかわからない、怖いものとそうじゃないものの違いはなんなのか?
を明確に表すのが難しいけれど、その答えのひとつが
何を何処まで表現されているかと、記憶、認識との繋がりによるものかもしれない。
自分が疲れにくい創作を
こんな気持ちも大事に受け止めることで、
あるある、と納得し、自分が疲れにくい創作をしたい。
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