見出し画像

記憶症候群の話

 記憶症候群がどの程度実態を持って居るかはともかく、
実はこの言葉は「なとなと」が出来てから頻繁に聞くようになった単語です。一度覚えた事など自身の感覚、自伝的な記憶が忘れられないという症状を持って居ます。サヴァン症候群などのような知的障がいはなく
代わりに断続的なフラッシュバックに見舞われており、常に記憶の中に身を置いている状態です。

 主人公の夏々都君が、この症状を抱えているわけですが、
実は作中の描写は『私自身が、自分の特定の情報が忘れられないこと』を元にして描いています。覚えてないこともいっぱいあるんですけどね。
謎解き要素は大体記憶力があればなんとかなるので、まつりのサポートもしています。

 彼は認識に困難があるディスレクシアや、ときどき電池が切れたように眠ってしまうという特徴も持って居るのですが、これは常に覚え続ける事に身体が耐えられなくなると身体が勝手に眠らせてしまいます。こうしてバランスをとっているというわけです。
実はもう一つ、記憶と体のバランスをとるための設定があるのですが、なんだと思いますか?

なとなとの裏設定


 実はなとなとは彼が「記憶をそのまま語っている」物語と言う設定でした。記憶を元に一つ一つを砂のようにかき集めて、繊細に組み立てている。今はまつりの視点も入れてるんですが、第三者視点というより一人称に寄っているのも彼の記憶の世界という表現だったりします。
えーっと、そう。つまりですね、
「記憶がいっぱいになると、何も考えられなくなってしまうので、小説のように長々と語る」ことで、語られた記憶が外的な記憶装置としての役割を担っているわけです。まつりの備忘録でもあり、彼の記憶を整理する場所でもある。忘れると忘れないを二人で一人として対になって現しています。

経緯の話

  唐突にこの記事を書こうと思った経緯の話。

私自身が、定期的に何も考えられなくなる時期があり、
視界に映るものとそれ以外とを分けてから生活していても、
ある日ふと、電池が切れたように何も手に付かなくなることがあります。
記憶と感情がいっぱいになって、その事ばかりが浮かんだり、壁を走ったりしています。

そのときは部屋に籠ってひたすら創作に打ち込むのですが、自分の感情が存在する事や、見ているものと見なくていいものと、見つけたものを、改めて書きだして分けるのをメモ帳とかに頼っています。
 それが盗作に合いました。
 それが盗作にあったので、

体調を保つために更に文章を書くようになり、
 親やなどからずっと部屋に籠っているので「遊んでいる」と言われ続けて居る、でも体調の為に必要で親には秘密でやっている、というのが今の環境が経緯で……



情報が多くて麻痺するのは、自我の問題でもあります。
統合失調症の話ではなく、心すら無いという感じでしょうか。
人は何を選択して何を感じるか心や自我によって分けているのです。それがなくなると全部受け取ってしまいます。ちょっと難しいですね。
 記憶がきちんと格納されているので、幻などで病むにも至らず、というのが違いなのかもしれません。

 つまり覚えて居る事を自分でも順序立てないと喋ることすらままならなくなるから小説を書いて記憶を整理しなおしてそれを「夢」としたわけですね。夏々都君はそれを語っているという設定です。


 何も手に付かなくなることは何度かこれまでもあって、それはある意味あらゆる世界の情報なので自然の声だったりもするのですが、巫病というか、自分でもなんかわからない状態になります。自我というかお守りというか…それが文章に留めておくことで……描いてることが伝わってるかな?
余計な情報を遮断する為にプログラムを読み直しているのですね。

 丸いサイコロを描いたときも症状が重くて何も出来なくなりましたが、完結するくらいに症状が落ち着きました。
部屋が眩しい、触れる物が総て痛い、熱い、頭が痛い、というのが顕著だったかな。
なので、すが、迅速に動けないくらいに情報が多くて、2~3年くらい情報を
整理してそれが出来るようになって少し喋れるようになりました。
描きたいものが書けるようになると動けるようになるんですよね。
思うと、学生時代に症状が重くなくてよかったです。
曖昧で不思議な記憶の世界が表現出来たら良いな。


2024年1月30日18時18分

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?