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佳ノ宮まつりは、
男性でも女性でも無い。――そして神様だ。


なとなとの話


Q.まつりは実質男の娘ですか
A.いいえ、中性です。雌雄同体や両性具有のような感じ

 もともと恋愛描写が嫌いで、恋愛描写を作品から無くすにはどうしたらいいかを考えて、性別の詳細を省くことにしたのが始まりです。
恋愛描写が嫌いな理由はいろいろありますが、付き纏いや、身近な相手が他人を振り回して地獄に陥れる手段が「好きになっちゃったぁ」(ターゲット確定)である事、また共感性羞恥や自己嫌悪の最たるものという面もあります。なので嫌な気分になることが多かった名残というか……
恋愛描写に拘らない作品にするぞ!という意気込みみたいなものでした。
他人の幸せとして切り離す分にはまだ良いのですが、作品としての共感を求められると出来ない事もあります。




 BLとかGLのように性別で記号化される事で恋愛描写になってしまうので、それに激しい拒絶を覚えての処置。

本文に書いている『男性でも女性でも無い』は、元々は『男性でも女性でも無い』ので、憎き恋愛描写(性的対象)は拒絶しますという意思表示の名残だったのですが、(今は昔より緩め。対物性愛とか書いてるし……)

最近、その文言だとポリコレによって単なる両性偶有の記事と混同されるので面…いや改めて、書いておこうと思います。
側面としては人間以上に神様のような感じのイメージなので

 人間の、両性具有の方の話題としてネットに上がっている「男性か女性のどちらかになりたいのでどちらでも無いと言うな」という記事とは混同しないようにしてください。



最近の描写

に関しては付き合っていないけど二人の中だけで独自の慣れあいがあったら面白いなと思って恋愛を皮肉って入れたりしていました。
あれだけ触れあって居るのに?
とか、あれだけ仲が良いのに?
というモヤモヤで遊ん……  関係性とは何か、世間に問いかけている。

 

そもそも恋愛とは何処にある何なのか?

恋愛描写ってなんのこと?

 誰がそれを証明するのか?
あまり共感されないのですが、コップとかボトルとか毎日口を付けているのに、それを意識してしまったり恋愛しているという人は殆ど居ないのは何故なのでしょうか? 

 ちなみに私はわりと物に触れるのも緊張してしまいます。
人以上にドキドキすることもあるし、[目]があっていると思うことも。
だから他人が物に対してそれを意識しないというのが理解が難しい。
幼い頃にそれを否定された事もあって、もし、「それも恋だよ」と言われて居たら人間に対してもその認識を持ったのかもしれませんが。
心と、世間の感覚が違うという事。
それにメディア等でも物は恋愛描写に含まれていません。
 物に対してはどんな感情になっても相手が物だから、本当は何か思う事があっても何も思っていない事になるのでしょうか?
それと性別も同じ。性別が同時に恋愛や関係性の否定材料になるのではないでしょうか。

幼い頃
 これが恋ではないとしたら、その行為に意味はある?と思ったり、物も他人も同じように接して居たので酷く混乱し、人間にしか向けられない感情と思い込もうとして中途半端に矯正したのですよね。今の多様性の時代になってそんなに拘る必要も昔ほど無くなってきましたが……
とにかく、相手を人間や異性に限定すると恋と言って貰える描写は、
物や同性だとそうはならない。これが今までのセオリーだったという話です。で、それはそうと。


人間に興味が無い、あるいはあまり性的に

意識してないと逆に

距離が近くなったりするのでは?


――というのもあって……
此処まで書いて、要するに
世間的にも距離感そのものは恋愛の証明ではないわけです。
壁とか物を触るように夏々都君にベタベタ触れて居たらロマンチックだなと思うのですよね。物のようにべったり甘えたり、人のように拒絶したり。
まつりがああなっているのは、半分夏々都君のせいなのですが……
まぁ難しい話はともかくお互いを大事に思っているのが大事なのではないでしょうか。

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