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まつりと今日子





「今日子。ごめんなさい。本当にごめんなさい」



雨が、降っていた。
 その場所に在った家は、今は更地となって誰も訪れない丘だから、少女は気兼ねなく話しかけていた。 
 歩いてくる途中で土が跳ねた服も気にせず、一心不乱に謝る。
「本当にごめんなさい、本当にごめんなさい」
 風で、傘が転がってゆく。それは大事な傘だからあわてて手元に引き寄せるが、傘はささなかった。
雨に濡れていたかった。
このまま流れ落ちていく気がした。

 表には無いが、特異な力を持つ人が事件に関する調査を行っている『事務所』がある。
少女は、所属するそこからの依頼で、
明け方早くから此処に赴いていた。
──昔、この家で『少女』の友人の今日子が死んだ。

 少女に出来るのは『話を聞く』こと。その能力は昔オカルト系の雑誌で有名になったこともあるが、彼女がある種のポリシーを持ち潔癖性のため、今は面白半分の取材は断っている。しかしある日、運悪く事務所に、死んだ今日子の身内が依頼に訪れる。
彼女は昔の縁もあり『話くらいは』聞こうと承諾したのだ。
 『調査』の結果、今日子は、ただ死んだだけでなく、家族の呪縛からやっと自由になったことが明らかになる。重たい評価、異様なほどつきまとった家族。友人の嫉妬。殺したのは通り魔だ。けれど、それは最後の一押しなだけ。事件よりも、その背景の方が痛ましかった。ただ死んだだけじゃない、何もかもが、殺した。
「もう、怖いことは起きないから、ゆっくり眠ってね」
その日、簡易的に作った墓地に花を添え、少女は彼女におやすみなさいと言った。




──けれど、それだけで終わらなかった。
 翌日結果を報告すると、依頼者の今日子の家族は、事件をおもしろく『売ろう』と詳細を更に聞くようにせがんできたのだ。
彼女の命を、売り物として差し出すことをそれをアレンジさえすればいい程度で、なんとも思っていなかった。
自分の物だ、とさえ言い張った。

「あなたは、あなたのものなのに!!」

だから、わからない。だから、逃げ出した。
あの気持ち悪い家族から。


「──私、わからなくなりそう。あなたが、この姿になってもなお、『家族』のもとで、資本化されるだなんて、あなたが、あなたになれないなんて」

どうして、こういった遺族ほど、やっと自由になった魂を、自分を裏切った世界に結び付けようとするのだろう。憎しみしかない場所に、わざわざ留めて、自己満足を見せ付けて、何を納得したいのだろうか? 家族がそんなことをする気持ちが理解出来なかった。

「死んだら、心だけに、なっちゃうのよ!?心が、全てなんだよ……! それくらい、自由にさせてあげて!」

 心だけになった子が、その心を話すのは、肉体を持った子の何倍も重みがある。痛覚が無くても、とてつもなく痛い。
それは、肉体の代わりに魂に与えられた保護膜のようなものかもしれない。
 親でありながらあろうことか自分の子にまで『もっと探れ』という態度しか取れないのは、もっと痛みを受けろという通告を平気で出来る姿でもあった。
その、心が『全て』だというのに。


──理不尽よ! そんなのマニュアルにないし、教わったこともない! 知りようがないことで責めないで頂戴! あなたの落ち度じゃないの!むしろ私に謝ってくださる?


「……はぁ」

どうせ、言いそうなことを想像すると頭が痛くなる。もういいから、黙って欲しかった。こっちは何度も打ち切ろう、やめよう、と嫌そうにしているのに、全く察することがない時点で、マニュアルになかったからなんて言い出すのは想像に難くない。
『全て』を確かめることは危険だ。人前に全裸を晒し、何もかもを白状すると生きた人間すら、生きた心地がしない人は多いだろう。
 その『全て』が生きる上で外敵から身を守るための鎧。話を聞くことだって、本当は肉体がないぶん尖った心から鎧を剥ぎ取ることと変わらない。だから、必要な情報以外はそっとしてあげるべきだと少女は考えていた。

 でも『あの様子』じゃ、部屋まで押し掛けてきて、どうしてなのか、自分のものじゃないか、などと頭が悪そうなことをギャーギャー騒ぐまでがセットだろう。本来心は今日子だけのものだ。『自分のもの』『全て』を手にする残酷な手段を探して粘られたらたまったものじゃない。


 そんなことを思い返しながら、そのさらに翌日、少女はこの場所に居る。
かろうじて崩れた塀があるだけの、廃墟。
そのすぐ足下には土に棒が立てられた簡易な墓がある。

「やあ」

 後ろにある崩れた塀の上から、声がして、少女は振り向いた。
色素の薄い、耳が隠れるくらいの髪。大きく円らな目。少年なのか、少女なのかわからない。というか、いつから居たのだろう。
『その子』は、すぐ近くに座って、きょとんと、少女のほうを見ていた。
「──こんにちは」
「あ……の……」
どう表現したら良いのかわからない。不思議な子だった。お墓、に手を合わせて
、長いコートを引きずりながらこちらを振り向いた。微かに血のにおいがする。
けれど……なんだか、残忍な感情とはかけ離れた、暖かい、気を感じる。不思議だ。
まるで、天使みたいだ。
「なにかを失った人はね、病んでしまうんだ。だから──失ったものを周りに求めてしまう。
それは死者の呼ぶときの声、においに似ているから、君が嫌悪するのも無理はない」
「私──」
「なにも、戻って来ないのに」
そう。失った人は、失われた人と同じにおいがする事がある。こっちへおいで、と、呼んでいるようなときがある。
 きっと経験した人にしかわからない気持ちなのだろうけれど、誰かの死を纏った人間は
憑いているみたいに、呼ぼうとしていることがある。成仏していないのは『こちら』じゃないかと思う程の、おぞましい邪気。
(『それ』を、祓うことは私には出来ないけれど……)
「気持ちが悪いって言うと、大抵軽蔑されます。内緒にしてください」
「そうだね、彼らは『こっち側』じゃない、ただの人間だから仕方ないかもね」
その子は、どこか寂しそうにそんなことを言った。こっち側、というのは私たちの側だろうか? 少女は考える。
力を、持ってしまった、人知れず生きる自分たちの──
「……私、花って、言うの、あなたは」
「まつり、で良いよ」
まつりは、何がおかしいのか、クスクスと笑った。
「まつり──さんは、ひとりで此処に?」
「うん。あと、君の様子を見に、ね」
「事務所の!」
まつりが首肯く。 本日の用は済んだので、そろそろ事務所に居る『菊ちゃん』か『鶴ちゃん』に迎えを要請すべく電話しようと思っていたところだった。
「花子も、大変だったね」
「う……知ってたんだ。私のこと」
近所の子どもからしわしわネームって、からかわれたから、花子って、名前が恥ずかしかった。
まつりは少しいたずらっぽく笑う。
「鶴さんに、菊さんも知ってるよ」
「うう……」
俯いた花子の手を、まつりが引く。

「さぁて、事務所まで送るよ」

「あ、あの、まつりさんは、その、迎えに……?」

二人で歩く。
まつりはクスクス笑っていた。
「内緒」

2021/20:40/8/10

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