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生まれてきて良かったなんて思ったことはないんじゃないかな


俺がCRYAMYを聴くようになったのは1年半か2年前くらいだったかな。
ファン歴は浅いけど、自分にとってちょっとだけ特別なバンドだったから気持ちを整理する意味で書いておこうと思った。

正直に言うとCRYAMYの曲はメンヘラじみた歌詞が多くて好きになれないというかあんまり理解できない曲が多かった。
だからこそメンタルが沈み気味のときはちょっと染みたりするんだけどね。
とはいえやっぱり基本的にはそんなに好きじゃなかったんだけど、生きてると自分の心に空洞ができてしまう瞬間ってあると思うんだよね。
そんな時にその空洞にピタッとハマるような歌詞を届けてくれるのがCRYAMYをいいなって思ったきっかけだった。

別に俺はわざわざ誰かに話したり相談するようなドデカイ悩みなんて無いし、
悲劇のヒロインみたいな悲しい過去や、壮絶なイジメを受けて引きこもりになったような過去ももちろん無い。

逆に心の底から生まれてきて良かった、生きてて良かったって思ったことも多分無い。

すぐ死にたいって言う人は最近多いけど、別に死にたいと思うほど人生に絶望したことも無い。
日々の些細なことにちょっとずつ心は擦り減ってるけど、やっぱり余程のことがない限り傷つきながらも生き続けてくんだろうな。

でも、死ぬ理由はないけど、だからと言って生き続けるような理由もない。
もう何もかもめんどくさいし、今目を閉じたら自分の存在が無かったことにできないかなって思ったりもする。
俺がもういいって言ってるんだからもう終わりにしてくれよって。
そんなことを考えてると、自分の心に空洞ができて、それが少しずつ広がってくるような感覚を覚えた。

それを埋めてくれる人なんていないし、別に埋めてほしいとも思ってなかった。
そんなモンは時間が解決するって思ってたから。
でも解決してるように見えて、やっぱりちゃんと心は擦り減ってる気がしてた。

ディスタンスを聴いたとき、そんな気持ちを見透かされたような気がした。
本当は共感なんて月並みな言葉で言い表しくないし、ましてや「自分のことを歌ってる」なんて驕った考えも持ちたくなかった。
ただ、ちょっとだけ嬉しかった。

何か悲しかったわけじゃないし、辛かったわけでもない。
自分の存在を肯定してほしいわけでも、認めてほしいわけでもない。
自分の行いや振る舞いを励ましてほしいわけでも、応援してほしいわけでもなかった。
そんなことして欲しいって言えるほど素晴らしい生き方もしてきた自信もなかったしね。

でも、ただふとした瞬間、言い知れぬ虚無感に襲われた時にそこにいてくれる。
寄り添ってくれる。
ちょっとだけ共感してくれる。
自分ですらはっきりと分からないこの謎めいた暗い感情を受け止めてくれる。
たぶん人でも動物でも歌でもなんでも良かったんだと思う。
そんな曖昧で当たり障りのない何かをCRYAMYは確かに与えてくれた。

日比谷野音でのライブ、カワノの口から「何があっても生きろ」って言葉が出た時、CRYAMYというバンドで活動し続ける意味や役割をもう終えたんじゃないかなって思った。
でも結局解散というワードは出てこなかった。
それはもう俺たち一人ひとりが自由に解釈していいってことだよね。
カワノは人間になって生きる意味を見つけてしまって、もう心の底から俺たちに寄り添うことができなくなったけど、
"CRYAMY"はこれからもずっと寄り添い続けるよっていうメッセージだと思うことにするよ。
別に伝説になんてならなくていいから、ちょっと気持ちが沈んだときにまた寄り添ってくれると嬉しいな。

カワノを盲信する気はさらさら無いけど、
そこまで言うならもうちょっとだけ『生まれてきて良かった』と思える意味、『生きてきて良かった』と思える意味を探すために生き続けようかなと思えたって話。

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