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濃霧

忘れられない光景がある、私がまだ高校生であった時。
私は電車で高校に通っていたのだが、それなりに遠い場所に位置する高校に向かう時1つ選択肢がある、中間辺りの駅で急行に乗り換えるかどうか。
中間の駅は利用者数に対して不必要なほど大きく長く、端にゆくにつれ何も構造物が無くなっていき、なんとなくもの寂しい雰囲気の駅。
目的地は同一であり乗り換えなくても到着が10分前後遅くなる程度であるので別に乗り換えずとも良いのだが私はある事情で積極的に乗り換えていた。

乗り換えの接続には5分程度の待ちが生じる、降りて待っても降りずに急行を見送っても否応なしに5分。
乗車待ちで列を成して待っていると大抵列は歪み所々に中途半端な隙間が生まれる、これを埋めるため動くと前の人間と近づきすぎるし動かないと後ろの人間が距離を詰めて来るしどちらにせよ居心地が悪い。
だからといって電車で待つにしても静止する電車は動いている電車にある慣性が働いていないので体を預ける横軸の力が無くどうにも落ち着かず座りが悪い。
だから私は乗り換えはするが『列』にも『電車』にも属さず、ぶらぶらとホームを彷徨いて電車を待つことが多かった。
何より人間の群れが嫌だったんだと思う。

広いが自販機以外殆ど何も無いホーム、覚醒しきれておらずただでさえ憂鬱な気分の朝に不快と不快のその間で彷徨う毎日毎日毎日、駅も電車も人間も少しずつ嫌いになっていった。

ある朝、その日は霧が強く出ていて急行が遅れ中間駅での待ち時間が伸びていて、陰鬱な天気と相まって沈んだ心を引きずりながら何もない横長の孤島をぐるぐると這い回っていた。
人の少ない方少ない方へと歩を進めていてると自然と先頭車両の待機列まで行きつき人波が切れ周囲が開ける。

そこには輪郭を曖昧にする白が広がっていた、更に先のこの白の全貌が見たくなりホームの終端へ向かう、屋根も無くなり多少細雨を受けるのも厭わず進み終端の鉄柵に触れる、無機質な冷たさを手に線路の行く先をその両面に広がる田畑がある方向を眺めた。
白い、いつも見えていた景色が見えない、世界が狭まったのに奥行きがある、近くの構造物でさえシルエットになり遠い、何もかも朧で美しかった。

後ろから急行の入線音が聞こえて振り返る、急行を待つ人の群れはディティールを失いシルエットのようで到着した急行に吸い込まれてゆく、もう急行には間に合わない、世界から切り離されたとまでは行かないが確かにあの時私とあの人たちは存在する世界のレイヤーが違っていたのだと思う。

急行を見送ると各駅停車の電車にも乗ろうとも思えなくなって、その場で立ち尽くしていた。
全ての人間を詰め込み電車を送り出した後のホームには誰もいなくなり、遂に私は一人だけの白い世界を手にしたのだった。



で、普通に遅刻した。
不真面目なので遅刻しないギリギリの電車に乗っており、それに乗らなかったら当然遅刻する。



遅刻確定の電車には学生は乗っておらず通勤ラッシュも終わっていたので人は疎らだった、いつもは座れない柔らかなシートに体を沈め快適に重役登校するのは大層気分が良かった。

そのうち人が多いのって明確に嫌だなって思うようになり、早起きして可能な限りラッシュを回避するようになった。
失った睡眠時間は空いた電車のシートや教室で寝る事で補うようになったのでこれ以降電車の思い出も記憶もない。