職業に貴賎なしからダラダラ

嘘松だったか2ちゃんのコピペだったかで、世間体のよくない仕事してる労働者を貶す大人をロンパする子どもみたいなんがあったが、その嘘臭さはさておき、これ自体はべつに当たり障りない話だ。たいていのことに言えるから面白くもない。勧善懲悪的なのはやっぱり人気あるね、みたいな。
そんなことより、どんな仕事でも良い悪いがある、みたいなんのほうが重要だ。「どんな仕事も大事」みたいなジャンルでまとめる言説は、労働者のそのつどの実践がいかにあるかへ目を向けるようにはさせない。その仕事の過酷さ(コピペかなにかでは現場系だったか)はどこに由来するのか、その仕事を過酷でなくするには、ということへ向かわない。こういう話での「善人」側の発言はなにも見えなくさせる。見ることをやめさせる。まだ「あんな大変な仕事をしなくて済むようにならないとな」みたいな「悪人」側の発言のほうがその仕事の実態に根差している。

コンドームを0,01まで薄くするにあたり、相模ゴム工業株式会社の『0.01を完成させた男たち』で紹介されている薄膜技術担当の斎藤伸一は、コンドームを作るさいに使うガラス型を洗浄する洗剤選びに苦労したという。
「何種類もの洗剤を集めて、一人でプラントにこもり、全てを実験」
「実際に生産し、洗剤が製品に影響を及ぼすのかどうかを見極めるのに一番苦労しました。中には一週間経ってから変化が見られるものもあったので厄介」
「洗剤の効果でガラス型表面がコーティングされてしまった」
など、記録を取ったり、守秘のためかコストのためか一人で籠ったり、相当な積み重ねが見て取れる。
コンドームという一個の商品の、その生産過程の「一部」の、洗剤選び、そういうごくごく狭いところにすらこういう人がいる。そこらにあるものがそこにあることには、それ相応の時間、労力、予算、いわば精神性が介在している。そのようなものとしてそこらにあるものはそこにある。
現に在る、私の目が届くところにある一個の商品から、そういうのは隠されてはいない。ペットボトルのなかにごみは入ってない、加熱式タバコの本体は熱くなりすぎない(どのように熱を逃がしてるんだろう)、加熱仕方がそれに寄与しているのかなどなど、なんでこんなに汚れがないんだろう、というように、届くところに在る。
そのようにして「世界を書物として」――これは世界を対象か何かのように扱っていて微妙だが――読みうる。信号機、アスファルト、家の塀、窓枠、マンホール、様々な書物が存在する。こうなるともう大変だ。雨に濡れたアスファルトはまるで夜の海面で羊羹じみているが、さて羊羹なら芋があったほうが嬉しいので芋を探すとそれは上空で輝いており、こんだけ距離があるとダメだな(なにがだろう)などお菓子の空想に耽らねばならないし、電線ってのはなかなか切れないもんなんだな、電車のレールと同じように取りつけに当たり気温変化を加味してたりするんだろうか、材質によるよなとか、本ってどうやってこんなしっかり紙がくっついてるんだろうなとか、思って検索したら折丁とか色々とあるらしい。こうなると『宝石の国』とかなんかキラキラした表紙のやつは面倒だったりするんだろうかなど。そんなことを思っていたら忙しくて仕方ない。検索縛りで考えられるだけ考えて家に帰って思い出したら答え合わせ、みたいな遊びもできる。

<表面>を見てナンボである。

正気か?