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人として

なんと高圧的な、
人を見下す言葉なんだろう。
相手より格上だとでも
言いたげな物言いに聞こえる。

時々、この言葉に出会う時がある。

先日ラジオを聴いていて
ある、1人の女性が話していた。

幼い頃に母や私たち子供3人を捨てて
交際していた女性に突っ走った父。
慰謝料も生活費も払わなかった。

母は、昼夜問わず必死に働いて
私たち子供を育てた。
苦労して苦労して、
還暦を迎える前に病気で亡くなった。

家族を捨てて自由奔放に生きた父親が
どうしても許せない。
そんな父が亡くなったと連絡がきた。
葬儀には行きたくない。

“人として〟どんな親であったにせよ、
どんな事情があろうとも
親の葬儀には行くべき。

じゃないと後で絶対に後悔すると
言われるが、行きたくない、
そんな葛藤がある、どうするべきか?

すると、話を聞いていた人が

“人として〟なんか関係ないでしょ、
世の中の道徳心や常識なんか
通用しない事もある。
あなたが行きたいか行きたくないか、
それだけ。」
と、バッサリ斬った。

行きたければ行けばいい。
行きたくなった時が後であれば
お墓参りでもいい。

後で後悔するなんて
後にならないとわからないよ。

“後で後悔する〟
そう、世間から刷り込まれてるだけ。

親なんだから、
夫婦なんだから、
友達なんだから、
家族なんだから、

“こうあるべき論〟

この、“関係性における定義〟
みたいものに胡座をかく
ある種の依存なのではないかと思う。

“人として〟は、なんて
傲慢な言葉なんだろう。

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