LILIUMの感想っぽいなにか
『LILIUM』を観ました。昨年。
そして今年の「はじめての繭期」で、『マリーゴールド』を観ました。
元々『LILIUM』初見時から考えることは色々あったのですが、『マリーゴールド』鑑賞で勢いを増して頭の中をぐるぐるするようになり。
このままだと収拾がつかなくなりそうなので、感想文の形を借りて一旦書き出しておきましょう。というわけでこのnoteを書いています。
本記事段階では『LILIUM』『二輪咲き』『マリーゴールド』の3作品を鑑賞済み。後2作は本当に一回しか観ていません。『LILIUM』だけは気になるところがあって確認のために観返したシーンがいくつか。
なお、『LILIUM』のみの話に絞りたいので、『マリーゴールド』から得た情報は極力述べないようにしていきます。
(言うまでもなくネタバレを多分に含みますので、その点理解したうえで読むかどうかご判断ください)
ちなみに、キャラクター的には(演者が推しという事実を差し引いても)シルベチカがぶっちぎりで好きです。よろしくお願いします。
はじめに
「私を、忘れないで」
……あ、呪いになるな、これ。
初見の感想は、これに尽きます。
嵐の夜。塔の上のシルベチカ。最期の一言に込められた、途方もない重さの願い。
死にゆく者の願いは、それを受けた生者が災いを招けばほとんど呪いと同じになります。結末としてあのクランには災い(不幸なできごと)が起こったので、その最初の引き金たるシルベチカの台詞が何よりも強く頭に残っています。よくもまあ、あれだけの重さを言葉に込められるものですね……。
「私を忘れないで」
シルベチカ。和名、勿忘草。花言葉、「私を忘れないで」。
「私を忘れないで」という花言葉は、ドイツの悲恋物語に由来します。
恋人と散歩していた男が、川辺に咲く美しい花を摘もうとしたところ足を滑らせて川に転落。「私を忘れないで」という言葉と摘んだ花を恋人に残し、そのまま川に流されてしまった。という伝説が、勿忘草の花言葉に由来しているそうです。
恋人の目の前で、「私を忘れないで」という言葉を残して死んでいく。
シルベチカの死に様は、勿忘草の悲恋物語に重ねて組み立てられているように感じます。なんならキャメリアに「シルベチカの恋人」という肩書がついているのはこのためなんじゃないか、というのも少し。邪推ですけどね。
それを踏まえて舞台冒頭。タイトルコールより先に「Forget me not」「私を忘れないで」が、花を冠する少女たちの歌唱により連呼されます。そして最後の歌詞は、「勿忘草の物語を」。
『LILIUM』において、勿忘草とシルベチカ(人物)の結びつきと同じくらい花言葉の「Forget me not」が結びついているとするなら。
「勿忘草の物語」は「シルベチカの物語」であり、「「Forget me not」の物語」とも言えるわけです。
勿忘草=シルベチカ=「Forget me not」の図式を踏まえて、思うことがひとつ。
シルベチカ、めちゃくちゃ呼ばれてません?
メンバーのカウントで60回強、ファンの方のカウントで70回強でしたっけ。Amazonによるとディスク時間は2時間2分=7320秒。少なくとも2分に一回以上は呼ばれている計算になります。物語開始時点では死亡しているのに。
どうしてこんなに呼ばれているのか。
勿忘草=シルベチカ=「Forget me not」であるとするならば、彼女たちはシルベチカの名前を呼ぶことで「私を忘れないで」と叫んでいるのでは、とわたしは解釈しています。
花の名前を冠する彼女たちは、結末としてそのほとんどが花園に閉じ込められたまま亡くなってしまいます。「私を忘れないで」という願いは、花園にいる彼女たちに共通した願いであるとも言えるんじゃないでしょうか。
こうなると、地に伏せたシルベチカが起き上がるところから物語が始まるのも示唆的ですよね。物語の起点がシルベチカが飛び降りた直後=「私を忘れないで」と告げた直後であることを考えると、勿忘草を冠するシルベチカが命を代償に「私を忘れないで」と願ったことで『LILIUM』の物語が起動したのかも。
理屈を捏ね回してきましたが、結局のところ「私を忘れないで」が『LILIUM』を覆う大テーマのひとつであることには間違いないと思います。
そうなると、せっかく一度思い出せたのに、クランの面々は結局シルベチカのことを忘れたまま死を強要されるところが地獄なんですよね。
根拠もなにもない感想なのですが、『LILIUM』の物語がもし「私(シルベチカ)を忘れないで」という願いから始まったとして、願いに反して彼女を忘れてしまったクランの面々をこの物語は果たして許容するんでしょうか。物語は許容しなかったから、再度シルベチカを忘れてしまったクランの面々は『LILIUM』の物語から強制退場(=死を強要)させられた、という見方もできなくはないなと思っています。
2回目の記憶操作でもシルベチカを覚えているスノウは、物語に強要されず、自分の身の振り方を自らの意思で決めることができた唯一の存在なわけですし。
その理屈で言うとリリーが強制的に不死になってしまうのがおかしいという話になりますが、一応そこについても書き出していきたいと思います。
リリーが不老不死となったのは何故か?
答.ファルスになったから。
リリーの結末に驚きはありましたが、結末そのものより「なぜそうなったか」のほうに関心が惹かれたためそこまで衝撃ではなかったんですよね(黑世界の存在を知っていたことで、ある程度の予測が立っていたこともあります)。
こんな丁寧な伏線で丁寧に観客を地獄に突き落とすタイプの制作陣が、オチとなる地獄に理屈を用意していないわけがない。その理屈について考えてみよう、というわけで以下に続きます。
舞台となったクランにおいて、不老不死を持つのはファルスただ一人です。『二輪咲き』を観る限り世界規模では他にもいるっぽいですが、クランにいないので今回は無視で。
不老不死たるファルス。そして「私たちはファルスなの」というスノウの発言からして、リリーが不死となった理由は「ファルスになったから」と考えるのが自然です。つまり考えるべきは、何故リリー「だけ」が不死となったのか、という問いになります。
言い換えると、「ファルス―リリー・スノウ」の断絶が「ファルス・リリー―スノウ」の断絶に変化したのはなぜか。という話ですね。
リリーが他のヴァンプをイニシアチブで死なせたから、だとわたしは解釈しています。
『二輪咲き』において、ファルスは不死の検証のため他のヴァンプを殺害しています。
一方『LILIUM』において、リリーはクランからの解放の名のもとに他のヴァンプをイニシアチブで操作し、他者の殺害あるいは自害を強要しています。
これらに共通しているのは、目的のためにヴァンプたちの意志を無視して生命を奪っていることです。
スノウも目的のためにマリーゴールドを操作していますが、スノウへの殺意はマリーゴールドが元々持っていた意志であること、奪ったのは他者の生命ではなく自分の生命であることがファルス・リリーと大きく異なっています。
己のエゴで「仲間」の意志を無視し、その上で生命を奪う。
すなわち、イニシアチブという身体的特徴だけでなく、自分の正義のために他者の意志・生命を軽んじたことで思考の面でもリリーはファルスと同じになった、と言えます。
そしてもう一点。
リリー、すなわち百合の花の花言葉は「純粋」あるいは「無垢」です。
純粋:まじりけのないこと。邪念や私欲のないこと。
無垢:煩悩のけがれを離れて、清浄であること。けがれがなく純真なこと。
ヴァンプたちにイニシアチブで死を強要したリリーは、果たして純粋なまま、無垢なままでしょうか。
答えはノーです。他者に死を与えた以上、リリーは混じりけ(ケガレ)がある存在となり、純粋でも無垢でもなくなりました。
つまり、彼女に冠せられた純粋と無垢は偽りとなった。リリーはfalseになったわけです。
そんなわけで名実ともにリリーはファルスになってしまったからこそ、不老不死となった。そうわたしは解釈しています。
そうなると、マリーゴールドの「スノウはリリーを不幸にする」というのは、あながち間違いでもないというか。マリーゴールドはその言葉の実現(リリーが不幸になること)を避けるために、スノウに殺意を抱き。スノウはそんなマリーゴールドをイニシアチブで利用した。リリーはそんなスノウを目の当たりにしたからこそ、自分が他のヴァンプをイニシアチブで操作できることに気づき。その結果、リリーは不幸(不死)になったわけですから。
ちょっと『オイディプス王』っぽいですよね。予言(のようなもの)の悲劇を避けようとした結果、予言された悲劇に頭から突っ込んでいるところが。
『オイディプス王』の要素があるなら、他にも悲劇の要素が含まれていてもおかしくないですよね。シェイクスピアとか。うーん、教養が足りない……。
おわりに
頭の中をぐるぐるしていた思考はこんな感じです。書き出して満足しました。
蛇足として登場人物に関する感想をいくつか駆け足で。
シルベチカ
シンプルに好きです。
本編が彼女の輪郭を追うような形になっていたこともあって、気になるところが多々ある存在でもあります。
彼女の死に際を語るシーンの導入でもシルベチカに相対した際の台詞も、ファルスは薬を飲まなかったことを気にしているように見えました。ファルスにとって、死というより薬(ウルでしたっけ)を飲まなかったことこそが特異点にあたるのでしょう。あるいは、薬の効果が切れた状態で死んだこと。
一見シルベチカの時間だけが進んだように見えますが、仮にクランの停滞がここで初めて崩れたとしたら。シルベチカが正しい時を得たことこそが、クランの時が動き、クランの崩壊の引き金になったのかもしれません。
そうなると、『聖痕』を歌った4人にも意味が見えてきますね。
リリーを守ろうとしたマリーゴールドと、己に不幸(不死)をもたらしたリリー。永遠の花園を守ろうとした紫蘭と、花園の時を動かして永遠の停滞を破壊したシルベチカ。……さすがにこじつけですかね、これは。
いやはや、もっと生前の情報が欲しいものです。『二輪咲き』を含めても足りなさすぎる。
リリー
脚本の緻密さが随所に感じられて好きです。序盤と終盤の言動を照らし合わせたらまだまだ発見がありそう。有識者の方はいらっしゃいませんか~。
スノウ
真実を知り死に怯えていた少女が、死の恐怖を克服して望んだ通りの終わりを得る。自分で意志決定をした上で望み通りの展開に進めている点ではある意味一番主人公っぽい感じもします。スノウ視点での『LILIUM』がどう映っているのか観てみたいです。
あと、死に怯えていたスノウが死を受容し、そうではないリリーが死から拒絶された対比は興味深いですね。スノウが死を受容した決定打がめちゃくちゃ気になります。ファルスがリリーに関する記憶を他のヴァンプから奪った直後のことでしたが、関係はあるのか……?
マリーゴールド
『LILIUM』を観た限り、愛の形がだいぶ特殊ですね。リリーへの執着は、本人の気質なのか、あるいはリリーとシルベチカの2人がくれた優しさが(シルベチカの記憶が喪失したことで)リリーだけがくれた優しさという認識になったことによる歪みなのか。『マリーゴールド』でヒントが掴めればよいのですが。
あとリリーのイニシアチブを躊躇なく取りに行こうとしたシーンも印象的です。
チェリー
いるだけで会話が進んでいくというか、本題を進めるも脇道に逸れていくのもお手の物というか。物語のテンポやトーンを調整するときに活躍していた印象です。メタ的に大事な役割。ストーリー的には、800年前からここに至るまでのどこかでリリーとスノウが親友でなくなったことを踏まえると、いたはずなのに記憶にはいない親友をリリーが無意識に求めてあの関係になった可能性も……ありますよね……。
深く考えるのは一旦やめておきましょう。
ファルス
いや子どもすぎません? 仮にも3000年生きておいてそれ???
数百年しか生きていないシルベチカが薬を飲まない覚悟決めたっていうのになんだその体たらくは。
やってること云々というより、癇癪持ちの子どもという印象が強いです。3000歳の子どもとか勘弁してください。シンプルに嫌。(たぶん劇場で生で聴いていたら少しは違うんでしょうけど。叫び声をイヤホンで聴いた弊害ですかね)
とりあえずあのクランの目的が「不老不死の存在を作り出すこと」「暇潰し」がそれぞれどれくらいの割合だったのかは気になりますね。実験と娯楽、どちらが優先だったのか。
なにはともあれ、『LILIUM』に関してはこんな感じです。長々とお付き合いいただきありがとうございました。
最後に、どうしても気になることが一点。
どうしてファルスは最後の記憶操作のとき、ヴァンプたちからリリーの記憶を消したんですかね?
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