『仙童たち 天狗さらいとその予後について』(栗林佐知著、未知谷刊)を読んで

(note の記法に馴れてないので、ご容赦)

未知谷
http://www.michitani.com/books/ISBN978-4-89642-598-7.html

Amazon
 https://www.amazon.co.jp/dp/4896425987/

*一部ネタバレあるので、ご注意ください。

□装幀が菊池信義、表紙の背が箔押しの金文字!
 出版元がこの作家をすごーく推しているのがわかる。
□親子間の問題に苦しむ学生に読んでほしい。
□漫画家、漫画原作者、漫画編集者、アニメーションの関係者、プロデューサーや監督を含めた方にも読んでもらいたい。この時代に必要なテーマを組み込んだ和風ジュブナイル・ファンタジーとして極めて絵的なシーンに溢れている。漫画でも読みたい、アニメならなおいい。重要な作品になる。

□そういえば奇妙なタイトル。『仙童たち 天狗さらいとその予後について』。臨床心理の論文のタイトルのようだ。このタイトル、サブタイトル、そして小説の章にあたる、それぞれのエピソードがICレコーダーに録音された「証拠物件」とされていることの理由は最後に明らかになる。

□この小説は地域史研究奨励賞を受賞した女性研究者の、ちょっとずっこけた記念講演から始まる。まず、講演をする部屋を間違えて、別の発表を聴いてしまう。正しい発表会場にたどりつき、講演を始める。タイトルは「多摩西南地域の天狗道祖神──庶民信仰をめぐる一考察」で、かなり以前の高校生の時に既に同地域の石仏調査をしていたという。これらの訝しげな導入部分もすべて意味があるのだ。

□この小説を読むと、丹沢の大山の信仰に携わってきた人々や地元の人との関係が、江戸から明治に、そして大正・昭和の戦争とともにどのように変わっていったのかという通史をまるごと学ぶことができてしまう。どこまで本当でどこまで創作なのかはともかく、この小説世界を立ち上げるのに、膨大な史料・資料を読み込んだはず。毎回、そのようにして緻密な世界を描く作家なのだと思う。

□登山をすると弱い人は途中で歩けなくなる。厳しい環境になれば弱い者が真っ先に命の危険に遭う。強い人は速度が違う。速度が遅くなれば日が暮れてしまう、雨にも遭いやすくなる、強い人は先に安全な麓に降りてくることができるけれど、弱い人は危険な山に取り残されてしまう。日が暮れて、道に迷い、危険な場所へと降りて、事故に遭う確率が高くなる。小説では、遠足で地元の山を登って降りようとして遭難した弱い子どもたちを天狗が救う。壁のような斜面を転がり落ち、空を飛んで墜落して命を落としたはずの子どもを助ける。子どもを空から安全な地上に続く緩斜面の岩だな、テラス状の場所に降ろしてくれた。そもそも、その子どもたちがなぜ弱いのだろうか。それぞれの生い立ち、親子の家庭の事情、抱える悩みや苦しみが緻密に、克明に描写されていく。同じような境遇や心理をわずかにでも味わった者は、その描写に悶え、同じ悲しみや苦しみを追体験する。もちろんそれで終わりでははない。後半、彼らの弱さはどう変わっていったのか、なぜその四人だったのかが描かれることになる。

□『仙童たち ~』の子どもたちはそれぞれに追い詰められている。それがハイキング中の道迷いの遭難という形で表れる。道迷いの末に滑落して生きてはいないはずなのに、天狗とともに山腹途中のテラスに着地して生き延びる。墜落して死んだはずなのに生き延びた経験。それは、何かに守られ、空を飛んだという物語を生む。

□小説にはさまざまな心の病が出てくる。庄ちゃんはギャンブル依存症。「南ツルマ運動公園の決闘」の最後で、なぜか庄ちゃんは入院している。外壁掃除の仕事で事故ったのだろうかと思ったが、違うと気づく。彼はやってはいけない勝負事、賭け事をやって、妻との約束を破った、禁を破ってしまった。その代償なのだろう。妻は見舞いに来ていないようだし三行半を突きつけられ離婚したのかもしれない。パンツの換えもない、汚いというのは、重い精神疾患の可能性もある。それにしても仏沢君の念力もまた暴力の一つだ。誰かを助けるために、また誰かを傷つけてしまうのかもしれない。

□天狗の力は怖い。「空を駆け、地を飛び、人の心を操り、神通力を使う。助けたいものを存分に助けることも出来れば、悪いやつをちょいちょいとこらしめることもできる。何もかも、思うがままよ」。これで思い出すのは、ル・グインの『ゲド戦記』に出てくる魔法使いであり、ル・グインに影響を受けた宮崎駿監督の一連の空を飛ぶ者たちの力だ。

 2020年6月にNHKでも再放送されている『未来少年コナン』と比較してみよう。「ダイスの叛逆」では、囚われたコナンとラナは三角塔から脱出しようと試み、三角塔の壁面を伝うも追い詰められ、コナンはラナを片手に宙づりになり、やむなく飛び降りる、息を呑むシーン。片手で折れた雨水パイプを握り片手でラナを支える宙づりのコナンが「飛ぶよ」と言う。ラナを片手で引き揚げたと同時にパイプを掴んだ片手を離して、落下する宙空でラナを抱え、三つの塔を繋ぐ渡り廊下にダイブする。この高さでは絶対に助からないはずだが、コナンはラナを抱えて着地して生き延びる。落下しても生きているなら、それは飛ぶことと同じ、生きているなら、何者かに守られている。コナンは空を飛べないが、空から落ちても決して死なない。ラナも空を飛べないが、アジサシの鳥のキティに心を伝えることができ、また、祖父のブライアック・ラオ博士とテレパシーで交信ができる。
 天狗的世界観のなかでは、コナンとラナは天狗の弟子だろう。そして実際に空を飛ぶ技術とそのエネルギーを握っているのは博士であり、博士は天狗ともいえる。だが、博士の世代の人間は傲慢になり、空を飛ぶ力で、天狗の力で、地上を滅ぼしてしまった。この小説でも力の扱いについて繰り返し問われている。

□天狗が言う。「優等生などやってみよ、努力の結果はすべて親御が持っていくだろう」「どのみち、そなたはそのものが認められる日など来ぬ。字が読めなくなったのは天の恵み。これ以上、わからずやどもに振り回されてはならぬ!」。鯨川かんなは漢字が読めなくなる。しかし図書室でどうしても知りたい言葉のために、人に助けを求める。人に甘える。堀江は漢字の読み方を一から教えて助けてくれた。教室のケンカ、勝負事の仲裁に入るレフリー役の井戸口、そして仏沢がピンチになったときも堀江は助けようとした。堀江の危機に仏沢は決死の抵抗をする。こうして抵抗が抵抗を呼んでいく。ついに鯨川は親に抵抗する。「私は、甘えてなんかいない!」。そして今度は耳まで聞こえなくなってしまう。そう、甘えてなんかいなかった、甘えさせてもらえなかったから。言いたいのは「甘えさせてよ!」の言葉だったが、自己を否定する言葉を発し、自分を壊してしまう。自らディスクレシアの状態に陥る。しかし「私は」と言うことができた。「私」の心はまだ撤退戦を生き延びている。自分は弱い子どもなんだ、大人に助けてもらわないと生きられないんだ、だからもっと子どもに戻る、もっともっと。そしてようやく、親が戻ってきて、タマヨケ坊は去った。

□「除弾坊由来記」と聞いて、アニメが好きな自分は瞬時に1980年代中盤にテレビで放映されたSFロボットアニメ『装甲騎兵ボトムズ』の主人公の兵士キリコを思い出した。彼は弾が当たっても死なない、致命的な弾も急所を外れて生き延びる、極めて生存確率の高い兵士。まるで「弾が当たらないように願掛けされている兵士」。生まれ故郷の村は戦争で焼き払われ孤児となり少年兵として生き延びる。
 戦後、孤児として天狗に拾われ育てられた井戸口の父とも重なる。井戸口が争いごとの間に割って入り暴力を止めようとするのは、その暴力によって父が天狗になったのであり、父を取り戻す運動。また、一人の女性を助けるために全世界を敵にまわし、戦争の神まで殺してしまうのは、仏沢に似ている。

□「土屋と二人、もつれたまま宙を飛んだ」。このシーンで鮮やかに思い出すのは1984年のアメリカ映画『バーディ(Birdy)』。監督はアラン・パーカー。バーディ(マシュー・モディーン)は鳥が好きな自閉症気味の少年で、自分も鳥のように空を飛んでみたいと思っている。同じ下町育ちのアル(ニコラス・ケイジ)といっしょにバカな遊びばかりしていて、ある夜、二人で建物の高所で眠っている鳩を捕ろうとしてバーディは墜落し怪我を負う。この、バーディが高いところからもんどりうって下に落ちる夜のシーンが思い出される。

□夕暮れの丹沢の描写が美しい。「さわがしかった蝉の声が、いつの間にかしみいるような蜩の音色に代わっていた。遠い丹沢の山並みが、夕空にくっきり藍色に浮かび上がる」。ほかにも夕暮れの描写がいくつかあるけれど、どれも美しい。たんぽぽ台からみれば丹沢は西で、この西の夕暮れ空を切り取るように丹沢のスカイラインが見えたことでしょう。

□「私はどっちにも似てません!」。そう、この子どもたちは、誰もが、私は私だと、私はかけがえのない一人の人間なのだと、そう主張したい。

□相手の気持ちに責任を持たないし、心配してもらわないでもいいという、扉の前のさな子さん、丹沢の暗いスカイラインのように拒否したさな子さんのように、彼女もまた、誰かの期待の実現のために泣かないという誓いを放棄する。

□「隠れ蓑。タマヨケ坊さまの形見」。光学迷彩、草薙素子(『攻殻機動隊』)。

□「証拠物件」は鯨川の論文発表を録音したICレコーダーと、臨床心理士となった堀江の研究論文(おそらく「仙童たち 天狗さらいとその予後について」)。公安による容疑者不在の欠席裁判なのだろう。罪状は最初から決まっている。共謀罪だ。しかし容疑者たちは捕まっていない。天狗のように山に逃げたのだろうか。

□鯨川も堀江も天狗を研究対象としていて、当日、同じ場所で発表していた。一人は民俗学的アプローチ、一人は児童心理・臨床心理的アプローチで研究していた。そして四人はまた集まる。いや、おそらく、またしても集められたのだ。そこには理由があるはずだ。この時代が要請する理由が。

□小説を読み終わって。登った岩壁は再び降りなければならない。クライミング・ロープでロープ分の高さを懸垂下降し、途中のテラスで下降に使ったロープを回収する必要がある。回収できたら、再びロープを使って下降し、途中で回収し、これを繰り返しながら安全な地上の降り立つ。最後までロープは必要になる。この小説の伏線というロープも最後の最後で回収されていく。お見事。

○その後、この四人はそれぞれの特殊能力を用いて活躍することになる? ……第二クールにも期待。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
4
コメント (1)
わーーーーーー! 有難うございます!!! すごいあれこれ考えさせられてしまいました。そっか、仏沢くんの念力が、誰かにとっては暴力、、、そうですよね、先生の頭に時計落ちそうになって。 こんなにも精読くださって、感動です。mーーm
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。