神武東征の旅を終えて今感じてる事。男性性の時代の終焉と女性性の時代。個人的興味は縄文へ〜


今感じている事

神武東征旅をして感じた事は3ある。
●歴史はやはり勝者によって作られる
●征服者としての"かむやまといわれびこ(神武天皇)"という視点も知りたくなってきた
●神武天皇以前の日本の事について知りたくなってきた


神武東征の旅を終えてみて、今一番氣になっている事は神武東征以前の日本の事である。

『ニシキトベ』という言葉と出会った。和歌山県の熊野地方に『ニシキトベ』という言葉がある。日本書紀にも記述がある。熊野地方に存在した女性中心のクニの様なものを指すらしい。

神武東征の旅を始める前は正直、神武天皇がいかに素晴らしかったかどれだけ英雄だったか。という事を証明したかったように思う。ただ、各地を回っている内に『征服者』としての神武天皇の側面も見えてきた。武力での制圧だ。それは恐怖による支配の始まりである。言う事きかないと生きていけなくするよ!というもの。いいとか悪いではなく国家というものはそういう性質を含むものである。そして神武天皇は国家を成立させたとされている人である。神武天皇は"国家"側から見たら英雄であり尊敬の対象になる。同時に征服された側から見ると全く別の側面が見えて来る。それを感じたのが熊野だった。熊野にはニシキトベという女性が統治するクニの様なものがあったようだ。そこは平和で争いなどないところ。そこに征服者が来たのである。神武天皇側から見たら従った地域はいい。従わなかったら悪い。という価値観になる。それが古事記や日本書紀の価値観である。

今回の旅を通じて、良い。悪い。という視点ではなくどちらも知りたくなってきた。さらにもっと前の事を知りたくなってきた。神武から始まった時代を誤解を恐れずに言うなら『恐怖による支配と管理の時代』というような氣がする。形は変われど恐怖により支配し、そのルールに従えない者が悪い。という価値観であり、反対勢力は皆殺しにされる。時代で繰り返されてきたものだ。今の時代も大枠は同じだろう。その支配する、されるの集大成が戦争だろう。

ただここへ来て『もう違うんじゃね?!』と多くの人が感じはじめている(もちろん主観だ)。何かが違う。何かが違うのは感じるがじゃあどうするか?!という答えがないような状態。そのヒントのようなものが神武天皇以前の日本にあったのではないか。ニシキトベに関する伝承を聴いてそう思った。いわゆる縄文時代の話だ。もちろんその時代に返ろう!という事ではなくヒントにしてじゃあ今の自分はどうするか?!というきっかけにしたい。

武力で制圧すると同じ力で淘汰される。淘汰した者のルールに従わないと生きられないような恐怖によって支配される。やり方やルールが変わるだけで本質は変わらない。その始まりが神武天皇の東征の話のように思えてきた。だからといって神武天皇が悪い。というつもりはない。歴史において必要な事だったように思う。

だからこそ神武天皇を英雄視するでもなく悪者扱いするでもなく、どちらの視点も持って『今自分が何を選択するか』という事に役立てていきたい。

もちろんこんな事やらなくてもいいが、やりたいからもうちょっと調べてみようと思う。ニシキトベの事を調べていて今のところ見えてきている事としては"女性は素晴らしい!"という事だ。

これからはやはり女性の時代なのだろう。なんて思ってきた。

まとめ

まとめるとこうだ
●神武天皇の物語は男性性の時代の始まり
●神武天皇から始まる時代は行き詰まっているようだ
●これからの時代のヒントは神武天皇以前にあるかもしれない。言い換えると男性性の時代以前にあった女性中心の時代
●これからはやはり女性の時代のような氣がする。それは今の社会通念や既存の価値観とはまた違った形。

自分の個人的な興味の対象は神武天皇から縄文時代に入った!笑


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