8月の砲声を8月に読んで

ギリシャ人は、性格が運命の基礎だと信じた。自己破滅の要素を宿した右のような決断を育ててきたドイツ哲学は、一〇〇年このかた、時機の来るのを待っていた。声はシュリーフェンから出たが、手はフィヒテはじめ数人の哲学者の手だった。フィヒテは、ドイツ国民は神の意志により、
宇宙の歴史において最高の地位を占めるべく選定されてい
ると言い、ヘーゲルは、人類の責務としての文化を栄光の座につけるために、ドイツ国民は世界を指導しつつあると目し、ニーチェは、超人は凡俗の支配を超越した存在であると説き、トライチュヶは、権力の増強は国家の、そして時の皇帝を「万乗の君」と仰いだドイツ国民の道徳的義務であると論じた。シュリーフェン計画の生みの親は、クラウゼヴィッッでもカンネーの戦いでもなかった。長い間ドイツ国民をはぐくみ育て、「自己を最高の存在とみなす、救いがたい錯覚」に導いた自負心の本体だったのである。
P34-35
八月の砲声
ドイツは2度の敗戦によって自己の優越主義から離脱できたが、日本はどのような状態なのだろう。過去を省みない今は1936年のドイツに相似しているんじゃないか?

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