不毛なこと


 これまでnoteには社会的なことを独断と偏見で自分なりに解釈をした駄文を書いてきた。だけれど、今回はブログらしく自分語りをつらつら書いてみようかなと思って書く。

1. 尊大な自尊心と謙虚さ
 大学も3年生になってゼミやら就活やらで、最近やたらと他人から評価される事が多い。そんな中で、自己分析だのエントリーシートだの書いていると修正を求められる。また、今まで培ってきた知識で教授と話すと独学故に色々指摘を受ける。その他諸々自分のアウトプットが批判される機会が結構ある。
 私はこれまで他者にマウンティングを取り続け尊大な自尊心をすくすく成長させてきた。サークルで代表をやっていたり、後輩を指導する中で自分が優越していると自覚しすぎた。謙虚さを忘れすぎていたが故に現実とのギャップを眼の前に結構凹んでる。元来私はモテない方なので、割と女の子からの拒絶は免疫がついている。しかし、自分の能力や社会的評価を省みて、どうやら自分はそこまで有能ではない事実を再発見することは結構な負荷がかかっているのだ。
 人生において謙虚さと自尊心は相互に循環をし続けるものだと思っているので、今の状況が極めて悪いと悲観しているわけではない。謙虚さは次の成長につながる。自己批判をして次へ進む。そして成功したり、認められれば自尊心が育つ。そして、新たな壁にぶつかり謙虚さを思い出す。今はこの時期なのだろうと俯瞰して思う。だけれど辛いには辛い。

2.恋愛感情とか言う暴れ馬
 私は結構惚れっぽい人間だ。保育園のときには、ませていた女の子にチューされたりお昼寝の時間にとなりに来るだけで惚れていた。小学生の自分にはプラバンくれた女の子に惚れていた。初めて告白をした。しかし、反応は「えっそうなんだ」これでおわり悲しい結末だった。その後ときは流れに流れ、今まで4人とお付き合いをしてなんだかんだ人並みには恋愛をしているつもり。でも私は自分の惚れっぽいこのコントロールの効かない感情は好きではない。
 私は自分自身の怒りだとか、悲しみとか、楽しさはかなりのレベルでコントロールができる。ブチ切れていて、殺したいくらいの相手が目の前にいても一緒に冗談飛ばせる。身内が死んで尋常じゃないショックを受けていても友達と遊んで楽しむこともできる。しかし、唯一コントロールの効かない感情が恋愛感情だ。一度惚れ込むとどうしてもそのことが頭から離れず、好きな人のどーでもいいことで一喜一憂する。この感情は私にとって言うこと聞かない暴れ馬みたいなものだ。こいつをどうにか圧殺したい。

3.疲れ
 最近は色々あって疲れてしまった。ネガティブなことが起こりすぎている。自分が後ろ向きであるからと思って、前向きになってみたりしたがそんなものはどうやら関係ないみたいだ。最近の楽しみはタバコ吸って寝る。これだけ。不毛すぎないか。限界だ。

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