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オススメの「地方本」

「地方の時代」の理論書となるか?
『ポスト資本主義ー科学・人間・社会の未来』広井良典著

 最近は「新しい資本主義」(某国首相の思いつきのキャッチフレーズ)で、俄かに資本主義が脚光を浴びることになった、ということは全くなく、古い資本主義がなんなのかも曖昧なまま新しい年を迎えようとしている。そこで資本主義をザックリ知りたいと思い本を探しても、なかなか良い本がない。いきなり『資本論』を読むわけにもいかないよね。そこでこんな本はどうだろう? 広井良典著『ポスト資本主義ー科学・人間・社会の未来』。新書だからすぐ読める。 

 何故ここで取り上げるかというと、「次の時代は地方(ローカル)が主役」と高らかに宣言しているからだ。

 しかし勘違いしないでほしい。世の趨勢は「都市こそ人が住む最良の場所」論がもちろん優勢なのである。『都市は人類最高の発明である』(エドワード・グレイザー著)など、多くの論者は「都市」に軍配を上げている。コロナ禍にあっても基本は変わらないだろう。便利で自由である、ことは「幸福」の尺度から外れることはないのだから。
 ヒトが住む場所として、都市がふさわしいのか田舎がふさわしいのか、というのは意味がないのかもしれない。小さな集落という形態から進化してできたのが「都市」なのだから、都市の優位性は揺るがないだろう。あとは個々人の価値観や嗜好に関わる問題だ。つまり「趣味の問題」というわけだ。

 短いスパンで考えるなら以上のような結論になるだろう。しかし長いスパンでは? 『ポスト資本主義』では、人類は3つの段階を経験している、と語り始める。20万年前に登場した現生人類が狩猟採集を行っていた段階、1万年前から始まった農耕社会の段階、そして3回目になる18世紀産業革命以降から現在、つまり資本主義の段階だ。それぞれの文明は「エネルギーの利用形態や自然の搾取の度合い」によって特徴づけられ、その特徴が行き詰まった時期に停滞期に入り、成熟・定常化する。今はこの3回目の停滞期に入っている、というのが広井氏の基本的認識だ。


 資本主義の停滞は何故起こるのか? その後(ポスト)はどうなるのか? 気になるテーマだ。今一番の刺激的なテーマと言える。話題の斎藤幸平『人新世の資本論』(2020年)では、資本主義の次(ポスト)は「脱成長コミュニズム」だ、と言い切っている。話は逸れるが、未来への提言つまり未来予測には大きく二つある。簡単にいうと「ほっといてもそうなる」論と「みんな努力してそうしようね」論の二つだ。『人新世の資本論』は後者であり、本書は前者ということができる。人を熱くするのは多分にアジ的熱量の高い前者の著作だろう、だからベストセラーにもなった。それに比べ前者(ソフトランディング)は地味といえば地味だ。分析するだけで運命論者然としていて無責任ともいえる。とは言っても現状認識の切れ味が鋭ければ、それなりに説得力を持ち時代を動かす力になる。社会学系の良書というのは、おしなべてそういうものだ(斎藤は『人新世〜』でこの本にも触れているので確認してね)。

  閑話休題。資本主義とは「市場主義プラス限りない拡大・成長」を志向するシステムである、と著者は定義づける。「市場主義」とは共同体から個人が独立したことで成立し、「拡大・成長」は人間と自然を切断し自然を支配することで可能となる。それを促したのは帰納主義的思考(個人化)であり、自然の法則発見(自然支配)でありいずれも科学的アプローチがもたらしたものだ。このシステム(資本主義)は70年代になると外的な限界(自然資源の有限性)と内的な限界(需要の飽和)が明らかになり、80年代以降には①金融の自由化とグローバル化②新興国の台頭と工業化でその限界を乗り切ろうとするがリーマンショックでその動きも停滞し、その限界が世界規模になりつつある。①地球資源の有限性②地球規模での少子化・高齢化から起こる需要の成熟・飽和という現状だ。「グローバル定常型社会」へ移行しつつあるわけだ。
 そのような現状認識の中、資本主義の先(ポスト)はどのようであるべきかなのか。「個人あるいは市場経済の領域を、そのベースにあるコミュニティや自然にもう一度つなぎとめ、着陸させていくような社会システムの構想」が必要とされる。以下は本書より。

 「ポスト産業化そしてさらにその先に展開しつつあるポスト情報化・金融化そして定常化の時代においては、第6章で述べた、いわば「時間の消費」と呼びうるような、コミュニティや自然等に関する現在充足的な志向を持った人々の欲求が新たに展開し、福祉、環境、まちづくり、文化等に関する領域が大きく発展していくことになる。これらの領域はその内容からしてローカルなコミュニティに基盤をおく性格のものであり、(工業化の時代におけるナショナル・レベルのインフラ整備や、金融化の時代の世界市場での金融取引等と異なり)その「最適な空間ユニット」は、他でもなくローカルなレベルにあると考えられるからである。」


「"地域への着陸"という方向が進み、また「経済の空間的ユニット」がローカルなものへシフトしていく時代において重要になってくるのは、地域においてヒト・モノ・カネが循環し、そこに雇用やコミュニティ的つながりも生まれるような経済のありようであり、私はこれを「コミュニティ経済」と呼んでいる。」

 はじめの引用は、最初に述べた「趣味の問題」と関わってくる。次の引用は、地方が自立するための処方箋で、第3部「緑の福祉国家/持続可能な福祉国家」で詳しく展開されているので本書にあたってほしい。

 最近の脱成長・定常資本主義論への批判は、「何故、成長を諦めるのか? 巨視的スパンで考えてるなら、今である必要はどこにある。豊かさを謳歌した年寄り(あるいは先進国)の繰り言だ」というものだ。あなたはどう思います?

 本書は、こうした文章に慣れていない人には抽象的で少々観念的かもしれませんが、正月にゆっくりと「資本主義と地方」を考えたい人には最適な読書となることでしょう。

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