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小さな村で暮らす

 小さな村で暮らす愉しみの一つは、「センス・オブ・ワンダー」の感性がゆっくりとよみがえってくることにある。
 「センス・オブ・ワンダー」とは自然の神秘さや不思議さに目を見はり驚嘆する感性を指す。こう定義したのは、自然保護運動のバイブルと呼ばれる『沈黙の春』の作者レイチェル・カーソンだった。子どもの頃はだれでもが等しくもっている感性だが、大人になるにしたがって次第に消えていってしまう。四方をコンクリートで囲まれた都会の生活では、周りに荒々しい自然が少ないため「驚嘆する感性」が芽生える機会そのものが失われている。人間が作ったものだけを眺めていても「驚嘆する感性」が育つことはない。

 「驚嘆する感性」は昔から哲学や文学のテーマとして取り扱われてきた。特に哲学の分野では、全てがこの「驚嘆する感性」から始まるといっても過言ではないだろう。例えばハイデガーは、「なぜ何もないのではなく存在するのか」という驚きから、思索を始めなかっただろうか。彼はシュバルツバルトの暗い森の散策を日課としていた。ソクラテス以前の哲学者たちは「自然の起源を探る驚きの旅、つまりアルケーへの旅」に誘われなかっただろうか。ほとんど断片しか残っていない彼らの著作の多くは「自然について」と題されていた。

 しかし、意外にも「驚嘆する感性」そのものをテーマにした作品は少ない。しかも誰でもわかる平易な文章となるとなおさら少ない。その稀有な作品の一つが、レイチェル・カーソンの死後、友人たちが出版した『センス・オブ・ワンダー』である。もともとは1956年、女性向け雑誌「ウーマンズ・ホーム・コンパニオン」に「あなたの子どもに驚異の目を見はらせよう」と題して掲載されたそれほど長くないエッセイだった。
 絶筆となる『沈黙の春』を書き始める2年前のことだ。この頃すでにレイチェルは詩的であると同時に科学的な筆致で自然を扱う独特な作家として知られていた。そんな作家は滅多にいない。

 1953年、メイン州ウエスト・サウスポートの森と海辺の間に別荘を建てた彼女は、ここでの滞在体験や海洋科学者としての知見をもとに『海辺』を出版し、ベストセラーとなる。自然関連の読み物としては例外的なことで、ナチュラルライティングの古典として今も読まれ続けている。

 本書『センス・オブ・ワンダー』も、甥のロジャーと別荘で過ごした体験をもとに、子どもにとって自然に触れることがどれだけ重要なことなのか、そして大人になってもその感性を持ち続けることがどれだけ人生に彩りを与えてくれるのかを、みずみずしい言葉で教えてくれる。

 手元にある『センス・オブ・ワンダー』から引用いてみよう。冒頭の文章だ。
 「ある秋の嵐の夜、わたしは一歳八か月になったばかりの甥のロジャーを毛布にくるんで、雨の降る暗闇のなかを海岸におりてきました。
 海辺には大きな波の音がとどろきわたり、白い波頭がさけび声をあげてはくずれ、波しぶきを投げつけてきます。わたしたちは、まっ暗な嵐の夜に、広大な海と陸との境界に立ちつくんでいた。
 そのとき、不思議なことにわたしたちは、心の底から湧きあがるよろこびに満たされて、いっしょに笑い声をあげてしまいました。
幼いロジャーにとっては、それが大洋の神の感情のほとばしりにふれる最初の機会でしたが、わたしはといえば、生涯の大半を愛する海とともにすごしてきました。にもかかわらず、広漠とした海がうなり声をあげている荒々しい夜、わたしたちは、背中がぞくぞくするような興奮をともにあじわったのです。」
(上遠恵子訳・新潮社)

 この「笑い声」「背中がぞくぞくするような興奮」を一緒に体験するために、2歳にも満たない甥を嵐の夜中、毛布にくるんで連れていったという事実に、少々戸惑いを覚えない読者はいないだろう。当然だ。レイチェルも少し言い訳している。

 「まだほんの幼いころから子どもを荒々しい自然のなかにつれだし、楽しませせるということは、おそらく、ありきたりな遊ばせかたではないでしょう。」(同上、引用は以下同)

 彼女は自分の行動が少々常軌を逸してることはじゅうぶん承知しているが、それでも自然に触れさせるのは大人の役目であり子どもにとって必ずいい影響を与えると確信して、嵐の夜の探検を抑えることがきれなかったのだろう。「驚嘆する感性」の人、レイチェルはそんな人だった。農薬が自然へ及ぼす深刻な被害についてデータをもとに緻密に実証した『沈黙の春』の作家の、人間っぽい一面だ。

 わたしには自然のなかへ同行してくれる甥はいないので、ひとりであるいは友人たちと森の中へ探検に出かける。彼女がしきりに言う、「植物の名前を覚えるより大事なことは、自然を体験することなのだ」という言葉を信じて、知識を増やすためではなく、驚嘆するためだけに森の奥に入り込む。自然を前にして驚き、目をみはることが自分にどれだけの恵みを与えてくれるのかわからない。ただ、レイチェルと同じように、そうせざるを得ない衝動にだけは従うことにしよう。

 というのも、彼女がこう述べているからだ。
「この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、変わらぬ解毒剤になるのです。」

 小さな村に住んでいても、いや、住んでいるからこそなのかもしれないが、日々の倦怠や幻滅と無縁ではない。自分は老人とまではいかないが、それでも人生の儚さという現実が、さまざまな機会を見つけて絶えず忍び込んでくる。近親者の死、身の回りの小さな悪、目標感の喪失……。それだけではない。自然に感嘆することを忘れ、科学技術を過信したために起こる地球規模の環境破壊、自然災害、食糧危機、南北格差など新聞やテレビのニュースに触れていると、世界の救いの無さと地球の未来に希望を失い、自分の無力さの輪郭だけがくっきりと浮かび上がる。

 自然に驚嘆する経験が失われること、それ自体は小さなこととして片付けられるかもしれない。しかし先ほど触れた大文字の課題に対して、自分ごととして受け止めるためにはこの「驚嘆する感性」が必要なのだ。そう、レイチェルは訴えかけている。

 彼女が作品を発表した1950年代から60年代初頭、アメリカは物質的繁栄を世界中のどこよりも謳歌していた。自然を切り開き大量の郊外住宅を建設し、洗濯機や食器洗い機など主婦に余暇を生み出す家電が普及していく。巨大なショッピングセンターには食料や日用品で溢れていた。高速道路では威嚇するようなテールフィン時代の大型車が疾走する。荒野(ワイルドネス)というフロンティアを失くしたアメリカは、自然からは搾取するだけ搾取しつくし(そして農薬を使い出す)、同時に人々は自然から後退していくことになる。日本でも似たような状況が10年ほど遅れてやってくる。そしてその流れは今も続いている。

 ここ数年、自然を感じ考えるようになった。小さな村で生活するということは、そういうことだ。感じ、そして考える。とくだん、独創的な考えが頭に浮かぶわけでもない。ただ、葉っぱや昆虫、何万年も前から茂るシダ類、鳴き声だけが聞こえる鳥たちに、毎日のように驚かされてる悦びに浸っている。

 レイチェル・カーソンの話に戻ろう。『沈黙の春』を1962年に刊行した後、この雑誌記事「あなたの子どもに驚異の目を見はらせよう」を膨らませて出版する計画を立てていたという。この短いエッセイに愛着を持っていたのだ。しかし前に述べたようにすでに癌に侵されていた彼女には、書き加えて新しい作品にする力は残っていなかった。56歳の生涯だった。
 少し長いが、最後に印象深い彼女の文章を引用する。

 「わたしはかつて、その夜ほど美しい夜空を見たことがありませんでした。空を横切って流れる白いもやのような天の川、きらきらと輝きながらくっきりと見える星座の形、水平線近くに燃えるようにまたたく惑星……。流れ星がひとつふたつ地球の大気圏に飛び込んできて燃え尽きました。
 わたしはそのとき、もし、このながめが1世紀に一回か、あるいは人間の一生のうちにたった一回しか見られないものだとしたら、この小さな岬は見物人であふれてしまうだろうと考えていました。けれども、実際には、同じような光景は毎年何十回も見ることができます。そして、そこに住む人々は頭上の美しさを気にもとめません。見ようと思えばほとんど毎晩見ることができるために、おそらくは一度も見ることがないのです。」

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