キラめく青春の一頁 劇場版『エースをねらえ!』

※同人誌『Vanda』12号(1993年12月発行)に寄稿した文章の再録です。『Vanda』は(故)佐野邦彦氏と近藤恵氏が編集発行した同人誌です。

 本作は少女マンガ『エースをねらえ!』の三度目の映像化作品である。
 『週刊マーガレット』連載の原作の圧倒的な人気を背景に、1973~74年にかけてTV化された最初の『エースをねらえ!』は、原作とは異なる展開の物語となりながらも、再放送でメインターゲットの少女以外の広範囲な層を巻き込んで爆発的な人気を得、1978年にはより原作に忠実な形で作り直すという異例の『新・エースをねらえ!』が製作された。が、旧シリーズの中心メンバーであった演出の出﨑統、及び作画の杉野昭夫コンビは、当時『宝島』を手がけていたために『新・エース』には参加せず、旧作の華麗で力強いタッチに魅せられていたファンにはビジュアル面で大きな不満を残すことになったものの、視聴率的には一応の成功を収めていた。
 しかも当時は、『宇宙戦艦ヤマト』が火を着けた、いわゆるアニメファン向けの劇場アニメブームのただ中だった。そしてそれまでの、いわゆる『ヤマト』方式と呼ばれるTVシリーズの再編集ものから進んで、更に高度なものを求めるようになったファンのニーズに応えるために、最初から劇場用に作られたアニメ映画がこぞって製作されていた。TVでの好調を受けて、『エース!』の劇場への登場も、そんな背景の中で、いわば成るべくして成ったのである。
 ちなみに『エース!』と同じ1979年には『銀河鉄道999』『龍の子太郎』『ルパン三世 カリオストロの城」が新作され、劇場公開されている。このラインナップを見ても、いかにこの年がアニメの歴史の上で高潮なものだったかが判ると思う。いずれも、それぞれの作品のメインスタッフたちがそれまで蓄積し磨き上げてきた技術とセンスが遂にその場を得て一気に発揮された傑作揃いだった。それは『エース!』においても例外ではない。
 さて。そのようにして劇場版の映画として登場した『エース!』は、どのような作品になっていたのだろう。
 まずスタッフは、監督に出﨑統、作画監督に杉野昭夫。待望久しい『エース!』ゴールデンコンビの満を持しての登板である。両人とも既に一度手がけた素材であるだけに、人物の配置や相互関係、物語の舞台背景も熟知され、演出・作画の両面においても、完全に自分のものとして整理され、原作でも一つの区切りとなる宗方コーチの死までを非常にバランス良く構成し88分の時間枠の中に収めている。
 例えば、劇場版では僅かしか出番がないにも拘わらず、男子テニス部の藤堂貴之、尾崎勇、報道部長千葉鷹志の西高三羽烏の描き方など、実に確立された印象を受ける。あるいは、加賀のお蘭こと緑川蘭子など、彼女自身の描写は必要最小限まで極力減らされているためにかえって謎めいた女、正体不明のライバルとしての貫録が生まれているのも上手い。
 とはいえ、映画版は、原作に忠実にアニメ化したならば厖大な長さになってしまうだろうストーリーの単純なダイジェスト化ではなく、巧みに原作という地平からの離陸を図ることによって、独自の作品となり得ている。
 原作からの離陸は例えばこんな風に。原作では、宗方の強引なやり方に反発しカゼと称してクラブを休んでいるお蝶夫人こと竜崎麗香の元へ、ひろみがH・Oのイニシアル入りの花束を贈り、お蝶を感激させるエピソードがある。これで判るように、ひろみにとってお蝶は遥かな憧れの存在であり、またお蝶にとってひろみは可愛い妹のような存在なのである。しかし、この劇場版では、花束を用意したひろみが「今時流行らないよ」と贈るのを止めてしまう。そこには、少女マンガとしての原作から軽やかに離れ、自分の作品としての『エース!』を作ろうとするスタッフの主張がはっきりと見てとれる。
 あるいは原作ファンにとって余りにも印象的な宗万の死の瞬間、渡米する飛行機の中で、ひろみが宗方の声を聞くシーン。劇場版では、ひろみは何も知らず何も聞こえることなく、小声で歌を口ずさんでいるのだ。それはひろみが初めてお蝶とダブルスを組んだ試合で、どうともなれと開き直った時に口をついて出た即興の曲。そしてそれはそのままエンディングの青春賛歌の歌へとつながってゆく。原作とのつながりを拒否したこの作品は、そのまま、この場で一つの青春映画として完結しているのだ。
 更に原作ファンとして言うならば、余りにも有名な「この一球は唯一無二の一球なり、されば心して打つべし」(ああ、こうして書き写すだけで魂がふるえる。)を初めとする多分に精神訓的な名セリフの数々。あるいは、私たちはどこまで行けるのだろうという、人類の根源にまで迫るような、更なる高みを目指す希求の思いの激しさ。そういった一切のものをスッパリと切り去って、本作はヒロイン岡ひろみと、テニスを介して、ひろみを巡る若者達を描いた、アクティブで、キラめく青春映画として結実する。
 映画はこんなキュートなモノローグで始まる。「岡ひろみ、15歳。…雨の夜はゴエモンけとばす!」(註・ゴエモンてのはネコです)。
 『エースをねらえ!』。それはヒロイン岡ひろみの物語。単純な憧れからテニス部に入部しただけの女子高生ひろみは、突如現れたコーチ宗方仁によって一方的に選手に選ばれ、部員の冷たい視線にさらされながら、終盤近くまで自分が選ばれたその理由も明らかにされぬまま苛酷な特訓を課せられる。そんな中で芽生える藤堂先輩への淡い思慕。互いに思いを寄せ合いながら、蕾のまま宗方によって強引に封印されてしまう二人の気持ち。テニスだけに明け暮れる日々に、それ以外の大切なことを置き忘れていってしまいそうな自分への不安ととまどい。何度も止めてしまおうとしたテニス、それでもテニスが大好きな自分、そしてついに自分の手で選び取ったテニス。宗方の自分に懸ける思いの深さを知り、その心に応えて、ひろみは世界に羽ばたいてゆこうとする。
 映画のクライマックスを成す、高校テニスの女王、お蝶夫人との対戦の、当時考え得るあらゆる技術とセンスを尽くした、華麗でダイナミックな画面。ひろみのエースが決まり、お蝶のリボンがほどけて風に舞う。夕焼けの中を、すっくと両の足で大地を踏みしめて立つひろみの凛々しさ。
 そしてこれは、少女の物語。白くぼんやりとしたひろみの部屋。花模様の青いパジャマ。大きなベッドと、アクセントに置かれた力ラフルなラグ。そこでは一本の電話だけが外界とを結び、若さに弾む心を、若さにふるえる心をつないでゆく。そこは、未だ何者でもない少女のつむぐ、白い繭の部屋。ひろみの母が画面に姿を見せぬ声だけの存在であるのも効果的だ。そして少女の世界は学園生活の中。テストの話題、ロッカールームの喧噪、放課後の寄り道、気ままなおしゃべり、女の子同士のデート、ラーメン屋さん、ゲームセンター、映画館。夏の強化合宿の帰りに埠頭で見せたひろみの私服姿が新鮮な印象を添える、これは少女の世界の物語。
 そしてこれは、ひろみを巡る若者たちの物語。マキ、お蝶、藤堂、尾崎、千葉、蘭子、それぞれの立場、それぞれの形でひろみを巡る若者たちの物語。宗方という峻烈な個性に選ばれたひろみに対するお蝶の火のようなプライド。異母兄宗方への複雑な思いを胸に立ちはだかる蘭子。そして、ひろみを支え、力づけ続ける仲間たち、取り分け、ひろみの親友マキの存在。訳も判らぬまま宗方仁という渦に巻き込まれ翻弄されるひろみを必死に励まし、共に苦しみながら見守り続けるマキ。中でも、放課後のテニスコートで傷心のひろみに寄り添って懸命に昔話を語り続けるマキの姿、映画館でひろみのテニスヘの強い思いを知ってテニスを止めちゃだめだよと取りすがるマキの姿は、菅谷政子さんの好演と共に忘れ難い印象を残す。
 そしてこれは、宗方仁の物語。限られた生命を賭けて、自分の持てるもの全てを託せる相手を捜し求め、残された力の全てを注ぎ込む宗方仁の物語。88分という時間の中で宗方の行動原理を明確にするために、映画では夫に棄てられ悲嘆の内に生を閉じた宗方の母をその根底においた。異母妹・蘭子に、ひろみを選んだ理由を問われた宗方は、ひろみの埋もれた素質をあげ、そして彼女が亡き母の面影に似ていたことを語る。「強くあれ!」思い出の中でいつも泣いていた母に対する宗方の思いは、熱く、ひろみを包んでゆく。つらさに耐え兼ねて受話器を手にするひろみをいつも宗方は受け止める。名を告げぬ電話を、ひろみからと見抜く宗方に「なぜ私からと?」尋ねるひろみに宗方は言う。「俺の考えていることといったらいつもお前のことだけだからだ」。宗方の思いに応え、大きく成長してゆくひろみ。限られた生命を最後の最後まで燃やし尽くした宗方の、いまわに残した言葉は、「岡、エースをねらえ!」。
 そしてこれは、私にとっても、過ぎ去った青春の日の物語。毎週『マーガレット』を読んでいた頃。どうしても『エース!』の仕事をやりたくて、みんなでひそかにバイトした動画。瞳の黒い部分を鉛筆で塗りつぶして、マシントレスした時にムラ塗りの効果が出るように指示してあったキャラ表。魔球などというものは存在しない、との原作の明確な主張をいとも易々と打ち破って魔球を登場させてくれたTVの第一シリーズ。ブタマン顔のひろみだった『新・エース!』。オオカミカットの髪にトンボメガネのひろみ、長髪の宗方コーチ。過ぎ去った日のファッション。新興宗教の教祖様になってしまったという原作者、山本鈴美香。そうした全てのことを含めて、二度と還らない日々と分かち難く結び付いている『エースをねらえ!』。それは、岡ひろみにとっても、そして私にとっても、青春の日々だったのだ。
 当時熱狂的な原作派だった私としては、この映画には不平も不満もあった。しかし、時が過ぎた今となっては、青春映画としてこれを作ったことは、88分という限られた時間の中にまとめるには、これが正解だったと思える。だから、この映画の中のひろみがこれからどうなってゆくのかは判らない。宗方の一方的な愛に精一杯応えたひろみが、宗方を失い、そのまま、宗方の遺志を継ぐ桂大悟という男になど出会いはせず、やがては普通の少女としての生き方に戻ることも考えられる。そして、この映画の中では、それはまたそれでいいのである。キラめく青春の一頁、それがこの劇場版『エースをねらえ!』なのだから。

初出:『Vanda』12号(1993年12月、MOON FLOWER Vanda編集部 編集発行)

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