プレイバックシアターの良さ

なにか、困ったな、とか、驚いた!とか、
ある出来事が起きて、沸き起こった感情は、その瞬間にはなんとも分別のつかない名前のものだと思います。
その沸き起こった感情を、少し離れたところから(離れた時間から)、「あぁ、その感情は○○だね」と、自分で自分に名付けてあげて、その一連の出来事を物語に変換する。

物語になると、その中の登場人物の目線でその出来事たちを見ることになって、それらの反応は、名付けられた感情○○で間違いがなくなってくる。

ここに疑いを持って人に相談したりして、別の視点を設けることもできる。
そうするには、疑いの段階まで引き戻すことが大切になってくる。
これこれこういう出来事が起きてさ、これってなんなのかなぁ。と、宙ぶらりんの出来事の積み木。こうすることで、他者が別の視点でもって、別の名前を名付けることになる可能性もある。そのためには、自分の考えを勘定に入れないようにする必要がある。感情を名付けた自分を忘れること。みんなどうやってるのかなぁ。

僕にとってつらいなぁ。というのは、
「これこれこういう出来事があって、こういう感情で、、、」と伝えた時に、「それはこうしたらいいよ!」とか「こう考えてみたら?」という、今ここを置いてけぼりにしたアドバイス・忠告・支援で、極端に弱っていて、自分ではなにもできません。自分にはなにも考えることはできません。と本人が思わざるを得ない状況の時は、もしかしたらきくこともあるかもしれないけれど、まぁ、それは難しいでしょう。

名付けようのない感情を、
名付けることをせずに、
そのままの姿で、
もう一度現れてくれる。
それをみて、
自分が感じたことが、
一体なんだったのかを
自分自身で考え・選ぶことができることが、
プレイバックシアターの良さだと思います。

演じる人はお話しを聞いて、
出来る限り状況を想像して、
忠告も批判もせず、
その状況を演じてみせる。

こうすることで、
話をした自分自身で、自分に必要なことを考えることができると、考えています。

自分が必要なことは、自分がもうすでに知っている。
と信じています。

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