私として生きるって、どういうこと?

だんだん秋も深まってきて、最近秋冬用に進化したお布団が心地いい。なんなら一日ここから出たくないなと思うくらい気持ちがいい。

ああ、でもいろいろすることがあるからもう出なきゃ。。。

そのぬくぬくとした温かい中から今考えていることをメモすることにする。

最近、「自分とは何者か」という事についてよく考える。

父と母がいて、おじいちゃんとおばあちゃんがいて、その他に縦にも横にも家族が広がって私という存在の輪郭ができている。その家族の中に私という一つの生命が生まれたことで一人分の人生というものが誕生して、私という生命体は自分の人生をなるだけ幸せに生きることになっている。

まず私たちの一生とは何だろう。一般的にかつ客観的に考えてみると、生まれてから家族の庇護を受けつつ身体的に大きくなること。そして十分に大きくなったら生殖活動をして自分の家族を繁殖させる。この二つがきっと私たちが人間という生き物として生きるときになんとなく与えられた役割だと思う。

では私たちが一人の人格を持った個人として幸せに生きていくときには、どうすれば良いのだろう。きっとそれはその人が生きてきた環境とか、出会ってきた人によって決まるものだと思う。しかし、はたして私たちは自分がどんな時に幸せと思うのかきづいているのだろうか。

そもそも個人の幸せとは何だろう。

私は自分が幸せと感じている自分の感情自体にも疑問を抱いてしまう。食べ物を食べた時に、美味しいと思う。友達と話している時に、幸せだと思う。

でもそれは、人間としての生き物の性からにじみ出る欲を綺麗に装飾しただけの、薄っぺらい気持ちなのではないか。私はたまに自分がよくわからない。どんなに楽しい場所や、空間や、繋がりを持っていたとしても他人に嫉妬し、もっともっと自分を見てほしいと飢えている私がいる。

自分に向いている意識が、重く自分にのしかかる。この目線とパワーを、誰かの幸せに使うことができた時、それが幸せだったりして。