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私の留学体験記(3) アサイメントでよい評価を得るには

私の留学体験記の第3回目です。今回は、留学生がいちばん気になる科目のアサイメントで高評価を得るために、私の体験からお話しします。失敗もあります(笑)。

1:大学院での重要なアサイメント

私は学部生として過ごした経験はないので、この話はあくまでも私の大学院(博士課程)での話しになります。

大学院ではコースワークと研究活動にわかれますが、コースワークでは学部と同様に科目を履修します。そして合格するためには、B(三段階、B-, B、B+)あるいはA(三段階、A-、A、A+)の6段階のいずれかでなければなりません。

これをみると、日本語のできない留学生は、「最低のB-でなんとかしのごう」と思うかもしれません。

しかし、将来現地で就職しよう、あるいはポスドクのポジションを獲得しようと考えているのであれば、成績評価の点数が高い方が有利です。ポスドクも応募者が多く激戦ですから。

そこで、将来どうなるかわからない段階で私はできるだけ良い点数、少なくともA-はとりたいと考えていました。

2:留学生に対してそんなに優しくはない

トロント大学はどちらかと言うと留学生に対してそれほど優しいところではないという印象があります。

多様なサービスはありますが、それを受けることで自分で努力しなさいという感じです。

日本の大学の教員を長い間してきましたので、日本で海外からの留学生がどのようにサポートを受けるのかよくみてきました。

日本の大学は、海外から優秀な人にきてもらいたいという気持ちが強く、私からみると、留学生にはとても手厚いというイメージがあります。

一方、トロント大学では留学生は当時でも15%ほどいて、それほどめずらしくはありません。人気のある大学でしたから何もしなくても、世界から優秀な学生が集まってきます。

とくに英語という言葉の壁を克服することに関して留学生が苦労しているということは、教授たちはあまり関心をもっていないという印象です。これは、留学生の大変がアメリカとイギリスのように英語圏からきていることも影響しているかもしれません。

私が入学当初、指導教授に言われたのは、「留学生だからといってアサイメントの評価について考慮してもらえるとは考えない方がいい」ということです。つまり、英語は慎重に書かないと点数はとれないよということです。

大学としては、TOEFLの合格ラインを超えているのであるから、英語の能力は十分に備わっているはずであると解釈していたようです。つまり、できないのは留学生の努力が不足しているからだという解釈です。

理不尽な気もしますが、そんなこと思っていてもしかたありません。私は必死にがんばって、書いた文章を自分でなんどもなんども見直し、文法的間違いがないかどうかを確認して提出していました。

結果としてA-あるいはAの評価を得ることができました。

しかしA+はとれなかったです。いつも言われたのは、「内容はよくかけているけど、英語がちょっとね。ミスがない様にもう少し慎重に書いてね」ということです。

私はいつもため息をついていました。

3:ライティングのサポートを受ける

レポートを英語で書いて、自分では完璧だと思っても、自然な英語ではなかったり、単語の用い方がまちがっていたり、文法上のミスがあると、よい点数はとれません。

そこで、私が活用したのが、大学が用意していた「ライティングの不安がある人のためのサポートサービス」です。正確な名前は忘れましたが。

これは留学生にかぎらずすべての学生に提供されていました。ネットで予約して、1回30分ほどの助言をもらえるのです。

ただ、ここは英語の添削ではありません。あくまでも文章構成とか、論旨の一貫性とかのおかしいな点を指摘し、改善点を提案してくれるところです。

私はここを時々利用しました。毎回利用できればいいのですが、締め切りぎりぎりまで書きなおしていると1回受けるのがせいぜいでした。

でも、ここで、「この単語は不自然だ」とか、「この考え方はちょっとわかりにくい」という意見をもらい、書き直すことができました。

でもこのサービスだけで完璧な英文を書くことは難しかったです。

4:自分でエディターを探す

2番目の方法は、エディターを自分で探し自分の英語の論文やレポートを常に修正してもらうということです。

これは私はアサイメントの時はできなかった方法です。論文を書き始めてからはこの方法を多いに活用しました。

ある時私は、中国からの留学生がレポートのアサイメントにそれほど困っていないことを知りました。

なぜ?と思ってそれとなく聞いてみました。すると、「知り合いに見てもらっているから」と。つまり、提出前に自分の書いた文章を英語の堪能な知り合いに毎回チェックしてもらっていると言うのです。

中国人はトロントでも大きなネットワークをもっているので、そのような人材がすぐにみつかるのだろうと思いました。きっと格安の値段でお願いできた、あるいは無料でみてもらっていたのかもしれません。

一方、私はその人に見てもらうという行為がなんとなく、安易な方法に当時は思えていました。自分の英語向上にむけた努力を放棄しているようにも思えたので、「せっかく留学してきているのだから、最後まで自分でがんばる」と固くなに思っていました。

しかし、後から知ることになるのですが、カナダ人の教授でも自分の論文を書いたのをそのまま学術雑誌に投稿はしていなかったのです。

かならず、自分の専属のエディテーをもち、そのエディターに自分の論文をすべてチェックしてもらい、よりよき文章にしてから投稿していたのです。

英語のネィティブの教授ですらそうなのです。

これには少しおどろきました。日本で、日本人の教授が日本語で出す論文を投稿するまえに、日本人のエディターにみてもらうとうことは一般にはしないものです。

いわば、一人一人の教授が自分の論文を投稿するまえに専用の編集者をかかえているようなものです。

もらえる研究費の額の違いかもしれないと思いました。なにしろ、A41ページの論文のエディテイングの価格がなんと当時で約20ドルと聞いたからです。エディターの質が高ければ、額もあがるそうです。:

こんな、エディターを学生の時からもてるとはおもいません。

わたしは博士の論文を書く段階になってひとりで書いているとき、ふとしたことからアメリカ人の博士の学位をもった人と知り合いました。その人が私の論文に関心をもってくれ、アメリカにいながらメールで私の論文をすべてエディテイングしてくれたのです。

おかげで、指導教授たちにいつも "Well-done"と言われるまでに改善することができました。

このように、専門のエディターでなくても、カナダ人やアメリカ人など英語を母国語とする人であるていど文章能力のある大学院生などを友人にもち、その人にアルバイトという形でやすくお願いするということはできると思います。

こういうのも、留学生活をサバイバルする上で大切なことです。

ではでは。





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