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集合意識は強い、しかし一人の確信の方が勝ることも

ブーイング。。
日本では余りなさそうだ。
国民性でしょうか?
ワールドカップなどを見てると日本人以外は、結構露骨に、というか素直にブーイング出来ているものね。
このようなマインドの在り方は、どちらにしても善し悪し両面ありますね。

そんな文化論を書くわけではありませんで、、、

ふと思い出したことがあり、書いてみました。

かなり昔の話ですが、
成り行きで軽い気持ちで参加した、ある日本人のサンバグループのライヴ。
が、そのグループはカバーばかりやっている、もっと率直に言えばコピー!
正直いうとその姿勢に「?」を感じていたから
結構実験的なアプローチをぶち込んだのでした。

シンセでエフェクティブなことをやったり、samplerで奇妙な音を出してみたり、と。
オルガンやピアノの音色は殆ど使わなかったか、真っ当な使い方はしなかったと思う。

で、お客さんの反応が完全に分かれたそうです。

あんなのは違う!F○○kだ!
いや、ああいうヤツがいた方がいい!

日本人はその場でブーイングしたりすることは少ないけど、空気は感じた。
それでも不思議なほど平気だった、今思っても不思議なほど。

若気の至り的なスタンスではあったと思う。
それでもあの頃なりの確信ははっきりあった。

ちょっときつい言い方だが、
「お前ら学芸会か?!」
「そのままやってどうすんな?!」
「ここは日本じゃ!」
みたいな(笑)

今思えば私のアプローチも子供っぽかったろう。
それでも今でも自分がやったアプローチの姿勢自体は永遠のものだと感じれる。

抽象性、
ニオイ。。。

漠然とでもなにか掴もうとしてたが故の自己信頼。
全く動じなかった。

半分以上のお客に一人で対しても余裕で上を飛ぶ感覚。

テレビをつけてボーっと見てるような漫然とした意識ならどんだけ集合しても恐るに足らず。
世を動かして来た人達はそれを更に何乗か駆け上がった規模でやっているんだろう。

ヒトは凄いパワーを放てる。
神のパワーを。
誰もがそれを秘めている。

今、あの平気さがあるかい?
と自分に問う。
最後はやはり、信じる力、じゃ。
ヴァージョンアップして愛に変容したアプローチでこれからの人生に臨む。

決意表明、でした。

続く、でしょうか。。。
わかりませんが、読んで頂きありがとうございます。

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