馬券はやり方、競馬は考え方


皆様、遅ればせながら新年明けましておめでとうございます。今年も一年よろしくお願い致します🙇‍♂️


新年最初のnoteは競馬の考え方に関する内容を書き綴って参りたいと思います。どうか最後までお付き合い頂けますと幸いです。




まずは『馬券はやり方、競馬は考え方』というタイトルについて。

馬券は競馬という大きな括りの中に属するものであり競馬と馬券を区別するのが正しい事なのかは定かでないですが、私の視点としては“競馬の本質”に対して馬券がどういう意味を成しているかどういった要素を含んでいるか、という事を表すためのタイトルとなっています。


と、このようにざっくりと説明するだけでは伝わりづらいものなので具体的に説明して参ります。




まずそもそも「やり方」と「考え方」の違いは何なのか。

簡単に言ってしまうと、やり方は物事に対しての『方法』であり、考え方は物事に対しての『価値観』


例えば、10個の仕事をこなせば達成できるノルマがあるとします。

1個1個の仕事を進めていくためには『方法(=やり方)』が当然必要。方法が分からないと全ての仕事を終わらせる事ができず、ノルマには届きません。
そして、仕事を進めるにあたって「どうしたら効率良くこなせるだろう」と考える事はもちろん、「この仕事をやる意味・ノルマを達成させる意味は何だろう」と考える事がここでいう『価値観(=考え方)』です。




ここから本題に戻ります。

なぜ「馬券はやり方」で「競馬は考え方」なのか。まず「馬券」からフォーカスをあてていくと馬券は極論、数字を当てるものだからです。


走っているのはもちろん馬であり、数字はあくまで各馬に付けられた馬番号に過ぎないのですが、こと馬券を当てるという事に重点を置くならば着順通りに数字を当てれば的中するわけです。

例えば、競馬を初めてやる人が好きな数字や自分の誕生日で馬券を買うといった事はよくある話ですが、その馬券が仮に当たったとしたらその人は馬を見ているのではなく数字を選んで当てたことになります。
当然、馬を見ていないので複数レースをやった場合、外れる事の方が多いとは思いますが、馬券は初心者でも当たるという最たる例と言えるでしょう。




対して競馬そのものに関しては、まず根本的に正しいやり方など存在しません。理由は単純に正解がないから。

馬券には的中・不的中という結果が必ず付いてくるため的中という正解に向けて正しいやり方(的中する馬番号を選ぶこと)を遂行します。しかし競馬はその名の通り「馬が競う」という本質があり、走っている馬がどういう馬かを見極めたところでその目論見通りに走るとは限りません

例えば、東京コースが本質的に大得意なAという馬がいたとして、そのAが東京コースで必ず1着になるとは限らない。
1着にならなかった時の理由には距離が合わなかった、馬場が合わなかった、展開が向かなかった、相手が強かったなど様々あるでしょう。


問題はそのAが1着にならなかった時、勝った馬が仮に東京コースを苦手としているBという馬で、展開が向いて勝った場合だったとしたらどうか。


その展開を読んでBの1着を当てた人は確かにお見事かもしれない。
ただ、中には「Bは東京コースが得意だから1着に来る!」と予想して当てた人もいる事でしょう。

①展開を読んでBの1着を当てた人
②(本来は苦手なのに)東京コースが得意と予想してBの1着を当てた人
③東京コースが得意と予想してAを買い、外れた人

他にもありますが、この3パターンがここでは存在する事となります。


この時、的中したのは①②の2パターンで③はハズレのため、的中した①②が正解となるのが馬券における正解・不正解の判別方法。

しかし、②の場合はBが東京コースを得意としていると勘違いしていながらの的中。これが正解になってしまうのは如何なものかと思ってしまいますよね。
反対に③は馬券こそ外れはしたもののAの東京適性を買って本命にしているため狙いは悪くなかった、となります。



これらのように、馬を知る事と馬券を当てる事はイコールではないと言えるだけでなく、競馬を知らなくても馬券は当てられるという事が分かるかと思います。


競馬が好きで知識を増やすべく日々勉強している自分の立場からすると、馬券の意味合いって何なのだろうと考えてしまうのが正直なところであります。




人間というのは結果を出したがる生き物で、必ず答えが出る馬券を皆がやる理由はそれだと思っています。
馬券を当てた人が凄い、外れたらダメ、といった風潮もここから来ているのでしょうが、私から言わせて頂くと正直不毛なやり取り。

そもそも馬券を当てた人が凄いなら、初心者が好きな数字を選んで当てただけで競馬の神様になれます。
継続して当てている人が凄いのは分かりますが、毎回必ず当たる人が存在しない時点で継続して当てている人が凄いという理屈も個人的には意味が無いと思ってしまう。



先程挙げた10個の仕事をこなすと達成できるノルマの例で言うと、ノルマを達成するために仕事をやる=馬券ですが、ノルマを達成して得られるものはせいぜい評価アップ(馬券では配当金)ぐらいでしょう。もちろん大事ですけどね。


それ以上に大切なのは「この仕事をやる意味・ノルマを達成させる意味は何だろう」とまず考える事であり、これを考える事でノルマを達成した時に得られるものは自分自身にとっても大きなものとなるでしょう。

競馬においても必要となる部分がこの考え方。この馬はどういう馬なのだろう、この馬の本質は何だろうと考え、レースでその答え合わせをする事で仮に馬券は外れても馬の知識はしっかりインプットされ、得られるものは長い目で見ても大きなものに違いありません。もちろん次の馬券的中にも繋がりますからね。




以上の点から、

①馬券には正解があるが、競馬には正解がない。だから考え方が大事。
②馬券を当てることより、競馬を知ること・馬を知ることの方が大事。


これが私の辿り着いた競馬観です。



馬券をやって当たりハズレを楽しむ事ももちろん競馬の醍醐味ですが、そもそも馬券の本質は何なのかを改めて考えた上、競馬好きである自分を見直してみることも大切なのではないでしょうか。





だいぶ踏み込んだ事を言ったような気がしますが、私は馬券にそこまで執着がないのでその気持ちをそのまま綴らせて頂きました。


賛否両論あるとは思いますが、むしろ賛否があっていいと思います。なぜなら競馬は考え方だから。




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