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「イキリ陰キャ、気持ち悪い」

1.初めに

このnoteは、早稲田大学負けヒロイン研究会のdiscordで三条しぐれさん(@sanjou_sigure)が「皆さんのオタク人生史は見てみたいですね」と言ったことをきっかけにして書かれた。彼は自身の半生を綴ったnoteを発表しており、TwitterやDiscordで評判となっていた。

最初は「僕より2歳も年下なのにこんなにうまく文章が書けてすごい。それに比べて僕は…」と文才のない自分や、そもそも何もしようとしてない自分を嫌悪していたのだが、自分の中の雪ノ下雪乃さんに「最低限の努力もしない人間には才能がある人を羨む資格はないわ。成功できない人間は成功者が積み上げた努力を想像できないから成功しないのよ」と言われてしまい、トホホ…となりながら数か月ぶりにnoteを開いたのだ。

そんなわけでnoteを書き始めたのはいいが、これがなかなか難しい。何も考えずに生きてきた僕は昔のことなんてはっきりとは覚えていない。それに、しぐれさんのnoteが僕の思っていたことをほぼ言語化してしまった。初めて「「青春ヘラ」とは何か?」を読んだときと同じような感覚になった。「僕が見られる『あの少女』は貴方たちの絞りカスだ。」とか「僕は貴方たちと一緒に青春を無駄にしたかった。」とかもう最高だ。

僕の好きな記事の1つ。「自意識の化け物」というワードがとてもいい。


何が言いたいかというと、僕がこのnoteで書くこともまた、上記のnoteらの「絞りカス」ということだ。そんな絞りカスを最後まで読んでもらえると幸いだ。

2.小学生編━「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」との邂逅

まずは小学生編から。兄の影響でポケットモンスターシリーズが大好きだった僕は、ポケットモンスターパールでよく遊んでいた(最初に選んだ相棒はたしかナエトルだったように思う)。当時から人と対戦するよりも協力して遊ぶほうが好きだったため、兄や友達と対戦することは少なかった。そこでゲームは一人で遊ぶものという認識ができたのだと今になって思う。本では、「ハリーポッター」シリーズや父親の持つ小説を適当に読んでいた。
ここまで読んでもらえればわかる通り、僕はいたって普通の少年だった。学校から帰れば一日一時間だけのポケモンタイムがあり、それが終われば友達と外で鬼ごっこやかくれんぼで遊ぶ、どこにでもいる子供。それが僕だった。

そんな普通だった僕が変わったのは近くにブックオフができたことによる。そこは知らない漫画やゲーム、小説に溢れていた。なかでも僕の目を引いたのは、PSPのゲームコーナーにあった大きな箱━そう、「俺の妹がこんなに可愛いわけがない ポータブル」だ。

なんやかんやで今になってもやれていない…。

当時の僕はPSPを持っていなかったためそれに対する憧れと、可愛い女の子たちや「妹」というキーワードに痺れた。「なんだこのゲームは…?」となったが、やはりPSPを持っていなかったためプレイすることはできなかった。しかしこの邂逅が、後に僕に大きな衝撃を与えることになるのだ。

3.中学生編━「侵略!イカ娘」沼にはまる

そして僕は中学生になる。友達の影響で自動車が好きになった僕は次第に「SUPER GT」というカーレースにはまっていく。爆音で走るかっこいい車たちに当時の僕は魅了された。その中でも中学生の僕の目を引いたのは、いわゆる痛車だ。アニメキャラが派手に描かれた車がサーキットを疾走する姿は中々見物だった。

そして僕は、人生を変えるアニメと出会う。

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出典:https://ascii.jp/elem/000/000/596/596650/4/
イカ娘フェラーリ。かっこいい!

そう、「侵略!イカ娘」である。テレビアニメは2010年に第1期が、2011年に第2期が放映された。端的に言おう。僕は彼女に恋をした。流れるような青い髪(触手)、眩しい笑顔、華奢な体…すべてが僕の心を魅了した。ガチ恋してしまったのだ。家に帰れば毎日イカ娘のコミックスを読み、生徒手帳にはイカ娘のプロマイドを入れて登校していた。イカ娘の各話を分析したノートまで作っていた(当然途中で断念した)。Twitterでは毎日アニメのスクショとともに#イカちゃんかわいい と呟き、界隈のみんなと共にイカ娘への愛を語った。当然Twitterで話すときの語尾は「でゲソ」、もしくは「じゃなイカ」だった。とにかく大好きだった。順調にイカ娘沼へとはまっていった僕は「イカ娘以外のアニメは観ない。それが愛へとつながるから」という宗教じみた考えを持つようになった。今思い返すとやばい。

そんなわけでイカ娘信者となった僕はクラスのオタクコミュニティに自然と入ることになったが、当時水泳部だった僕は運動部の陽キャさんたちともかかわる必要があった。「にめんせい☆ウラオモテライフ!」の始まりだ。

うまるちゃんもいいアニメだった…。

これが大変かと思いきや、そこまで苦労した記憶がない。キモオタの僕を部活のみんなは受け入れてくれたし、オタクコミュニティのみんなが部活に行く僕を白い目で見るようなこともなかった。人に恵まれてよかった。

4.高校生編━イキリ陰キャへ

僕の入った高校は陰キャたちが跋扈する陰キャの楽園のような場所だった。そして高校一年生になった僕はイキリ陰キャとしての第一歩を踏み出す。
友達といったスターバックスでは写真を撮りまくり、LINEのアイコンは部活のユニフォーム姿の自撮りにし、教室では大声で騒ぎまくった。思い返すだけで苦しい。本当につらい。抗精神薬を飲みます。
そんなイキリ陰キャまっしぐらだった僕は怪我をきっかけに部活をやめ、それきり勢いを失う。そして高校2年生になった僕はあるアニメを観る。そう、「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」だ。

「昔気になってたし少し観てみるか」と軽い気持ちで観始めたが、あるシーンで衝撃を受ける。

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出典:http://juliusq.blog86.fc2.com/blog-entry-464.html?sp

黒猫さんが”””””呪い”””””をかけるシーンである。このシーンを観て僕は雷に打たれたような衝撃を受ける。「これが萌えか」と理解する。今観てもやばい。
中学の時から曖昧に感じていた”何か”に”萌え”という形が与えられ、すべてを理解した時のあの感覚は今でも忘れられない。しかし、当時はこの衝撃をうまく言葉にすることができず、だれにも話すことができなかった。ただ、「僕だけはあのシーンの素晴らしさを知ってる」と心の中でニヤついていたのだ。
そんな僕が「あの夏」を送れるはずもなく、毎日エアコンによって28°Cに設定された部屋でポケモンばかりしていた。感傷マゾにはまるわけだ。
そうしてイキリ度を増していった僕は受験勉強を始め、大学に合格する。

5.大学生編━どん底の経験

大学生になった僕は、まず大学で友達を作らないことを目標にした。なぜそんな発想に至ったか。理由は明白で、受験勉強が終わり大学が始まるまでの間にあるアニメを観たからだ。

俺ガイルとの出会い。これが僕の人生を大きく変えてしまった。比企谷君にとてつもない憧れを抱いた結果、大学で「敢えて」友達を作らない憐れなイキリ陰キャモンスターが誕生してしまったのだ。さらにひどいことに、僕は「敢えて友達を作らないの、ちょっといいな」とまで思っていた。「周りと違うことしてる俺かっけぇー」タイプの、the イキリ陰キャだ。
また、もともとコミュ障だった僕は大学生の空気にすっかり委縮してしまい「すべての大学生は恐ろしいもの」と少し前まで本気で思っていた(今でも若干その気がある)。


そんな陰キャコミュ障全開の僕がどうなったかというと、塾講のバイトや授業や課題のストレスで適応障害になった
部屋から一歩も出ることのない毎日。ベッドの上で泣きながら苦しい苦しいと漏らす毎日。親が話しかけてくるたびに怯えて縮こまる毎日。お風呂には週に1回入ればいい方。地獄のような、どん底のような日々だった。

僕が立ち直った経緯などはここでは省くが、本当に大変だった。ともかくそこから復帰した僕は様々な名作に触れることになる。「涼宮ハルヒの憂鬱」、「Angel Beats!」、「氷菓」、「三日間の幸福」、「君の話」、「ねじまき鳥クロニクル」…。その中でも特に、「俺ガイル」と「涼宮ハルヒシリーズ」と「古典部シリーズ」は僕に大きな影響を与えた。「俺ガイル」では”本物”を求め続け妥協を許さなかった比企谷君たちに憧れ、「涼宮ハルヒシリーズ」の、ハルヒたちに振り回されつつも「やれやれ」と頭を抱えながらもそれに応えるキョンを真似し、「古典部シリーズ」の冷静沈着に鋭い考えをみせる折木君に劣等感まで覚えた。彼らの存在は、高校生時代をひたすらイキリ散らかしてきた僕にとってあまりにも強烈すぎた
そうして青春の見本のような作品を多量に摂取していた僕は、ある日とある概念と出会う。そう、「感傷マゾ」だ。

6.「イキリ陰キャ、気持ち悪い」

もともとWebライターのにゃるらさん(@nyalra)のファンであった僕は、彼がある同人誌に寄稿していたことを知る。「感傷マゾvol.04『VRと感傷特集号』」だ。

(実はまだ未読なんて言えない)

ここで初めて「感傷マゾ」が「存在しなかった青春への祈り」であることを知る。以下は「感傷マゾvol.01」の販売ページからの引用だ。

感傷マゾとは、
存在しなかった青春への祈りです。
青春もののアニメや漫画を過剰摂取した結果、夏休みは田舎の祖母の家で一ヶ月過ごして隣の家に住む麦わら帽子黒髪ロングの白ワンピース少女と仲良くなるとか、浴衣姿の女の子と夏祭りや花火大会に行くとか、感傷的な気分に浸れるノスタルジックな青春のイメージが頭の中に固まってしまう。
そんなアニメみたいな青春は自分にはない。エアコンで室温が28℃に保たれた自室の床に寝転がって、スマホでtwitterやyoutubeを見ていたら何の思い出も作れずに終わっていた現実の自分の青春はすごく惨めで、自己嫌悪してしまう。
いつの間にか、その自己嫌悪自体がむしろ気持ちよくなってしまい、感傷と自己嫌悪をゾンビのように求め続ける性癖が、感傷マゾです。

「そんなアニメみたいな青春は自分にはない。エアコンで室温が28℃に保たれた自室の床に寝転がって、スマホでtwitterやyoutubeを見ていたら何の思い出も作れずに終わっていた現実の自分の青春はすごく惨めで、自己嫌悪してしまう。」そう、まさしく高校時代の僕なのだ。
確かに楽しかった思い出はある。受験勉強真っ盛りの夏の夜に見た花火や、泣きながら食べたポテトチップスの味など今振り返ってもいい思い出だと思う。しかし、しかしだ。僕は「あの夏」を送れなかったのだ「正しい」夏を、僕は送ることができなかったのだ。
大学生になってたくさんの青春作品を消費していくうちに、この事実が僕に大きくのしかかった。
この時すでにアニメや小説の影響ですでにひねくれ、拗らせ、イキリ散らかしていた僕が感傷マゾにはまるのはもはや必然だった。架空の思い出の中の架空の美少女から現実の自分への現実的な罵倒を浴びせられる…。なんて素晴らしいのだろうか。




僕は寝る前にいつも”思い出す”。あの夏の日の夜、あの海岸沿いで、月明かりの中、あの子から「イキリ陰キャ、気持ち悪い」と言われたことを。そうして涙を流しながら僕はまた夢の世界へと向かう。

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〇最後に

ここまで読んでいただきありがとうございました。しぐれさんのnoteのように魂を込めて声を上げたわけでもなく、ペシミさんのnoteのように何か新しい概念を記したわけでもない、あまり面白くないnoteだったかと思います。それでも、僕という人間の半生を忠実に書いたつもりです。改めて、ありがとうございました。合掌!🙏



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