新型コロナウイルスに関係する内容の可能性がある記事です。
新型コロナウイルス感染症については、必ず1次情報として 厚生労働省 首相官邸 のウェブサイトなど公的機関で発表されている発生状況やQ&A、相談窓口の情報もご確認ください。※非常時のため、すべての関連記事に本注意書きを一時的に出しています。
見出し画像

エンジニア始めて10年目を迎えた(後半戦)

こちらの続きです。

本記事では4年目以降にやってきたお仕事を振り返りたいと思います。さすがにエンジニア4年生以降になると一つの現場で安定して使ってもらえるようになるので、そこまでドッタンバッタンはしませんね。

4~5年目: ビーグッドテクノロジー→スタイルズ

在籍中に現場の社名と住所が変わるというダイナミズムを初めて経験しました。

入った当時は湯島天神のすぐそばにあったんですけど、途中色々あって、ビーグッドの社長さんが大塚でやっていたもう一つの会社と合併する形で小川町の駅出た直ぐ側のビルに移転しました。特に引越の手伝いとかもなく、「来週明けからこっちのビルの6Fね」と言われて、行ってみたら荷物が全部そっちに移動されててちょっとビックリしました。移転する随分前から着々と水面下で準備があったようで、引っ越し翌日からスムーズに仕事に入れたのは驚きでした。

単純な働きやすさ、設備の良さで言えば後述するゆめみが群を抜いてはいましたが、熱病に浮かされたような熱狂的な仕事をできたのはこの頃が最後だと思います。今の御老体ではあんなのは無理ですw

ここに入った時は「技術戦略チーム」という進撃の巨人に出てくる調査兵団みたいな部署に配属されました。実際ここのマネジャーもリヴァイ兵長とハンジさんみたいでした。両方とも男性でしたけど、性格的にはあんな感じです。本体の開発チームとは切り離された遊撃部隊で、会社の次の飯の種を探ることをミッションとされていました。当時は(いまも?)ownCloudというPHP製のwebDAVを使ったDropboxのオープンソース版のようなパッケージをカスタマイズして導入支援を行うという事業をしていて、とあるメーカーの電子ペーパー端末のバックエンドとして動作するプラグインの開発を行っていました。バックエンドではあるんですけど、ブラウザ上でも操作できるUIを備えていたので、フロントエンドもバックエンドもどっちもやるエンジニアになっていました。特にフロントエンドは最初は普通にhtml+jQueryだったのが、ownCloudのプラグイン開発スタンダードに乗ることにしたらAngularJS+CoffeeScriptという学習コストバリ高の構成になってしまいました。(後のプラグイン開発スタンダードからはAngularJS外されてて、はしごis何処になりました。。。)なので途中から僕はフロントエンドだけになって、サーバーサイドには別のエンジニアを呼んでました。

とにかくこの技術戦略チームはスキルレベルもやれることもみんなバラバラだったのですが、やたら仲が良くて毎日楽しかったです。1週間イテレーションの毎週決まった曜日にリリースだったので、リリース前日はほぼ確実に徹夜になる地獄のようなスケジューリングでしたが、とにかく馬鹿みたいに楽しかったので乗り切れた気がします。

あとこのチームの面白かったところは、入場すると新しく入ってくるメンバーの机の上にケースとマザーボードとメモリとSSDとCPUが置かれていて、「自分のマシンは自分で組んでくださいな!」ってところでした。Macではなかったのですが、選びぬかれたパーツで組まれたマシンはストレスの少ない良いマシンでした。

6年目: 用賀のアパレル通販会社

スタイルズ社内でのお仕事がだいぶ落ち着いてしまったのもあって、用賀の会社のお手伝いに行ったのですが、正直エンジニアから足を洗おうかなと思うくらいには大変な現場でした。家族、所属の会社、現場との人間関係が悪化する出来事が重なり合い、もうグチャグチャでした。個人的にはベトナム人エンジニアって真面目ですごい良いな!って思ったのが一番の収穫でしょうか……

7年目~8年目: ゆめみ

用賀の末期に所属の自社に「もうSESは嫌じゃ! 自社で開発チームをもたせてくれ!」と言ったら、「今ちゃんJava書けないから要らないんだよな」と言われ、なんやて!じゃあJava案件やってスキルつけてきてやんよ!とJava案件ないすかーとほうぼう声をかけてまわってたら、当時ゆめみ社内で営業をやっていたフレンズから「え? 今山さんJavaなんてやってる場合じゃないでしょ」と言っていただき、連れてきてもらったのが業界でもエンジニアたちの楽園と名高いゆめみでした。

とはいえ実際はアサインされたプロジェクトのPMの度量の大きさで楽園度合いが大きく左右されるところがあるのですが、それ以上に目まぐるしく社内制度が変わるので傍から見てて面白かったです。たまたま僕がついた最初のPMはリアルに菩薩で、その下につくエンジニアたちも多少入れ替わりはあったもののみんな穏やかで、天国のようなチームでした。

基本的には大手家電メーカーのアプリ案件(なんと1年目にやってたメーカーと同じところ)のバックエンドの仕事を主軸にしつつ、いろんな案件に首を突っ込ませていただいて、とても刺激的な日々を過ごしました。

成り行きでJavaのプログラム書いたりもしましたしね。(さらにJavaが嫌いになりましたw

9年目~現在: アンテク

というわけで、今はアンテク社内でお仕事をさせてもらっています。

アンテクも色々社会の荒波に揉まれつつも、「安定をクリエイトする」の社名を達するべく、全社で一体になって向かっていっていて、とてもこれからにワクワクさせていただいております。

立ち上がりたてのベンチャー特有のフラットな人間関係がとても心地よいなと思いますが、この会社は大きくなってもこのいい雰囲気は損なわれないで済むんじゃないかな、となんとなく思っています。

オフィスの中にそのへんの音楽練習スタジオと同等のレベルかそれ以上の設備を備える防音室があり、普段は音楽教室として使われているのですが、夜にたまーに「よしスタジオ入ろうぜ!」とノリでスタジオに入って演奏してたりします。

オフィスも増床し、仲間も増え、やれることも増えてきたので、どんどん楽しくなっていくでしょう。まあ、今は新型コロナの影響でオフィスにイケてないですけどね。

おわりに

ざーっとこれまでを振り返ってみましたが、ほんと色々あったなあという印象です。

退職エントリー的なものは全く書いては来なかったので、ある意味ではまとめて書いた感じにはなりました。それぞれの現場で良いことも悪いこともあったのですけど、こういうのを積み重ねて今の自分があるんだなって思いです。

今後もなんとか食いっぱぐれず、頑張っていければ良いなあと思うのでよろしくお願いいたしますね。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
note.user.nickname || note.user.urlname

サポートいただけるとうれしいですよよよ! 頑張って楽しい記事書きますね!

あざっすー!
7
「BOOM TECH CAFEのれいじ先生」として知られるフリーランスでSESとして自らの身を売って日銭を稼ぐひと。PHPとJavaScriptとHTMLがチョットデキル。趣味はサッカー観戦(ジェフユナイテッド市原千葉)、ダーツ、ボードゲーム、作曲。

こちらでもピックアップされています

底辺エンジニアを生き抜くマガジン
底辺エンジニアを生き抜くマガジン
  • 5本

SESの話とか、交換可能な部品として業界を這いずり回る系エンジニアの生き方を語ります

コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。