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『燃えよドラゴン』制作50周年(そしてブルース・リー没後50年)

日本に住む友人が下のリンクを紹介してくれた。

『燃えよドラゴン』が公開されたのは1973年。今から50年前のことである。この映画は世界中に衝撃を与えたが、そのときには主演のブルース・リーはすでにこの世を去っていた。有名な話である。いや、そんなん知らんかったでって人は僕の友人ではない。

なぜリーが32歳の若さで急死したのかについては諸説がある。しかし、香港で謎の死を遂げたリーの遺体を未亡人リンダさんは2人が出会ったシアトルへ遺体を運び、その地に埋葬することを選んだ。従って、謎は謎のままである。

1993年公開の映画『ドラゴン/ブルース・リー物語』のエンディングはリンダさんの「今でも多くの人が彼はどのように死んだのかを知ろうとします。私は彼がどのように生きたかを憶えていたい」という意味の言葉で結ばれる。僕も同じ意見だ。

さて、『燃えよドラゴン』50周年記念の特別上映期間は日本では11⽉23⽇(⽊・祝)から11⽉30⽇(⽊)までの8⽇間らしい。アメリカでは一足早く8月に行われていた。

リーはステレオタイプで見られがちだったアジア人に対する世界的なイメージを大いに高めた。

前世紀末の1999年にアメリカの大手雑誌『タイム』が発表した「20世紀で最も重要な100人」のなかにブルース・リーの名前がある。映画界からはチャーリー・チャップリンやマリリン・モンロー、スポーツ界ではモハメッド・アリやペレ、アジア人としては毛沢東や盛田昭夫。リーはそんな偉人たちと肩を並べる存在だと評価されている。

「考えるな 感じるんだ」と弟子の少年に諭すシーンなど、哲学者としての一面もリーの信奉者たちをひきつけて惹きつけてやまない。「水になれ」という言葉は現在でも多くのアスリートや武道家たちに大きな影響と感銘を与えている。

サンフランシスコにある『Chinese Historical Society of America』(在米中国人社会歴史博物館)ではリーの人生に関する貴重な写真と資料を展示している。そのタイトルは「We Are Bruce Lee」である。

リーが遺した映画や書籍の数はけっして多くない。しかし、その伝説は今もその輝きを失っていない。

大きくなったらブルース・リーになる。そんな夢を抱く少年はこれからも世界中のあらゆる場所に生まれてくるだろう。

「ブルース・リーになれますように」― 筆者の息子が七夕に書いたものだ

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