おれ、ぼく、あたし

ながくなったのでまとめてみた。

停滞期

11月から年末にかけて、だいぶ失速停滞して、新年の迎えかたとしては過去最悪だったかなあと思う。
noteにて自分の好きなように書くことも、他のクリエイターさんのものを読むこともままならない、大学もぜえんぶ欠席、SNSも遮断して、家で殻に閉じ籠もっていた。

というのも、自分を支えていた軸のようなものがズタボロになって、自己というものを上手く認識できなくなっていたのだった。自己概念の倒錯といってもよいかもしれない。これは頻繁に起こることで(おそらく誰にでも発生するのであろうなとか内心思っている)、ああまたこの暗黒期が来たかー、やーね、と軽微な感じで辟易していたのだけれど、今回のは自分史上いっちばん苦しかった。
だからしばらくnoteを離れていた。これは言い訳。
それで、しばらく書くこともしなくなった。
まあぼくがnoteで書いてるものなんて誰も読んでいやしないだろうし、noteはこれぐらいでいいや、とか惰性丸出し精神でやっていたので、この際noteやめようかなと考えたりもした。

それでもまた書く気になったんだな。好きだね、書くの。うん間違いなく。

2020になって心機一転っ!という風にはいかないけれど、ぼくの書くものなんて退屈なものばかりだけれど、続けます。続投宣言ってやつですこの記事。自分のための記事。かんばれ、おれ!!

そうは言っても、今年は少しずつ趣向を変えようかしらん。もうすぐ大学も長期休みだし、暇な時間も増えるだろうし。

ということで、ぼくが大学で専攻している心理学や精神医学など専門的なこと、ぼくが趣味でやってる文学、哲学、やきもの、絵、などなど、ちょっと真面目に書くよ。てか書いてよね、おれ。今宣言しといてやるから。あとは詩!詩も書いてね。

更新頻度は減らします。不定期です。暇になると書いたけど、限られた時間で、やりたいこと、やらなきゃいけないこと、その他諸々、切り盛りしなきゃいけない、あー忙しいのよあたしは。

ぼく、おれ、あたしのお話

ぼくは一年を通してかなり不安定なんです。
分かりやすく一人称がばらばらなんです。
これは昔っからで、ぼく、おれ、あたしを適当に使い分けています。意識的に使い分けられるのは「ぼく」「おれ」だけ。「あたし」は焦ったり、追い込まれたりすると出てきます。口調が「~だわ」とか「~なのよ」とか一昔前の女性みたいになるんです。恥ずかしいことに家族や友達と話していても無意識に「あたし」と名乗っているらしいです。トランスジェンダーとかではありません。女性の豊満な胸が気になる健康的な男です。それでも幼い頃から、自分が女性になる夢を頻繁に見ました。自分のお腹の赤ちゃんを必死に守ろうとする夢も見ました。今でも流産の話を聞いたりすると腹部に激痛が走ります。これ、なんなんだろう。知りません。調べてみます。だからといって、自分が女性を理解出来るとか微塵も思ってないよ。多数的な自己のひとりかね。少なくとも解離ではないね。防衛反応みたいなものなんじゃないかな、まあいいや。

ちなみにこの記事に散りばめられた一人称は意識的に書きました。いわば三つの一人称を紹介しました。いまこの記事を書いている自分を一人称で示すと、「ぼく」が一番しっくりくるね。これらの一人称はこれからよくでてくるんじゃないかなあ、「ぼく」と「おれ」が書けないことでも「あたし」なら書けるということもあるだろうし。その辺の自制はしません。そこまで気を張り詰めたものを書く気はないので。あ、「あたし」使ってる!とか、楽しんでもらえればうれしいです。

あと今回はなんとなく馴れ馴れしい文体にしてみました。いつもはこんなではないね。

余分に書いてたらまとまんなくなっちゃった。終着点どうすんの?ってのはぼくの課題ですね。これからよい形を見つけていきます。

兎にも角にも、今回書きたかったのは二つ!

・note続けるよ!
・ぼく、おれ、あたし!

これだけ覚えて帰ってね、おやすみなさい!

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