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中原中也の生前発表評論「宮沢賢治の詩」を現代新聞表記で読む/その2


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【前回より続く】

生前発表か
没後発表か
そのどちらかが作品の優劣を
決めるわけではありません。

それによって
作者が作品に込めた熱度に違いがあったり
作品の完成度に差ができたりすることはあるでしょう。

そのことをジャッジするのは
ほかならぬあなた
読者です。
つまり、わたくしです。

「芸術論覚え書」を読み
「宮沢賢治の世界」を読んだ流れで
わたくし=合地は
次に、「宮沢賢治の詩」を読む判断をしただけです。

詩や芸術に関して
真正面から取っ組み合いしている
「芸術論覚え書」と「宮沢賢治の世界」に
まっすぐに連続しているらしいのは
「宮沢賢治の詩」であろうと。

彼は幸福に書き付けました
印象の生滅するまま
自分の命が経験したことのその何の部分をだってこぼしてはならない

概念を出来るだけ遠ざけて、
なるべく生の印象、
新鮮な現識を、
それが頭に浮かぶままを、
――つまり書いている時その時の命の流れをも、むげに退けてはならないのでした。

書き出しの数行を読んだだけで
中也の声調に賢治への親近を感じるのは
わたくしだけのことではないでしょう。

詩を書くことが
幸福に映った!

どれだけ中也は
それを望んだでしょうか!

彼は想起される印象を、刻々新しい概念に、翻訳しつつあったのです。

彼にとって印象というものは、
あるいは現識というものは、
勘考さるべきものでも翫味さるべきものでもない、
そんなことをしてはいられないほど、
現識は現識のままで、惚れぼれとさせるものであったのです。

それで彼は、その現識を、出来るだけ直接に表白出来さえすればよかったのです。

印象を、刻々新しい概念に、翻訳しつつあった、とは?

概念を出来るだけ遠ざけて、と
いま書き付けたすぐあとで
このように展開しているのは
やや難関かな。

難関といえば、現識ですが。

彼にとって印象というものは、
あるいは現識というものは、
――と、ここで明かしてくれていますから
大助かりですね。

勘考、翫味を
書き換えたいところですが
それはやめます。

現代新聞表記だからといって
オーバーはいけません。

途中ですが、今回はここまでにします。
歴史的表記の原作は
青空文庫で読むことができます。


最後まで読んでくれてありがとう!

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