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中原中也の埋もれた名作詩を読み直す。その18/雨と風、その19/風雨



渋谷区山谷は新宿に接する町です。高層ビルの見えるあたりに、
中也の生きた時代にはアドバルーンが揺れていました。


「雨と風」の一つ前に配置された「悲しき画面」では、
括弧にくくられた過去が、
歌われましたが、
『過去』と表記して
それが純然たる過去ではなく、
現在につながっている過去
あるいは特別な過去くらいの
ニュアンスを含ませたかったのでしょうか。

「雨と風」では、
純然たる過去
すなわち、思い出となった過去が
歌われますが……。

雨と風

雨の音のはげしきことよ
風吹けば ひとしおまさり
風やめばつと和(なご)みつつ

雨風のさわがしき音よ
――悲しみに呆(ほう)けし我に、
雨風のさわがしき音よ!

悲しみに呆けし我の
思い出はかそけきものよ
それに似て巷(ちまた)も家も
雨風にかすんでみえる

そがかすむ風情(ふぜい)の中に、
ちらと浮むわがありし日は
風の音に吹きけされつつ
雨の音と、我(あ)と、残るのよ

激しい雨の音がして
風が吹くとき
雨の音はひときわ大きくなり
風がやめば
一瞬は雨音は和やかになりはしますが……。

騒がしい雨の音よ
悲しみで呆けた僕には
なんと騒がしい雨の音だことか!

悲しみ呆けした僕の
カナシミボケシタボクノ
遠い日の思い出は消え入りそうだよ
それに似て
街も家も
雨風の中にうっすらと霞んで見える

そんなふうに
霞んだ景色の中に
ちらっと一瞬浮かんでくる
僕の遠い過去の日々は
風の音に吹き消されてしまって
雨の音と
僕とが
取り残されるのさ

最終連第2行の

ちらと浮むわがありし日は
――の「ありし日」は、
やがて、
詩集「在りし日の歌」というタイトルへと
連なっていく、
さまざまな過去のかたちの、
さまざまな思い出のかたちの、
一つです。

過去であることを強調すればするほど
いっそう現在のことである
在りし日が浮かび上がって来る二律背反。
忘れたくても忘れられない在りし日。

雨と風の音のなかに
取り残される僕は
いつしか
遠い過去の中に在ります。
遠い過去は現在なのです。

この「雨と風」は、
詩人によって、
繰り返し推敲(すいこう)され、
「風雨」という作品になりましたが、
この推敲の過程で、
二つの作品が出来上がった状態になり、

その二つの作品は、
どちらも
未完のままともいえるし、
どちらも
完成間近ともいえる、
独立した作品になりました。

ちなみに「風雨」も
掲出しておきます。

風 雨

雨の音のはげしきことよ
風吹けばひとしおまさり
風やめば つと和(なご)みつつ

雨風のあわただしさよ、
――悲しみに呆(ほう)けし我に、
雨風のあわただし音(ね)よ

悲しみに呆けし我の
思い出のかそけきことよ
それににて巷(ちまた)も家も
雨風にかすみてみゆる

そがかすむ風情(ふぜい)の中に、
ふと浮むわがありし日よ
風の音にうちまぎれつつ
ふとあざむわがありし日よ


最後まで読んでくれてありがとう!

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